アーティスト小泉今日子の魅力「Ballad Classics Ⅱ」ヤン富田やスカパラが大活躍!
平成元年にリリースされた「Ballad ClassicsⅡ」
小泉今日子のバラードベスト『Ballad ClassicsⅡ』(以下『Ⅱ』)は、1987年発売の『Ballad Classics』(以下『Ⅰ』)の続編として1989年にリリースされた。『Ⅰ』は、先のレビューにも書いたとおり、バラード曲をセレクトしたベスト盤で、シングル曲以外に、アレンジを変えた新録音曲、アルバムやシングルB面の隠れた名曲も収録。14.3万枚を売り上げ、オリコンアルバムチャートでは最高3位まで上昇した。
元号が平成に変わり好評に応えて第2弾を… ということで1989年暮れにリリースされたのが『Ⅱ』である。ジャケットはグラフィックデザイナー、粟津潔が描いた天使のイラストが採用された。田村充義ディレクター(以下:田村D)によると、このバラードベストはシリーズ化を目論んでいたそうだ(『Ⅲ』の発売は35年後になってしまったが)。
全曲アレンジを変えたセルフカバー集に
小泉は『Ⅱ』の企画が決まったとき “だったら、今度は違うアレンジで歌い直したい” と希望した。この年は近田春夫と組んで、日本では当時まだ一部にしか浸透していなかったハウスミュージックに挑戦。シングル「Fade Out」(オリコン最高2位)、アルバム『K0IZUMI IN THE HOUSE』をリリースした。クラブシーンの最先端を行くアーティストたちとの交流も始まり、音楽的にもさらなる進化を始めた頃だ。その流れで、アレンジにも興味を持つようになっていったという。
『Ⅱ』について “アレンジや歌を変えて、今の自分がどれだけ歌を成長させたかっていうのをやろうと思った” と言う小泉。コンサートで過去曲を歌うとき “ここまで理解した私が歌うとこうなりますよ、っていうのがありますよね。それをアルバムでやりたかったんです” とも。その言葉通り、小泉はこのとき、歌詞の内容、メロディーの捉え方、アレンジの意図に関してもちゃんと理解できるようになっていたし、また内面的成長によって自分の中で解釈が変わってきた曲もある。その成果を示す場が、この『Ⅱ』だった。
ということで、コンセプトは『Ⅰ』と同じだが、全曲アレンジを変えた新録音、すなわちセルフカバー集になった『Ⅱ』。収録曲はすべて既発曲だが、実質ニューアルバムと言っていいだろう。選曲もまた攻めている。
『Ⅰ』では5曲収録されていたシングルA面曲が、『Ⅱ』では1曲だけ。しかも「艶姿ナミダ娘」(1983年11月、オリコン最高3位)である。そもそもバラード曲じゃないし(笑)。しかし、この時点ではまだメジャーデビュー前だった東京スカパラダイスオーケストラ(以下:スカパラ)とのコラボで、あのハッチャケた曲を大人なサウンドに変換。その見事な料理の仕方と歌いっぷりについては、くどくど説明するより、実際にアルバムを聴いて確かめてほしい。
全12曲中、4曲のアレンジを担当した電子音楽家のヤン富田
他の11曲はアルバム曲とシングルB面曲で構成され、いわば “小泉今日子 隠れ名曲集” という内容になっている。あらためて、各作家たちが小泉のためにいかに知恵を絞ってきたかを実感できるアルバムだ。ただ、これだけ多くの曲をすべてアレンジし直すのはちょっとした大仕事だ。かつ、この仕事は先端を行く人物に頼まないと意味がない。そこで小泉と田村Dが依頼に行ったのが、ヤン富田だった。
ヤンは電子音楽家であり、スティールパン奏者としても世界的に有名で、ヒップホップからアイドルまで幅広く手掛けるプロデューサーでもあった。またすごいところに行くなあと当時思ったが、ヤンの返事は “いいけど、全曲は無理” だった。
結局ヤンは全12曲中、4曲のアレンジを担当。他8曲のアレンジを引き受けたのが前述のスカパラ(2曲)、戸田誠司(3曲)、ウニタ・ミニマ(2曲)、トマトス(1曲)である。Re:minder の読者なら、この並びだけでもゾクゾクするだろう。アレンジャーを1人に絞らなかったことは、結果的にキョンキョンの懐の広さを示すことにもなった。
スカパラと組んだ「今をいじめて泣かないで」
それでは個別に収録曲を見ていこう。本作も全曲についていろいろ言いたいことがあるが、長くなるので数曲に絞らせていただく。
スカパラと組んだもう1曲は、5曲目「今をいじめて泣かないで」だ。アルバム『Betty』(1984年)収録曲で、小泉にとって重要な作家となる銀色夏生が作詞(作曲は筒美京平)。オリジナルは船山基紀の編曲で、打ち込みによる自動演奏を可能にした最新鋭機・フェアライトを駆使したものだったが、スカパラはこの曲をジャジーなアレンジに変換。小泉との掛け合いも最高だ。
この頃のスカパラは、バンド創設者でもあるASA-CHANGがリーダーで、彼は当時小泉の “担当ヘアメイクさん” だった。 “僕、バンドやってるんで、今度ライブを観に来てください” とフライヤーを渡された小泉は、半分付き合いで観に行ったら “なにコレ!めちゃくちゃカッコいいじゃん!” と感激。“一緒にやろうよ!” ということになった。いいなぁ、その流れ。
しかし、クラブシーンでは知る人ぞ知る存在だったとはいえ、当時まだ世間的には無名だったスカパラを起用したところは、さすがキョンキョン。本作リリース直後に『夜のヒットスタジオ』でも共演。美空ひばりのカバー「真赤な太陽」と同時に、この「今をいじめて泣かないで」も生で披露している。それでスカパラを初めて知った人も多いはず。この頃のキョンキョンは “クラブカルチャー伝道師” でもあった。
キョンキョンの心情にフィットするものがある銀色夏生の作品
銀色夏生の作品は、他にも3曲収録されている。シングルA面曲こそ書いていないが、小泉がライブで歌う曲には必ずと言っていいほど銀色作品が入っている。現代詩人でもある彼女の作品は、キョンキョンの心情にフィットするものがあるのだろう。すごくわかる。
3曲目「遅い夏」(アルバム『Phantásien』収録、藤井尚之作曲、『Ⅱ』ではヤン富田編曲)、9曲目「青い夜の今ここで」(アルバム『Today's Girl』収録、大沢誉志幸作曲、『Ⅱ』では戸田誠司編曲)に加えて、銀色作品で特筆すべきは4曲目「この涙の谷間」だ。サザンオールスターズの関口和之が作曲した、アルバム『Phantásien』中でも屈指の名曲である。
オリジナルも素晴らしいのだが、ヤンがベース+ドラム+電子オルガンというミニマルなアプローチで、また別個の名曲に仕上げているところが鳥肌モノ。間奏のところで「♪ブォッ!ブォッ!」「♪ブォォ〜」という音が突然入ってくるのだが、当時 “なんだこの音?” と思い調べてみると、サックスのサンプリングで、元ネタは盲目のサックス奏者、ローランド・カークの「溢れ出る涙」だった。
カークは幼少期に医療過誤が原因で失明。一時、涙が止まらなくなる状態に陥った。数本のサックスを同時に演奏するなど、異色のプレーヤーとして知られた彼の演奏を、涙つながりで「この涙の谷間」に使用したヤン。その背景を知って、また鳥肌である。自ずと歌う際のハードルも上がるのだが、自分の解釈力・表現力に自信を深めていた小泉は、レコーディングの際、サラッと歌いこなしてしまったそうだ。個人的にこの曲のこのバージョン、キョンキョンのすべての曲の中で5本の指に入るぐらい好きだ。まさに “涙モノ” の名演である。
本作で自分の歌手としての力量を確認し、自信を深めた小泉今日子
銀色夏生以外にも、女性作家の曲がフィーチャーされていることにも注目したい。7曲目「片想い」(アルバム『Flapper』収録、麻生圭子作詞・山川恵津子作曲、『Ⅱ』では戸田誠司編曲)。麻生・山川は「100%男女交際」(1986年4月、オリコン最高2位)でそれぞれ作詞・編曲を担当し、山川はレコード大賞編曲賞を受賞している。10曲目「今年最後のシャーベット」(アルバム『Hippies』収録、川村真澄作詞・上田知華作曲、『Ⅱ』ではウニタ・ミニマ編曲)。どちらもキョンキョンのフェミニンな部分をすくい上げた、聴いていて癒やされる歌だ。
若手の女性作家を起用した理由について田村Dは “より本人の心情に近いところで楽曲作りができるから” と語っている。こういった配慮も、のちに小泉自身が作詞家としても活躍する布石になったように思う。あらためて『Ⅱ』を通して聴いてみたら、セルフカバーライブに行ったような錯覚に陥った。ま、もうすぐホンモノのライブが聴けるのだけれど。
本作で自分の歌手としての力量を確認し、自信を深めた小泉は、以降『N°17』(1990年)、『afropia』(1991年)という傑作アルバムを作詞も手掛けてリリース。平成元年に世に出た『Ⅱ』は、“アーティスト・小泉今日子元年” を告げる1枚でもあった。