切迫早産で自宅安静生活!情報収集は“ネット”をフル活用
小学生2人の子を持つ、ママライターのマーガレットです。結婚は31歳、妊娠は33歳の時でした。「安定期まではなるべく安静に…」と過ごしたのに、安定期に行ったウォーキングが引き金で、切迫早産になってしまいました。前回は、その時のことについてお話しましたが、今回は、安静が必須となった、その後の妊娠生活についてお話します。
赤ちゃんの状態は?自宅で一人は不安で早めの里帰り
切迫早産での入院生活は、妊娠28週目まで40日間続きました。退院の許可は降りましたが、「家でも安静に!」と言われ、張止め薬の服用継続が退院の絶対条件となりました。
自宅に帰ってからは、当たり前ですが内診も心音チェックもありません。赤ちゃんが今どんな状態なのか、分からないことが心配でした。それに、食事の支度やトイレ・入浴などで動くと、おなかがキューッと張ってきて、その度に不安になっていました。
タクシー会社の電話番号を調べ、もし何かあってもすぐ病院に行けるように準備をしていましたが、やはり自宅に一人でいるのは私も家族も気が気でなかったので、予定を早めて実家の母の元でお世話になることしました。
転院の不安も、頼もしい医療環境とスタッフに和らぐ
もともと里帰り出産をするつもりで、早めに実家近くの病院で予約をしていたので、出産する病院探しでアタフタすることはありませんでした。入院していた病院で紹介状をもらい、出産予定の病院へとスムーズに転院できましたが、やはり今までの経緯を知っている病院から移ることには、漠然とした不安がありました。
ところが、転院先の病院は「NICU(新生児集中治療室)」がある大きめの産科だったので、妊娠トラブルを抱えた妊婦さんが多く、先生や助産師さんは「切迫早産ね。大丈夫!大丈夫!!」という頼もしい方ばかりで、不安は和らぎました。
里帰りしても…絶対安静&張止め薬服用の日々
里帰りをしてからも、絶対安静&張止め薬服用は続きました。トイレ・入浴以外は横になっていましたが、自宅に一人でいるよりは気持ちも楽になりました。
食事の支度も必要なくなったので、本当にぐーたらな生活をさせてもらい申し訳ない気がしてしまいました。が、病院の先生に「赤ちゃんにとってはお母さんのおなかの中が一番良い環境なんだから、なるべく長くおなかの中で育ってもらえるように安静にしていなさい」と言われ、「退屈だけど、じっとしているのも母親の大事な役目なんだ」と気持ちを切り替えました。
ただ、1日中横になってばかりだったので、腰痛には悩まされました。ネットで先輩ママの体験談などを見て「抱きまくらがいい」いうクチコミに「ほんと~?」と半信半疑でしたが、試してみたところこれが快適でした。
やることがなかった私は、しょっちゅう“切迫早産”“張り”などのキーワードで検索をして、切迫早産を乗り越えて無事に出産した方の体験談を読み「私もきっと大丈夫!」と励まされていました。
出産グッズと赤ちゃん用品は、ネット通販で効率的に
いつになったら安静生活から解放されるのか、先が見えない状況だったので、出産グッズや赤ちゃん用品を買いに出掛けるのを諦め、ネット通販で探しました。
時間がたくさんあったので、いろいろなサイトを見比べ、出産グッズや赤ちゃんの肌着などを買い揃えていきました。
他にも、ベビーベッドのレンタルを手配したり、赤ちゃんの姓名判断を申し込んだり…。結果的に、自分の足で見て回るよりも効率的に準備を進められたと思います。
このころ私の母も体調があまり良くなく、出かけられなかったので、一緒にネットを見て赤ちゃんの服を選んだりと楽しんでいました。母はこの1年半後に亡くなってしまったのですが、この安静の日々の中で親子水入らずの時間を過ごせ、本当に貴重な時間を持つことができました。
切迫早産になってしまったことは予定外のハプニングでしたが、決して悪いことばかりではなかったと思っています。
[マーガレット*プロフィール]
育児と仕事と家事に追われている43歳の主婦です。一昨年、職業訓練校でアロマセラピストの資格を取り、日々の生活に精油を取り入れています。夏休みに『親子でハンドトリートメント講座』を開催すべく勉強中です。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。