チョコレート嚢胞。壮絶な不妊治療~転院! 新たな病院で大きな転機が…
現在1歳半になる息子の育児をしているライターの【ミッキ】です。29歳で「チョコレート嚢胞」の発症と手術、壮絶な不妊治療と転院をへて、32歳で待望の赤ちゃんを出産しました。
チョコレート嚢胞が発覚した日、身も心もボロボロに
本格的に不妊治療を始めようと、夫婦で向かった近所の婦人科系クリニックで、10㎝以上の腫瘍があると告げられました。手術の可能性が高いといわれ、その場で大学病院への紹介状を手渡されました。
この時期は、私たち夫婦より後に結婚した義弟夫妻に子どもが授かったことがわかった頃で、私は内心焦っていました。病気で、しかも手術なんて…。子どもを授かるどころか、子宮を失うかもしれないという恐怖感に襲われたまま、大学病院での受診日を迎えました。
容赦ない不妊治療で自分を見失う日々
大学病院で15cm超えの「チョコレート嚢胞」だと判明してから、4ヶ月後に手術を受け、無事に腫瘍を取りきることができました。
4ヶ月も待たされることに対し、意見をいったところ、「あなたよりもっと大変な患者がいるのに、そんな言い方はおかしい」といわれ、ショックを受けました。合わないと感じながらも、手術後にその主治医のもとで不妊治療を受けることになりました。
1回目のタイミング法で失敗した直後、主治医は意思疎通が十分といえないまま人工授精に踏み切りました。また高圧的な態度に感じるときもあり、精神的につらかったです。
心と体のバランスが追いつかず、治療がきっかけで家族にも当たるようになってしまいました。家族とも疎遠になり、治療と人間関係の悪化により身も心も崩れてしまったのです。
転院を決意! 新しい病院で再スタート
2度の人工授精も失敗し、心身ともにどん底の状態のとき、私の意思とは反して体外受精をすすめられました。
「早く妊娠して楽になりたい」と思い、同意したものの、この大学病院では、移植などの治療が延期になることが多く、このこともストレスになりました。
それでも無事に1回目の採卵で2つの受精卵を取ることができました。すぐに移植ができると思ったのですが、主治医側のミスや病院側の都合で、なんと5カ月も延期になりました。ストレスを抱えた状態での移植は全て失敗し、私は目の前が真っ暗になりました。そして思い切って転院を決意しました。
転院した途端、とんとん拍子に良い方向へ
転院先は県内一の成功率を誇る病院でした。もう藁にもすがる気持ちで通院を始めました。最初に出会った院長にこれまでの経緯を話したのですが、理解してもらえず、すぐに別の先生に切り替えました。
そして、この先生との出会いによって、私の不妊治療に良い風が吹きました。先生のおだやかな性格もあり、神経質にならずにのんびりと治療ができました。
治療が始まって半年後に体外受精の決意を示すと、すぐにスケジュールを組んでくれたのです。その間は、鍼灸治療や子宮環境をよくする食生活の改善も並行し、妊娠しやすい体質づくりに専念しました。
転院先での初めての採卵は大学病院時代よりはるかに多い数の受精卵を作り出すことができ、1回目の移植で見事に妊娠しました。転院してからたった8カ月での妊娠でした。
大学病院にいたころは、主治医の機嫌を伺うことが多く、会うたびに憂鬱になっていました。しかし、転院先の先生はとても温厚で優しく、ストレスのない不妊治療を実施してくれました。先生との相性は意外に大事です。先生との信頼関係により、治療でも悪い結果を生み出してしまうこともあるので、思い切って転院して正解でした。そして転院先の病院で、妊娠41週目にして身長49cm、体重3156gの健康な男の子を出産しました。本当に先生には感謝しかありません。
[ミッキ*プロフィール]
現在、34歳の主婦兼在宅ライターとして働いています。1歳半の息子の育児に奮闘しながら、家事と在宅での仕事をしています。
今春から息子は一時保育にお世話になり、見送りの際は号泣されています。
そんな母は、ライター業に育児に家事に、今日も頑張ります!
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。