#3 二つに引き裂かれた男──亀山郁夫さんと読む『ドストエフスキー』【NHK別冊100分de名著】
亀山郁夫さんによるドストエフスキー『罪と罰』読み解き #3
19世紀、急激な近代化が進んだ過渡期のロシアで、人間の内面に深く迫った大作家ドストエフスキー。その作品は、時代を超えて私たちの心を強く揺さぶります。
『別冊NHK100分de名著 集中講義 ドストエフスキー』は、「100分de名著」で取り上げた『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』に『悪霊』『白痴』『未成年』の三作品の書き下ろし解説を加えた一冊。この五大長編を解説するのは、ドストエフスキー作品の新訳も手掛けたロシア文学者・亀山郁夫さんです。
重層的でミステリアスな作品に込められた作者の意図を、クリアに解読していく本書より、第1講「『罪と罰』──なぜ、人を殺めてはいけないのか?」全文を、特別公開します。(第3回/全8回)
Ⅱ 引き裂かれた男
さまよえる殺人者
第2部(物語四日目~八日目)のあらすじを見ていきましょう。
犯行の翌朝、はげしい悪寒と焦燥感に襲われていたラスコーリニコフは、たまたま警察への呼び出し状を受け取ります。警察署で彼は、未払いのままだった下宿の家賃の督促状にサインを求められますが、事務官のザメートフ、副署長の通称「火薬中尉」、そして署長らが昨日の老女殺害事件を話題にするのを耳にし、恐ろしさのあまり卒倒してしまいます。嫌疑が自分に向けられているのではないかとの疑心暗鬼にかられたのです。
不安な思いで街をさまよった末、彼は盗品を、ある資材置き場の石の下に隠します。それからほとんど無意識のうちに親友ラズミーヒンの下宿を訪ねますが、せっかく回してくれようとした翻訳の仕事も断り、あっけにとられる友を尻目に退散します。帰り道、ネヴァ川の壮麗なパノラマを眺め、過去のすべてがどこか遠い深みに沈んでしまったように感じます。まるで「すべての人、すべてのものから、自分を鋏で切り落としたような気分」に支配されるのです。六時間ほども歩きまわって下宿へと帰り着いた彼は、疲労と恐怖のあまり倒れ込み、そのまま意識を失います。
それから三日間、ラスコーリニコフは眠りつづけますが、倒れて四日目(物語八日目)の朝十時にようやく眠りから覚めると、下宿にはラズミーヒンがおり、賄い婦のナスターシヤともども自分の世話を焼いてくれていたことを知ります。母からの貴重な仕送り金三十五ルーブルも届けられてきました。知り合いの医者ゾシーモフも来て、衰弱した彼の様子を診察します。
彼はナスターシヤから、自分が殺したリザヴェータが、行商人としてこのアパートに出入りし、自分のシャツをつくろったこともあると聞かされます。また友人たちの会話をとおして、ペンキ職人の一人ミコライという若者が、殺害のあったアパートの空き部屋に落ちていた盗品の宝石箱を拾ったことで嫌疑をかけられ、逃走中に首を吊ろうとしたところを捕まったことを知ります。ミコライは犯行を否認し、ただ「裁きにかけられる」のが怖くて逃げたのでした。
そこに突然、かしこまった身なりの見知らぬ紳士が現れます。妹ドゥーニャの婚約者である弁護士のルージンでした。個人の利益の追求が社会を進歩させるという陳腐な経済学を語るルージンは、ラズミーヒンの敵意を買い、彼と論争したあと、ラスコーリニコフから恫喝され追い出されてしまいます。一人にしてくれというラスコーリニコフを残して、ラズミーヒンもゾシーモフも辞去します。
一同が姿を消すと、ラスコーリニコフは母からの送金を携え、「一切合財にけりをつける」つもりで黄昏の街に出ます。猥雑な横町をさまよい、レストラン「水晶宮」にふらりと立ち寄った彼は、注文したお茶もろくに飲まずに、取り寄せた新聞で一心に事件の記事を探そうとします。「水晶宮」の客の中に警察の事務官ザメートフがいました。ラスコーリニコフは、胡散臭げに近づいてきたザメートフを挑発し、店の表階段で鉢合わせしたラズミーヒンには、「きみの世話を望んでいない」と毒づいた揚句、彼の引っ越し祝いパーティへの誘いも断り、店を出ます。ラスコーリニコフは、すでに限界的とも言える孤独にさいなまれていました。自首して生き延びるべきか、それとも死ぬべきか……。
ペテルブルグの町をあてどなくさまよううち、運河の橋で女が身投げして助けられるのを目撃した彼は、「ぶざまだ……水は」とひとりごち、その後いったん警察署へ足を向けるのですが、いつしか、誘い込まれるようにして事件現場に向かっていました。殺害のあった部屋は模様替えの最中で、職人たちはこの異様な闖入者(ちんにゅうしゃ)を怪しんだため、庭番も巻き込んでひと悶着が起こります。
あらためて警察に自首しに行こうかと迷っている途中、ラスコーリニコフは偶然にも、犯行の前々日に酒場で出会った酔いどれ役人マルメラードフが馬車に轢かれた現場に遭遇し、瀕死の役人を妻カテリーナの待つアパートに担ぎ込みます。絶望的な愁嘆場が繰り広げられるなか、その場に姿を現したのは、いかにも娼婦らしいどぎつい衣装を身につけた娘のソーニャでした。そのソーニャに抱かれて父親のマルメラードフは手当ての甲斐なく息を引きとりました。
母からの送金のほぼすべてをマルメラードフ家に残して立ち去る彼を、幼い少女ポーレンカが追いかけてきます。「ソーニャねえさんのお使い」でした。少女から感謝のキスを受けた彼は、一瞬、思いもかけぬ喜びに包まれます。
「いつか、このぼくのことも、お祈りしてくださいね」
「あたし、これからずっとあなたのこと、お祈りしてあげるわ」
帰る道すがら、ラスコーリニコフは近所に越してきたラズミーヒンの住まいに立ち寄ります。ラズミーヒンはラスコーリニコフが来たことを喜び、パーティをそっちのけにして彼を下宿まで送ります。するとそこで待ちうけていたのは、ペテルブルグに到着したばかりの母プリヘーリヤと妹のドゥーニャでした。
二人のラスコーリニコフ
先述したように、この小説が「意志の物語」と「運命の物語」の二つに引き裂かれているのと同じく、主人公ラスコーリニコフもまた二つに引き裂かれています。ラスコーリニコフは、いわば「二人」いるのです。
悪魔に魅入られたとでも言うほかない、妄執に引きずられる傲慢なラスコーリニコフと、安酒場でたまたま出会っただけのマルメラードフとその一家を必死に世話したり、並木道のベンチで酔いつぶれている若い娘を悪漢の手から救おうとする、人間的なぬくもりや正義感に溢れたラスコーリニコフ──。
「意志の物語」として読めば、彼は、傲慢さの究極のしるしである殺人を犯す凶悪な加害者ですが、他方、これを「運命の物語」として読むと、彼はむしろ受難者であり、犠牲者と言うこともできるのです(もちろん殺された犠牲者の立場からすれば、絶対に成り立ちえない理屈であることは言うまでもありません)。つまり事件は、意志的な存在としてのラスコーリニコフと、受動的な存在としてのラスコーリニコフの「二人」によって引き起こされたとも言えるのです。
ここで考えなくてはならないのは、ラスコーリニコフという名前の由来です。この名前は、「叩き割る」を意味するロシア語の動詞「ラスコローチ」から来ています。つまり彼は、端的に言って、二つに「叩き割る男」であり、なおかつ二つに「叩き割られた男」です。
また、その派生語「ラスコール」は、十七世紀中葉に起こった「教会分裂」を指しています。中世ロシアの精神世界を真っ二つに断ち割ったこの分裂によって、敬虔な信仰に貫かれた多くの民衆が教会から離反していきました。それらの人々は「ラスコーリニキ」、すなわち「分離させられた人々」という差別的な表現で呼ばれていたのです。これが「分離派」です。十八世紀初頭のペテルブルグ建設の際、分離派の人々が数多く犠牲となり、そこから、民衆の間に「ペテルブルグ、空なるべし」という終末論的な呪いが生まれたことはすでに述べたとおりです。ちなみに、『罪と罰』のモデルとなった宝石商殺害事件の犯人ゲラシム・チストフという青年も、分離派教徒でした。そしていくつかの細部と相まって、ラスコーリニコフもまた、分離派の出であることが仄めかされています。
ロシアの研究者セルゲイ・ベローフは、主人公のフルネーム「ロジオーン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ」を、ロシア語の起源に遡って解釈しました(『「罪と罰」註解』)。ロジオーンとは「ロージナ」すなわち「故郷」、ロマーノヴィチは「ロマノフの」という意味です。したがってこれらを合わせると、「ロマノフ王朝の祖国を叩き割る者」となります。そこでおのずと連想されるのが、帝政ロシアを破壊に導く革命家のイメージです。ロシアの歴史における最初の皇帝暗殺未遂事件が起こったのは、『罪と罰』連載中の一八六六年四月ですから、この小説がいかに当時の政治的状況と結びついていたかが、うかがい知れます。もっと言うなら、半世紀後(一九一七年)のロシア革命をも見越した、思想小説としての側面もくっきりと見えてくるようです。その一部を紹介します。
幼い少女ポーレンカとの交流のあと、ラスコーリニコフは心の中で勝ち誇ったように叫びます。「おれの生命は、まだ、あの老いぼればばあといっしょに死んじまったわけじゃない。(略)いまこそ理性と光の……意志と力の王国が訪れたんだ」。まさに傲慢の極みともとれる内的独白です。二人の女性を殺しておきながら、それでもなお新しい時代への希望を抱くことができる。恐ろしい矛盾です。そこには、意志的な存在としてのラスコーリニコフの、悲劇的な傲慢さが垣間見えます。その行き着いた先こそが、今日の言葉で言うテロルです。『罪と罰』における殺人とは、まさに、もっとも原初的な形態におけるテロルだったのです。わたしたち読者には、一八六六年四月のアレクサンドル二世暗殺未遂事件とこのラスコーリニコフによる女性殺害を、二重写しにして見る洞察力が必要となります。
テロルはいやおうなく第三者を巻き込みます。老女の義理の妹リザヴェータは、まさにその犠牲者でした。しかも恐ろしいことにヴィスバーデン版の草稿では、「ひっきりなしに妊娠している」彼女が、そのときすでに誰かの子を身籠っていたという設定でした。つまり犠牲者はもう一人いたのです。
本来、テロルとは社会の混乱を目的として恐怖を演出する手段ですが、ラスコーリニコフにはそのような目的はありません。むしろ彼のテロルは、分離派に特有の終末論と結びつけて考えることができるのではないかと思います。すなわち、アンチ・キリストとしてのラスコーリニコフです。彼を受難者として考えた場合、ゴルゴタの丘で磔となるイエス・キリストに重ねることができないわけではありませんが、加害者としてはアンチ・キリスト、つまり悪魔ということになります。
ロシア文学者の江川卓は、「ロジオーン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ(Родион Романович Раскольников)」という姓名の由来をめぐって、先ほどのベローフとは異なったきわめてユニークなアプローチを示しました。彼のロシア語の三つの頭文字PPPを反転させ、「ヨハネの黙示録」第十三章に登場する「獣の数字」666を読み取ったのです。これはまさに、アンチ・キリストの象徴にほかなりません。しかも、『罪と罰』が発表された一八六六年も、6という数字が二つ並んでおり、「教会分裂」による分離派の誕生から、奇しくも二百年後にあたっていました。一八六六年は、分離派、異端派を問わず、アンチ・キリストの出現がとりわけ強く意識された年でもあったのです。
ところで、一八一二年に大軍を率いてロシアに襲いかかったナポレオンは、ロシアの民衆の心性の中でアンチ・キリストとしての影を負わされ、数秘学的に666の数字とも結びつけられていました。そんなナポレオンと、黙示録の都市ペテルブルグにアンチ・キリストとして出現するラスコーリニコフとを、神話的に二重化するところから、この小説の新しい断面が現れてきます。
最初の対決
第3部(物語八日目夜~九日目夕方)では、ラスコーリニコフの「ナポレオン主義」が登場します。それについて説明する前に、あらすじをたどっていきましょう。
部屋で待っていた母プリヘーリヤと妹ドゥーニャに対し、ラスコーリニコフは、身内とは思えない邪険な態度で接します。ラズミーヒンが、弁護士ルージンが用意していた粗末な宿まで母娘を送り、親身に面倒をみますが、その実、彼は親友の妹ドゥーニャの美しさにのぼせあがっていました。
翌朝、ラズミーヒンは、酒に酔って大言壮語した前夜の自分に自己嫌悪を覚えながらも、母娘の泊まる宿に迎えにいきます。彼はそこで、上京した二人をルージンが迎えにも行かなかったことを知り、憤慨します。母プリヘーリヤに見せられたルージンの手紙には、自分はラスコーリニコフにひどい侮辱を受けたので今後、同人とはいっさい席を同じくするつもりがないこと、ラスコーリニコフは死んだ酔いどれの一家のために、「卑しい職業をなりわいとする」娘に大事なお金を手渡した、などと書き立てられていました。ルージンはマルメラードフ一家と同じアパートで友人のレベジャートニコフの部屋に居候していたのです。
部屋に来た一同にラスコーリニコフはもろもろの経緯を説明し、ルージンの文章の「裁判所的」ないやらしさを皮肉ります。他方、母親のプリヘーリヤは、ドゥーニャの元雇い主スヴィドリガイロフの妻マルファが、家庭内暴力が原因で水浴中に急死したらしいという話をします。ドゥーニャはラスコーリニコフに、夕刻のルージンとの会合に同席してくれるよう懇願し、彼は承諾します。
そこに現れたのが、ソーニャでした。驚く一同の前で、彼女はラスコーリニコフに、前夜の見舞いへの礼と葬儀への招待を伝え、彼はソーニャを丁重な口ぶりで母親に紹介しますが、母と妹は、思うところあって早々に下宿を引きあげていきます。ラスコーリニコフはラズミーヒンに、金貸し老女のところに父の時計と妹からもらった指輪を質入れしていたことを告白し、その件で、捜査を担当している予審判事ポルフィーリーのところへ行くことを相談します。ポルフィーリーはラズミーヒンの遠縁にあたり、前夜の引っ越し祝いのパーティにも顔を出していました。
一方、二人と別れて自分の部屋に帰るソーニャの後を、ひとりの初老の紳士がつけていきます。謎の紳士は、自分の借りている部屋と同じアパートの同じ階に、ソーニャが住んでいることを突き止めます。
さて、ラズミーヒンとラスコーリニコフがポルフィーリーの家を訪ねると、先客の警察事務官ザメートフもいました。ラスコーリニコフはさっそく質草の話題に移りますが、その道化的な口ぶりとはうらはらに驚くべき観察力の持ち主であるポルフィーリーは、慇懃(いんぎん)かつとぼけた様子を装ってはいるものの、質草の件も、前の晩の彼の行動すらもとっくに知り尽くしています。ラズミーヒンとポルフィーリーの会話では、前夜のパーティでの論争に引き続き、社会主義者のこと、「犯罪と環境」のテーマが話題に上ります。その途中ポルフィーリーはおもむろに、「月刊言論」という雑誌に載ったラスコーリニコフの論文(「犯罪論」)に言及します。送った雑誌「週刊言論」が廃刊になり、論文そのものがボツになったと思っていたラスコーリニコフは驚きます。ポルフィーリーが「いや、じつにおもしろい論文でした」といって要約を語ると、ラスコーリニコフは、相手の説明を補足するつもりで、いつのまにか熱弁をふるっているのでした(その中身は次節で詳しく見ます)。
お互いの腹を探りあうような最初の対決の終わり際に、ポルフィーリーはペンキ職人の件を口にし、罠にかけようとしますが、ラスコーリニコフは、知力をつくし、どうにかこの神経戦を切り抜けます。
母と妹の宿に行く途中、不安にかられたラスコーリニコフは、いったん下宿に戻って証拠となる品が残っていないのを確認し、再び外出します。すると見覚えのない町人風の男が彼に近づき、小声で「人殺し!」と囁くのでした。ラスコーリニコフは恐怖にかられ、部屋に戻ってベッドに倒れ込みます。彼の頭を、さまざまな想念が熱病のように駆けめぐります……。
おれは一刻もはやく踏み越えたかった……おれは人を殺したんじゃない、主義を殺したんだ! 主義はたしかに殺したが、じゃあ踏み越えたかっていうと、踏み越えられず、こっち側に居残った。やれたのは、殺すことだけだ。(略)おれはいっぱしの美学をもったシラミだ、(略)おれがこれを実行するのは、自分の、みだらで、いやらしい欲望のためじゃない、おれの頭んなかにあるのは、壮大な、よろこばしい目的だ、だってさ──は、は!(略)もしかすると、おれ自身が、ひょっとしたら、殺したシラミなんかよりもっといやらしくて、もっとけがらわしいかもしれない(略)母さん、妹、ああ、どんなに愛していたか! なのに今は、どうして、こんなにも憎い?(略)ああ、今になってあのばばあ、なんて憎たらしい! たとえ生き返っても、もういちど殺してやる! 気の毒なのは、リザヴェータだ!(略)だが、おかしなもんだ、どうしておれは、彼女のことをほとんど考えもしないのか、まるで、殺してなんかいないみたいに?……リザヴェータ! ソーニャ! かわいそうな女たち、やさしい、やさしい目をした……愛らしい女たち!
(第3部第6章)
彼は、例の不気味な町人の手招きで夜の通りを歩いていき、いつしか老女のアパートにやってきます。暗い部屋の奥に死んだはずの老女が隠れているのに気づき、再び斧を振りおろします。しかし、老女は笑い、何度斧を振りおろしても、笑いつづけ……。恐ろしい夢から覚めた彼は、部屋の中に見知らぬ初老の紳士が立ち、自分の様子をじっとうかがっていることに気づきます。
「アルカージー・スヴィドリガイロフです、どうぞよろしく……」
本書『別冊 NHK100分de名著 集中講義 ドストエフスキー』では、・第1講 『罪と罰』──なぜ、人を殺あやめてはいけないのか?
・第2講 『白痴』『悪霊』『未成年』──ロシアの闇、復活の祈り
・第3講 『カラマーゾフの兄弟』──父殺し、または人間という解きがたい謎
という全3回の講義を通して、重層的な作品の意図を明瞭かつ大胆に解読していきます。
■『別冊NHK100分de名著 集中講義 ドストエフスキー』(亀山郁夫 著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
※本書におけるドストエフスキー作品の引用は、著者訳の光文社古典新訳文庫版に拠りますが、一部著者が訳し直している箇所があります。
著者
亀山郁夫(かめやま・いくお)
ロシア文学者、名古屋外国語大学学長
1949年栃木県生まれ。東京外国語大学外国語学部卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。天理大学、同志社大学を経て1990年より東京外国語大学外国語学部助教授、教授、同大学学長を歴任。2013年より現職。専門はロシア文学、ロシア文化論。著書に、『ドストエフスキー父殺しの文学』(NHKブックス)、『新カラマーゾフの兄弟』(河出書房新社)『『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する』、『ドストエフスキー黒い言葉』(集英社新書)などが、訳書にドストエフスキー『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『未成年』(刊行中)、『カラマーゾフの兄弟』(いずれも光文社古典新訳文庫)などがある。2021年より世田谷文学館館長。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。