Yahoo! JAPAN

「マ・ドンソクの鉄拳」だけじゃ解決できない?『悪魔祓い株式会社』が“意外に真面目”な理由を監督が語る

映画評論・情報サイト BANGER!!!

「マ・ドンソクの鉄拳」だけじゃ解決できない?『悪魔祓い株式会社』が“意外に真面目”な理由を監督が語る

「あれ? こんなに真面目な映画なんだ」

“マ・ドンソクと悪魔が対決する”と聞けば、当然のように「マブリーが悪魔をぶん殴って除霊する爽快な映画」を想像してしまう。しかし『悪魔祓い株式会社』は、一筋縄ではいかない作品だった。

確かにマブリーは拳を振るう。しかも彼の“除霊パンチ”を食らった悪魔憑きは、火花を散らしながら吹き飛ばされる。しかし――。

『悪魔祓い株式会社』©2025 LOTTE ENTERTAINMENT & BIG PUNCH PICTURES & NOVA FILM AllRights Reserved.

舞台は、悪魔崇拝カルト教団によって混乱する韓国。禍々しい力を前に、警察も聖職者もまるで歯が立たない。そこで登場するのが、マッチョな社長バウ(マ・ドンソク)が経営する「悪魔祓い株式会社」だ。

同社は、バウ、霊能力者シャロン、情報屋キムの3人が協力し、“悪魔を祓う”ことを専門に請け負う業者である。キムが顧客を徹底的に調査し、シャロンが悪魔祓いの儀式を執り行う。その間、儀式を妨害しようと群がってくる者たちを、バウが鉄拳制裁で制圧する――そんな役割分担だ。

『悪魔祓い株式会社』©2025 LOTTE ENTERTAINMENT & BIG PUNCH PICTURES & NOVA FILM AllRights Reserved.

ある日、医師ジョンウォンから「悪魔憑きとなった妹ウンソを救ってほしい」という依頼が舞い込む。調査を進めるうち、彼らはソウル各地に散在する失踪事件の連鎖、冒涜された教会、そして隠された儀式の場という、忌まわしい共通点を突き止めていく。

その過程で、バウは過去の悪夢に苛まれ、シャロンは悪魔の幻惑によって信仰を揺さぶられ、キムは疎遠だった父親が、かつてこのカルトの前身組織に関わっていた事実を知る――。

『悪魔祓い株式会社』©2025 LOTTE ENTERTAINMENT & BIG PUNCH PICTURES & NOVA FILM AllRights Reserved.

イム・デヒ監督に聞く“違和感”の正体

物語は、冒頭に爽快なエピソードを配置しつつ、中盤以降で困難に直面していく。いわば“仕事屋”もののフォーマットに沿った構成だ。とはいえ本作は、マブリーのアクションに比重を置いた作品ではない。

漫画的な魅力を持つキャラクターたちのエピソードを丁寧に配分し、宗教的観点も欠かさず盛り込む。驚くほど細かく悪魔祓いの“段階”を説明し、それぞれの局面で何が起き、バウたちがどう打開するのかを描いていく。あくまで物語の軸にあるのは、“悪魔祓い”と人間ドラマなのだ。

撮影メイキング『悪魔祓い株式会社』©2025 LOTTE ENTERTAINMENT & BIG PUNCH PICTURES & NOVA FILM AllRights Reserved.

多くの出演作で「ワンパンですべてを解決する」存在だったマ・ドンソクだが、本作は「マブリーが拳で全てを解決できない」稀有な一本となっている。

では、この違和感はどこから来たのか。物語の設計、その背後にある思想を辿っていく必要がある。監督・脚本のイム・デヒに聞いた。

イム・デヒ監督

「子どもの頃から日本のアニメを見てきたオタクなんです」

――最初に印象的だったのが、チーム構成です。正直に言うと、とても“ゲームっぽい”と感じました。強い人がいて、癒やす人がいて、サポート役がいる。これは、現代的なヒーローチームものとしての設計なのか、それともエクソシズムや信仰の中における役割分担を象徴的に配置した結果なのか、どちらでしょうか?

両方あると思っています。ただ正直に言うと、私はゲーム自体にはあまり興味がなくて、ほとんどプレイしません。その代わり、子どもの頃から日本のアニメを見てきた、いわゆるオタクなんです。しかもジブリ系ではなく、『CLAYMORE』のようなダークでマニアックな作品です。

子どもの頃からそういう作品に触れてきた結果、無意識のうちに「キャラクターにはこういう役割があるべきだ」という枠組みが、自分の中にできていたんだと思います。日本のアニメには、物理的に強い人がいて、魔法を使う人がいて、最初からその構図が設定としてありますよね。

今回はそこに、キリスト教的なエクソシストの世界観と、東洋的なシャーマニズムの感覚、この二つを出会わせたいと思いました。ただ、この二人は天才ではあっても、二人だけですべてを成し遂げられるわけではありません。記録して、追跡して、残す人間が必要だった。それで三人になった、という感覚です。

『悪魔祓い株式会社』©2025 LOTTE ENTERTAINMENT & BIG PUNCH PICTURES & NOVA FILM AllRights Reserved.

「彼らは善と悪を同時に内包している人物」

――バウ、シャロン、キムの三人は、どこか明るさに欠ける人物ですよね。それぞれが立場や信仰を抱えていて、揺らぎそうな部分もかなり強い。撮っていて、そこをもっと掘り下げたいと思われたことはありませんでしたか?

正直に言うと、映画という表現の中で、すべてを画として見せることはできないと思っています。この作品は、ある程度マニアックな観客を想定して作っているので、キャラクターたちが「何かを抱えている」ことが伝わればいい、という判断をしました。

『悪魔祓い株式会社』©2025 LOTTE ENTERTAINMENT & BIG PUNCH PICTURES & NOVA FILM AllRights Reserved.

もちろん、それぞれに明確なビハインドストーリーはありますが、それらをすべて映画の中で説明することはできません。だからこそ、できる限り凝縮した形で見せる、という選択をしました。

バウという人物はキリスト教的な世界観を背負ったキャラクターであり、シャロンは東洋的な司祭、あるいはシャーマニズム的な存在です。この二人を組み合わせたときに、どんな相乗効果が生まれるのかについては、制作中ずっと考え続けていました。

『悪魔祓い株式会社』©2025 LOTTE ENTERTAINMENT & BIG PUNCH PICTURES & NOVA FILM AllRights Reserved.

映画では序盤や中盤で背景を詳しく描くことはできませんでしたが、ラストでわずかに示すことで、「彼らは善と悪を同時に内包している人物なのだ」ということが伝わればいいと考えています。

映画で描ききれなかった部分については、実は韓国ではウェブマンガがありまして、そちらで詳しく描かれています。連載は今も続いているんですが(編集部注:2025/12/10時点)、そこではキャラクターの内面や背景がもう少し踏み込んで描かれています。映画ではそうした要素をすべて語るのではなく、あくまで凝縮したかたちで提示する――その判断を取りました。

「悪魔祓い株式会社:THE ZERO」書影
作品URL:https://manga.line.me/product/periodic?id=Z0003980

「東洋における善と悪は、本質的に共存するものだと考えています」

――監督ご自身がギーク、あるいはオタクだとおっしゃっている以上、この作品には相当な思いや信念が込められているのだろうと感じました。そこで改めて伺いたいのが、この作品における「悪」とは何なのか、という点です。最終的に悪を滅ぼすというよりも、解き放つ、あるいは封じ込める、という感覚が強く残りました。この捉え方は、韓国的な悪の概念を意識したものなのでしょうか。それとも、時代を超えて社会の中に共存する「悪」として描いた結果なのでしょうか。

この話は少し長くなるかもしれませんが、私は若い頃から善と悪について強い関心を持ち、研究を続けてきました。実際、この分野で博士号も取得しています。

まず、西洋キリスト教における善悪観では、悪魔という存在は太古の昔から人間よりも上位に存在しており、人の力で殲滅することはできません。できるのは、追放するか、封印することだけです。

撮影メイキング『悪魔祓い株式会社』©2025 LOTTE ENTERTAINMENT & BIG PUNCH PICTURES & NOVA FILM AllRights Reserved.

一方、韓国を含む東洋的な感覚における善と悪は、善から悪へ、悪から善へと変化し得る、人間の内側に存在するものとして捉えられてきました。かつては「恨みを解けば終わる」という描かれ方が多かったのですが、次第に悪そのものが人格化され、人間として描かれるようになっていきました。私は、東洋における善と悪は、本質的に共存するものだと考えています。

この映画で描いている悪魔は、西洋的な悪魔として設定しています。だからこそ、滅ぼすことはできず、追放するか封印するしかない存在として描きました。悪というものは、遠く離れた別世界にあるようでいて、同時に人間の内側にも存在しています。善と悪の間で揺れ動く葛藤を内包した存在として描いたのが、バウとシャロンというキャラクターです。

『悪魔祓い株式会社』©2025 LOTTE ENTERTAINMENT & BIG PUNCH PICTURES & NOVA FILM AllRights Reserved.

「幼い頃から日本のアニメに親しんできた自分にとって、鮮やかな色彩は自然なこと」

――西洋的な悪魔は滅ぼせない存在だとおっしゃいましたが、その思想は映像や美術設計にも強く表れているように感じました。舞台の多くが屋内、つまり「家」という空間で描かれていますよね。制御可能な空間だからこそ、相当なこだわりがあったのではないでしょうか。

今回の家は「最初から悪魔が住んでいた家」として設定したわけではありません。エクソシズム映画の歴史を振り返ると、悪魔を追い払う側は、ほとんどの場合が失敗します。それでも彼らは生き残る。では、失敗し続けてきた悪魔やその追随者は、どんな方法を取るのか。そこから考え始めました。

撮影メイキング『悪魔祓い株式会社』©2025 LOTTE ENTERTAINMENT & BIG PUNCH PICTURES & NOVA FILM AllRights Reserved.

西洋的な考え方では、家や空間そのものを一つの生命体として捉えることがあります。エンディングのアクションシーンに登場する東洋的な樹、巨大な針葉樹のイメージは、東洋的な自然観と西洋的な悪魔を結びつけるためのものです。あの家は、スイッチひとつで変わる魔法の空間ではなく、長い時間をかけて悪魔がウンソの魂に染み込んでいくために作られた場所なのです。

『悪魔祓い株式会社』©2025 LOTTE ENTERTAINMENT & BIG PUNCH PICTURES & NOVA FILM AllRights Reserved.

色彩についてですが、私は独立映画の頃から、ホラーであっても画面の美しさを大切にしてきました。東洋文化への関心も強く、特にシャーマンのまとう鮮やかな色彩には強く惹かれています。幼い頃から日本のアニメに親しんできたこともあり、この色使いは自分にとって自然で、正しい表現だと感じています。

暗く重たい色調で恐怖を演出することもできますが、私は強い色彩や照明によって「楽しめる恐怖」を提示したかった。メッセージ性と同じくらい、エンターテインメント性も大切にしています。

撮影メイキング『悪魔祓い株式会社』©2025 LOTTE ENTERTAINMENT & BIG PUNCH PICTURES & NOVA FILM AllRights Reserved.

「マ・ドンソクさんとは何度も話し合い、衝突もしました」

――最初にこの映画の企画を聞いたとき、正直「マ・ドンソクが拳で悪魔を倒す映画」だと思っていました。しかし作品を観て、さらに監督の話を聞くうちに、これは単なるパワーアクションではなく、エクソシズムそのものをテーマにしたホラー映画なのだと理解しました。そこで最後に伺いたいのが、マ・ドンソクさんとのやり取りについてです。

本当に何度も話し合いました。かなりの回数、衝突もしました。本作で描いている「悪」は、悪魔であれ、悪魔に憑依された人間であれ、どこかに人間性を基盤として持った存在です。もし悪魔を完全に神格化してしまうと、マ・ドンソクさん自身も神のような存在にならざるを得なくなり、世界観が崩れてしまうと感じました。

これまでのマ・ドンソク作品と同じものを期待する観客がいることも理解しています。ただ、そのイメージがあるからこそ、この作品ならではの魅力が生まれると信じていました。俳優でありプロデューサーでもある彼と、オカルトやシャーマニズム、そして「悪」をどう衝突させずに融合させるか。その点について、長い時間をかけて議論して作り上げたのが本作なのです。

撮影メイキング 『悪魔祓い株式会社』©2025 LOTTE ENTERTAINMENT & BIG PUNCH PICTURES & NOVA FILM AllRights Reserved.

『悪魔祓い株式会社』は、マ・ドンソク映画の文脈に寄りかかりながら、その期待を静かに裏切ってくる作品だ。拳は振るわれるが、万能ではない。悪は祓われるが、消えはしない。ヒーローはいるが、神にはならない。「マブリーが悪魔を殴る映画」を期待すると、肩透かしを食うかもしれない。

だが、“殴って終われない悪”をどう扱うかという問いに正面から向き合ったエクソシズム映画として捉え直したとき、本作は極めて誠実で、思索的な一本として立ち上がってくる。爽快さの裏に残る、奇妙な居心地の悪さ――その違和感こそが、『悪魔祓い株式会社』の正体なのだ。

『悪魔祓い株式会社』©2025 LOTTE ENTERTAINMENT & BIG PUNCH PICTURES & NOVA FILM AllRights Reserved.

取材・文:氏家譲寿(ナマニク)

『悪魔祓い株式会社』は12月12日(金)より全国公開

【関連記事】

おすすめの記事