「国連」設立から80年。たどった歴史と現在の問題
ニュースキャスターの長野智子がパーソナリティを務める「長野智子アップデート」(文化放送・月曜日15時~17時、火~金曜日15時~17時35分)、10月29日の放送に毎日新聞論説委員でノンフィクション作家の小倉孝保が出演。設立から80年経った、国連こと国際連合の歴史と現状について解説した。
小倉孝保「僕は本当に国連に思い入れがありましてね。ニューヨーク(支局)時代も3年間、ビシッと国連本部のほうに毎日のように通って取材していた。ちょうどイランの核問題、北朝鮮の核問題があって。世界がどう対応していくのか、というころでした」
長野智子「はい」
小倉「当時はオバマ政権が始まったときだったので国際協調を重視、という流れができていた。アメリカも国連を重視していたし。日本もちょうど安保理の非常任理事国のメンバーだった。あの国連が80年経ったか、という感じです」
長野「なるほど。皆で協力して国際ルールを守っていきましょう、という集合体ですもんね」
小倉「第一次世界大戦のあと、1920年に国際連盟というものができました。でも国際連盟ってアメリカが加わらなかったこともあるけど、始まって15年ぐらいしか、まともな活動ができなかったんです。1933年に日本も脱退しているし。その反省もあって第二次世界大戦の最中に、イギリスのチャーチルとアメリカのルーズベルトが話し合って。この戦争が終わったら、戦勝国が考えて、国際秩序をきちっと守って、争いごとは戦争じゃなくて話し合いで決めていこう、と」
長野「はい」
小倉「国際連盟よりももっと権限を持たせたものをつくろう、といってできたものなんです。1945年にナチス・ドイツが崩壊して、ドイツが負けました。そこから具体的な国際連合づくりが始まっていって。1945年10月24日に発足したんですね」
長野「もちろん勝利国でね」
小倉「国際連合って日本語で言いますけど、英語だとUnited Nationsじゃないですか。連合国なんですよ。日本が戦っているときから、国際連合づくりが始まっていた。当時の新聞なんかを読むと、連合国側が国際機関をつくる話し合いをしている、とチラッと出ている」
長野「なるほど」
小倉「そのまま連合国という国際組織になったら、日本は敗戦側から勝ったほうの連合国に加わる、というのに躊躇するところもあったと思うけれど、外務省は国際連合という訳語をつけたらしいんです」
長野「そうやって日本語のトリックをうまく使っていた。そもそも志が早くから崩れ始めていたんですか?」
小倉「いちばん難しかったのって冷戦のときだったと思います。国連って基本、いちばん中心になって本当に権限を持っているのは安全保障理事会なんです。よく言われるように安全保障理事会では、前の戦争に勝った5ヶ国が拒否権を持っていて、5ヶ国が反対したら決議は通らないわけです。冷戦時代というのはソ連とアメリカが両陣営に分かれて敵対しているから、何も決議が通らない時代がたくさんだった。通りにくいと思った決議は出さない、みたいな話になっていたんです」
長野「はい」
小倉「冷戦が1991年に終わって90年代にはいろんなことが動き出していく。でもここ3年ぐらいですね。ロシアがウクライナに侵攻し、常任理事国であるロシアが戦争の当事者になって。しかもガザ問題でイスラエルを支持しているアメリカが常任理事国だから、決議が通るはずがないんです」