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REMO-CONインタビュー#2 昨今SNSで話題のDJ簡単論争に言及&大人になってシーンに貢献!「もうちょっとみんな俺に感謝してほしい(笑)」

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REMO-CONインタビュー#2 昨今SNSで話題のDJ簡単論争に言及&大人になってシーンに貢献!「もうちょっとみんな俺に感謝してほしい(笑)」

30年以上のキャリアを誇りながら今まさに全盛期! 毎週末その名を見ない時はない人気者! ハウス、テクノ、トランス、さらにはドラムンベースに音ゲー曲、プロレステーマ曲にCM曲までなんでもござれ! あらゆるジャンルを華麗に繋ぎ老若男女躍らせる“電子音に飢えた金髪狼”REMO-CONにインタビュー !!!!!!!

DJ・アーティスト活動のスタート、ディスコ〜クラブ、一世を風靡したCyberTRANCEなどについて語った第一弾に続き、今回は成熟したREMO-CON、クラブシーンに貢献するの巻!

絶えず現場に立ち続けた男にある変化が……、そして出てきた言葉は「もうちょっとみんな俺に感謝してほしい(笑)」

さらに、SNSで話題の“DJ簡単”論争に対して彼は何を思うのか?

そして、REMO-CONは生涯DJを貫くのか?

いろいろとまとめて聞いちゃいました!

◆薄々の2010年代…EDM全盛の裏で登る大人の階段

――2010年代はEDM全盛ですが、そんな中で印象に残っていることは?

REMO-CON:現場にめちゃくちゃいたと思うんですけど、これがあんま記憶にないんですよ(笑)。DJはコンスタントにやってたし、制作もやってたと思うけど、自分の中で「2010年代はこれ!」っていうのがない。

強いて言うなら自分のパーティをやるようになりましたね。プロデュース的な感じで関わるイベントが増えていった時期で、音ゲーのイベントを始めたり。当時は「音ゲーは好きだけどクラブには行かない!」って人が多かったので、そういう子たちにもっとクラブイベントに来てほしいと思ってイベントを立ち上げたんですよ。音ゲーのクリエイターと一緒にクラブでバリバリやってるDJをラインナップして。それが今もやってる「TOKYO HARD GROOVE SESSION」の前身。

自分も大人になってきて、業界全体の底上げって言ったらおこがましいけど「シーンに貢献!」みたいなことをしたり、底辺を広げたいみたいな考えが少しずつ自分の中で芽生えてきたんですよね。

――DJもかなりの本数やってましたよね?

REMO-CON:めちゃくちゃやってるんですけど印象はそれほど残ってないんですよ。やりすぎたのかな(笑)。覚えているのはageHaで「TOKYO HARD GROOVE SESSION」をやって、橋まで行列ができたこと、あれは嬉しかったですね。

――当時EDMは好きでした? REMO-CONさんはあまりEDMの印象がないんですが。

REMO-CON:初期は好きでしたよ。電子音強めでトランスの要素も強かったから。それに(EDMのアーティストに)オランダ人が多かったし。オランダ人が作るEDMはちょっと違ってましたよね。

――ハードハウスやトランスに近い感じですかね。

REMO-CON:そうなんですよ。それは嫌いじゃなかったし、EDM作ったりEDMのDJをやってた時期もあるんですよ。でもそんな気持ちが入んなかったんですよね、今思えば(笑)。ただ、あのブームは良かったと思いますよ。トランス以上に一般層まで刺さりましたからね。

あと、個人的に2010年代でデカかったのはblock.fmですね。番組をやらせてもらって、それまで接点がなかったジャンルの人と話したり、会うようになったんですよ。

――例えば?

REMO-CON:FPM(Fantastic Plastic Machine)田中さんとか☆Taku Takahashi(m-flo)さん、i-dep ナカムラヒロシくんとか。それまで接点がなく話すこともなかったんですけど、いざ会ってみたらめっちゃ話が合うし、その後一緒に仕事をするようにもなって。そういう横の繋がりが広がったし、block.fmきっかけで俺のことを知らなかった人にも知ってもらって、そこから観客動員も増えましたね。

◆DJが増えるのは大歓迎、大事なことは…!?

――その後コロナ禍になりますが、コロナ禍の前と後ではやっぱり変わりました?

REMO-CON:意外とガラッと変わった感じはないんですよね。なぜかというとラジオを毎週レギュラーでやってて、ラジオはあまり影響を受けずにやれていたんで。変わったのは配信をやるようになったことで、そこは昔のディスコ経験とラジオをやってた強みというか、俺めっちゃ喋れるんですよ。

配信をやるようになったっていう部分では変わりましたけど、それもそれまで自分がやってきたことを画面の向こうに向かってやってるだけなので大して変わってない。現場もしばらくはみんなマスクしてたけど、それ以外はそんなに変わってないんじゃないかな。

――キャリアとしては30年以上DJをやってきたわけですが、お客さんの変化って何か感じますか?

REMO-CON:よくも悪くもですけど、普通っぽい人が増えましたよね。昔は最先端っぽい人とかがクラブに来てて、ディスコに来るのはギラギラした遊び人。みんなかっこつけてくる感じだったのが、今はみんな普通の格好、居酒屋とかカラオケに行く感覚で遊び来てますよね。それでいいんですけど、ちょっと寂しいところもありますね。やっぱかっこつけて楽しんでほしいし、フロアにファッショニスタがたくさんいるとやる方も気持ちいいんで。

――最近はDJでどんなジャンルをかけることが多いですか?

REMO-CON:いつもセット違うんで……。

――TPOで変えると。

REMO-CON:ラジオはほぼクラブじゃない感覚でやってるし、音ゲー好きのイベントは音ゲーの曲、agefarreであればトランスになるし。本名でやることもあって、tetsuya tamura名義だとハウスやテクノの曲をリリースしてるのでそういうセットになるんですけど、最近は意外とハウスが多いかな……。

――それは周期的なもの?

REMO-CON:周期というよりは年齢的なことかな(笑)。やっぱりアンダーグラウンドなクラブミュージックの入りがDavid Moralesとかハウスだったので、歳とってハウス回帰みたいなところがあるんですかね。

――これからもDJは続けていく、目指すは生涯DJですか?

REMO-CON:そこまで考えてないですけど、逆に何ができるのかなって思いますね。他に何もできないから多分(音楽を)やっていくしかない。それに俺よりも歳上の先輩たちも元気だから俺もまだ大丈かなと(笑)。

――今の若いDJはどうですか?

REMO-CON:若いDJは増えましたよね。それは単純にすごくいいなと思います。

――その一方で機材も進化して今は誰でも簡単にできる、SNSでもそれが話題になりましたが。

REMO-CON:スポーツと一緒で競技人口が増えるのは大歓迎というか、DJという行為をする人が増えるのは全然構わなくて、むしろ増えた方がプロのDJのスゴさがわかるから全然いいんじゃないですかね。ただ、イベントをやる側がちゃんとした審美眼を持ってないとダメかなと思います。例えば、ただ友達をたくさん呼べるからってだけでブッキングしてると内容も薄くなるし、やっぱりお客さんからお金を取ってるんだからちゃんとしてほしいですよね。

――今後シーンに望むことは?

REMO-CON:もっと底辺が広りつつ、頂上は高くなってほしいので、かっこいいことをやってる人がどんどん上に行ってほしい。あとは普通にクラブに遊びに来る人も増えてほしいですね。

――そのピラミッドの中でREMO-CONさんはどんなポジションにいたいですか?

REMO-CON:もちろん上の方に行きたいですけど、なんか知らないけど底辺を広げるところにずっといる気がする(笑)。だからもうちょっとみんな俺に感謝してほしいんですよね、結構クラブにお客さん引き込んでると思うので(笑)。

――リスペクトされたい願望ダダ漏れ(笑)。でもREMO-CONさんって本当に異色のキャリア、唯一無二で独自のポジションにいますよね。

REMO-CON:ガチンコでディスコで修行して、どっちかというとアンダーグラウンドなところでもやっている人はあんまいないかもしれないですね。そういう意味では俺はそこが強みになってるのかな。おかげさまで今もDJをやらせてもらって、むしろ今年が一番忙しいかもしれないっていう。

――ですよね。今、毎週末どこかでREMO-CONさんの名前を見ます。

REMO-CON:自分でもなぜかわかんないんですけどね(苦笑)。こんなにDJしてるのはディスコでの修行時代以来かもしれない。求められることはありがたくもありつつ、実はスタジオに1人でいるのも好きで曲を作る時間がないっていうジレンマもあります。

――活動自体はこれからも変わらない?

REMO-CON:自分の健康面もそうだし、クラブやパーティもいつどうなるかわからないし、またコロナみたいなことがあるかもしれない。別に生涯DJをやろうとも思ってないけど、このままやり続けるんだろうなとは思います。もはやDJは歯を磨くことと同じ感覚なのかもしれない。生活の一部みたいな感じなのかもしれないです。

――ちなみに、なぜREMO-CONなんですか?

REMO-CON:あんまり面白い話じゃないんですけど、DJになる前、DJをやりたいなって思った時、専門学生でお金もそんななかったので、ミキサーとターンテーブルが1台しか買えなかったんですよ。当時ターンテーブルは1台5万円くらいしたし。でもDJをやるには2台必要で、当時ソニーから出てたカラオケ用のCDプレイヤーはピッチが変えられたんですよ。めっちゃ荒いんですけどリモコンで。それで最初はターンテーブルとカラオケ用のCDプレイヤーでミックステープを作ってて、マハラジャに入った時にそれをチーフDJに話したら「お前今日からREMO-CONな!」って。

――先輩に命名されたわけですね。

REMO-CON:そうです。当時そういうノリが多かったんですよ。そのCDプレイヤーもターンテーブルみたいにボタン押したらすぐに曲が始まるわけじゃないし、ミックスするのがすごく難しくて、実はある意味それでDJが鍛えられたのかもしれない(笑)。

REMO-CON

1993年に活動スタート。横濱MAHARAJAを経て1999年にDJ BOSSととともに音楽制作会社Y&Co.,Ltd(横田商会)設立。数多くのリミックス制作&楽曲プロデュースを行い、CyberTRANCEやHOUSE NATIONなど様々なコンピのミックスも担当。現在は国内外で精力的にDJ活動を行いつつ、Fm yokohama 84.7「PRIME TIME」(MON-THU 19:00~21:50)の火曜日に出演中。

YouTubeチャンネル「REMO-CON」(@REMOCONofficial)

https://x.com/REMOccCON

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