未解決の絵画ミステリー4つ紹介!お尻に描かれた楽譜?反射に隠された自画像?
美術史の教科書には載っていない話があります。名画の表面下に隠された別の絵、画家自身が仕込んだ暗号、誰が描いたのか未だに論争が続く作品、そして未解決のまま残る盗難事件。 これらはすべて実在する美術史のミステリーです。 今回は、何世紀も経った今でも専門家たちを悩ませ続けている絵画の謎を、短編集のような形で紹介していきます。
絵画ミステリー①:ワインカラフェに潜む画家の顔――カラヴァッジョの隠された自画像
カラヴァッジョ『バッカス』, Baco, por Caravaggio
17世紀イタリアの画家カラヴァッジョ(1571-1610)は、その劇的な光と影の表現で知られる一方、激しい気性でも有名でした。実際、1606年にはローマで口論の末に男性を殺害し、教皇から死刑宣告を受けて逃亡生活を送ることになります。
しかし、彼の作品に隠されたもう一つの秘密は、つい最近まで気づかれることがありませんでした。
フィレンツェのウフィツィ美術館が所蔵する《バッカス》(1597年頃)は、ローマ神話の酒の神を描いた作品です。半裸の若い男性がワイングラスを差し出し、テーブルには果物かごとワインカラフェ(水差し)が置かれています。
この絵は長年、カラヴァッジョの初期の傑作として知られていましたが、2009年に赤外線反射法という技術を使った調査が行われると、驚くべき発見がありました。前景のワインカラフェに映り込んだ光の反射の中に、絵筆を持ってイーゼルに向かう人物の姿が確認されたのです。
フィレンツェの石材修復研究所の研究者たちによれば、これは25歳頃のカラヴァッジョ自身の姿だと考えられています。実はこの自画像は1922年に作品の洗浄作業中に一度発見されていたのですが、その後の不適切な修復により、肉眼ではほとんど見えなくなっていました。最新技術によって、画家が意図した通りの姿が初めて明確に捉えられたわけです。
カラヴァッジョは他の作品でも自画像を描き込むことで知られています。ボルゲーゼ美術館所蔵の《ダビデとゴリアテの首》(1609-1610年頃)では、切り落とされたゴリアテの首が画家自身の顔として描かれています。
これは殺人の罪悪感を表現したものだと広く考えられており、剣に刻まれた「H-AS O.S」という文字は、ラテン語の「humilitas occidit superbiam(謙虚さは傲慢を殺す)」の頭文字だとする説があります。カラヴァッジョにとって、自画像は単なる自己顕示ではなく、懺悔や内省の手段だったのかもしれません。
また、《エマオの晩餐》(1601年頃)では、テーブルの端にある果物かごから突き出た枝が、初期キリスト教のシンボルである魚の形を巧妙に作り出しています。当時のキリスト教徒が迫害を恐れて使った秘密の記号を、カラヴァッジョは何気ない静物の一部として描き込んでいたのです。
絵画ミステリー②:鏡に映る証人――アルノルフィーニ夫妻像の記号論争
ヤン・ファン・エイク『アルノルフィーニ夫妻像』, Van Eyck - Arnolfini Portrait
初期フランドル派の巨匠ヤン・ファン・エイク(1390-1441年)が1434年に描いた《アルノルフィーニ夫妻像》は、ロンドンのナショナル・ギャラリーが誇る至宝であると同時に、美術史上最も議論を呼ぶ作品の一つです。この絵は一見、裕福な商人とその妻を描いた肖像画に見えますが、細部を見ていくと無数の謎が浮かび上がってきます。
まず、描かれている人物が誰なのかという基本的な問題から議論が分かれています。長年、イタリア商人ジョヴァンニ・ディ・ニコラオ・アルノルフィーニとその妻コスタンツァ・トレンタだと考えられてきましたが、トレンタは1433年に出産時に亡くなっており、絵に記された日付より1年前です。
これにより、この絵が追悼の意味を持つ記念肖像画である可能性や、別の女性が描かれている可能性が指摘されています。
女性が妊娠しているように見えることも長年の議論の対象でした。しかし、これは15世紀フランドルの服装様式で、前部に布を集めたドレスを着ているだけだと現在では考えられています。むしろ、豊穣や子孫繁栄の象徴的な表現だったのでしょう。
絵の中央、夫妻の背後にある凸面鏡は、この作品の最も魅力的な要素の一つです。鏡には部屋全体が映り込んでおり、驚くべきことに、入口に立つ二人の人物まで描き込まれています。この二人は誰なのか。
一人はファン・エイク自身で、もう一人は証人だという説が有力です。鏡の周囲には、キリストの受難を描いた10個の小さなメダルが配置されており、これ自体が驚異的な技術の証です。
さらに興味深いのは、鏡の上の壁に書かれた文字です。「Johannes de eyck fuit hic 1434」(ヤン・ファン・エイクはここにいた、1434年)というラテン語の文章は、まるで壁に直接書かれたかのように描かれています。これは単なる署名ではなく、画家が証人として立ち会ったことを示す法的文書のような役割を果たしているのかもしれません。
20世紀の美術史家エルヴィン・パノフスキー(1892-1968)は、絵の中の物品すべてに宗教的な隠された象徴があると主張しました。犬は忠実さを、オレンジは純潔を、シャンデリアの一本の蝋燭は神の全能の目を、赤いベッドは繁栄を象徴するというのです。
しかし、この解釈に対しては批判もあります。1986年には、他の美術史家がこれらの物品が単に当時の裕福な家庭の日常を反映しているだけかもしれないと指摘しました。象徴なのか現実なのか、それとも両方なのか。この論争は今も続いています。
興味深いことに、男性側のシャンデリアには火が灯っているのに、女性側は消えているという細部も、様々な解釈を生んでいます。もし妻がすでに亡くなっていたとすれば、これは生者と死者を象徴しているのかもしれません。
絵画ミステリー③:地獄の楽譜――ボスの「尻の音楽」
ボス《快楽の園》, The Garden of Earthly Delights by Bosch High Resolution
オランダの画家ヒエロニムス・ボス(1450年頃-1516)の三連祭壇画《快楽の園》(1495-1505年頃)は、マドリードのプラド美術館を訪れる人々を何世紀にもわたって魅了してきました。
左パネルには原罪以前のエデンの園、中央パネルには罪に耽る裸の人々、そして右パネルには地獄の光景が描かれています。この地獄のパネルには、巨大な楽器による拷問シーンが多数描かれていますが、2014年に一人の大学生によって注目を集めた細部があります。
オクラホマ・クリスチャン大学で学んでいたアメリア・ハムリックは、人文学の授業でこの絵を研究していた際、地獄のパネルに描かれた罪人の尻に楽譜らしきものが書かれていることに気づきました。
ボス《快楽の園》拡大(楽譜は左上), Hieronymus Bosch - The Garden of Earthly Delights - Prado in Google Earth-x4-y2
彼女は深夜1時頃、約30分かけてこの「楽譜」を現代の記譜法に翻訳し、自身のTumblrページに投稿しました。彼女の投稿は瞬く間に拡散され、CNNのインタビューを受けるまでに至りました。この「500年前の尻の歌」は、リュート、ハープ、ハーディ・ガーディ(中世の弦楽器)で演奏され、様々なバージョンがYouTubeに投稿されています。
しかし、この発見には問題があります。音楽史の専門家たちが指摘するように、この「楽譜」には音部記号(clef)がなく、音部記号なしでは音の高さを特定することができません。
さらに詳しく調べると、これはグレゴリオ聖歌の記譜法ではなく、Strichnotation(シュトリヒ記譜法)という中世の記譜システムを模倣した「偽物の楽譜」だということが明らかになりました。
音楽史家Ian Pittaway(イアン・ピタウェイ)の詳細な研究によれば、ボスは《The Garden of Earthly Delights》だけでなく、他の作品でも読めない偽の楽譜を描いています。
では、なぜボスはこのような「楽譜」を描いたのでしょうか。
答えは、絵全体のテーマに関係しています。ボスの地獄では、音楽は罰として描かれています。リュート奏者は蛇に縛られ、ハープ奏者は自分のハープに磔にされ、合唱団は沈黙させられています。楽器は演奏不可能になるか、耐え難い大音量で鳴らされるか、単調な音しか出せなくなっています。
尻に書かれた楽譜も、読むことも歌うこともできない音楽です。中世では、音楽、特に世俗音楽は道徳的に疑わしいものと見なされることがありました。ボスにとって、地獄における音楽は喜びではなく苦痛の源だったのです。
ハムリックの「発見」は、技術的には誤りでしたが、何世紀も前の絵画に現代の人々の関心を集めたという点では成功でした。彼女自身も「これがこんなに大きな話題になるなんて信じられない」とコメントしています。ボスの絵は、現代においても新たな解釈と議論を生み出し続けているのです。
絵画ミステリー④:消えた名画――イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館強盗事件
イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館 盗まれたレンブラント作品の額縁, The stolen Rembrandt frames
現代美術史における最大のミステリーの一つは、絵画そのものではなく、絵画の盗難事件です。1990年3月18日の早朝、ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館で史上最大規模の美術品強盗事件が発生しました。
午前1時24分、警察官の制服を着た2人の男がインターホンを鳴らし、「騒動の通報を受けた」と告げました。当直の警備員は規則を破ってドアを開け、男たちを中に入れてしまいます。強盗たちは2人の警備員を地下室で手錠と粘着テープで拘束し、その後81分間にわたって美術館内を物色しました。
彼らが盗んだのは13点の芸術作品です。レンブラントの《ガリラヤの海の嵐の中のキリスト》と《黒衣の紳士淑女》、フェルメール《合奏》、マネの《トルトーニ》、ドガの素描5点などです。フェルメールの作品は世界に36点(現在確認されているのは34点)しか存在せず、《合奏》は現在行方不明の絵画の中で最も価値が高いとされています。
強盗たちは絵画を額縁から切り取るという乱暴な方法で盗み出しました。これは、彼らが美術品の扱いに慣れていなかったことを示唆しています。午前2時45分、2回に分けて作品を車に運び込んだ後、犯人たちは姿を消しました。警備員が発見されたのは午前8時15分のことでした。
盗まれた作品の総額は当時の評価で2億ドル、現在では5億ドル以上に相当するとされています。美術館は作品の無事な返還につながる情報に対して1,000万ドルの報奨金を提供しており、これは民間機関が提供する報奨金としては史上最高額です。しかし、35年が経過した現在も、一点も回収されていません。
FBIは長年この事件を捜査してきました。2013年には、犯人たちの身元を特定したと発表しましたが、具体的な名前は明かされず、作品の行方も分かりませんでした。
捜査の焦点は当初からボストンのマフィア組織に当てられてきました。事件当時、ボストンのマフィアは内部抗争の真っ最中で、盗難は組織の幹部を刑務所から釈放させるための交渉材料として計画されたという説があります。
有力な容疑者の一人だったボビー・ドナティは強盗事件の1年後に殺害されました。また、別の容疑者も死亡しています。
2022年には、マフィアのメンバーだったジミー・マークスが事件の数日前に盗まれた絵画2点を所持していたと自慢していたという新たな情報が浮上しましたが、マークス自身は1991年に暗殺されています。
美術館の創設者イザベラ・スチュワート・ガードナーは、遺言で美術館のコレクションを一切変更してはならないと定めていました。そのため、盗まれた作品が飾られていた場所には、今も空の額縁が掛けられています。
これは単なる展示方法ではなく、失われたものへの追憶と、いつか作品が戻ってくることへの希望の象徴です。美術館を訪れる人々は、その空白を見つめながら、どこかに存在するはずの名画に思いを馳せることになります。
終わりに
これらの謎は、美術作品が単なる視覚的な美しさを超えた存在であることを示しています。隠された自画像、解読不可能な記号、偽の楽譜、そして空の額縁。画家たちが何を伝えようとしたのか、あるいは伝えようとしなかったのか。盗まれた作品は今どこにあるのか。これらの問いに対する答えは、未だ完全には明らかになっていません。
美術史におけるミステリーは、研究者たちに新たな発見の機会を与え続けています。2009年のカラヴァッジョの自画像の発見のように、新しい技術が長年隠されていた秘密を明らかにすることもあります。一方で、アルノルフィーニ夫妻像の解釈のように、新しい証拠が見つかるたびに解釈が変わり、むしろ謎が深まることもあります。
ボスの「尻の楽譜」のエピソードが示すように、時には誤った解釈が広まることもありますが、それでも多くの人々が古い作品に関心を持つきっかけになります。そして、ガードナー美術館の空の額縁は、美術品の物理的な存在がいかに脆弱で、同時にかけがえのないものであるかを思い出させてくれます。
これらの謎は、おそらく完全には解明されないでしょう。しかし、それこそが美術の魅力の一部なのかもしれません。完璧な答えがないからこそ、私たちは何度でも作品の前に立ち、新しい視点で見つめ直すことができるのです。
参考文献・出展
カラヴァッジョの隠された自画像について
Art-Test (2025). "Caravaggio: discovery of self-portrait in Bacco" https://www.art-test.com/en/project/bacco-discovery-one-caravaggios-self-portrait/
The Art Newspaper (2021). "Technology reveals Caravaggio self-portrait" https://www.theartnewspaper.com/2009/11/01/technology-reveals-caravaggio-self-portrait
ArtMajeur Magazine (2021). "Masterpieces explained: Caravaggio's Bacchus" https://www.artmajeur.com/en/magazine/5-art-history/masterpieces-explained-caravaggio-s-bacchus/330503
Christian Science Monitor (2009). "Italy: Is that Caravaggio hiding in that painting?" https://www.csmonitor.com/World/Global-News/2009/1203/italy-is-that-caravaggio-hiding-in-that-painting
アルノルフィーニ夫妻像について
Wikipedia. "Arnolfini Portrait" https://en.wikipedia.org/wiki/Arnolfini_Portrait
My Modern Met (2023). "How to Decipher the Symbolism in Jan van Eyck's Famous 'Arnolfini Portrait'" https://mymodernmet.com/arnolfini-portrait/
History Hit. "'The Arnolfini Portrait': Jan van Eyck's Most Mysterious Painting?" https://www.historyhit.com/the-arnolfini-portrait-jan-van-eycks-most-mysterious-painting/
Giselle daydreams (2024). "Unlocking the enigmas behind The Arnolfini Portrait" https://giselledaydreams.substack.com/p/the-arnolfini-portrait
JSTOR (2017). "The many questions surrounding Jan Van Eyck's Arnolfini Portrait" https://about.jstor.org/blog/the-many-questions-surrounding-jan-van-eycks-arnolfini-portrait/
ヒエロニムス・ボスの音楽記譜について
Early Music Muse (2021-2025). "Jheronimus Bosch and the music of hell" (Part 1-3) https://earlymusicmuse.com/bosch1/ https://earlymusicmuse.com/bosch2/ https://earlymusicmuse.com/bosch3/
Hyperallergic (2014). "Excavating the Music Hidden in Bosch's 'Garden of Earthly Delights'" https://hyperallergic.com/109033/excavating-the-music-hidden-in-boschs-garden-of-earthly-delights/
Daily Art Magazine (2024). "Listen to the Butt Music on Hieronymus Bosch's Garden of Earthly Delights" https://www.dailyartmagazine.com/bosch-butt-music-garden-earthly-delights/
Art Sprouts (2025). "The Art Detective: Unraveling The Mysteries Of Bosch's The Garden Of Earthly Delights" https://artsproutsart.com/bosch-the-garden-of-earthly-delights-mysteries-symbolism/
ガードナー美術館強盗事件について
Wikipedia. "Isabella Stewart Gardner Museum theft" https://en.wikipedia.org/wiki/Isabella_Stewart_Gardner_Museum_theft
FBI (2025). "Isabella Stewart Gardner Museum Heist" https://www.fbi.gov/history/famous-cases/isabella-stewart-gardner-museum-heist
Isabella Stewart Gardner Museum. "The Theft" https://www.gardnermuseum.org/about/theft-story https://www.gardnermuseum.org/organization/theft
Smithsonian Magazine (2023). "Five Things to Know About the Gardner Museum Heist—the Biggest Art Theft in Modern History" https://www.smithsonianmag.com/smart-news/five-things-know-about-isabella-stewart-gardner-art-heist-180977448/
Smithsonian Magazine (2022). "A Tantalizing Clue Emerges in the Unsolved Gardner Museum Art Heist" https://www.smithsonianmag.com/smart-news/a-new-clue-emerges-in-the-gardner-museum-art-heist-saga-180979651/
Boston Public Library (2021). "Boston's Greatest Unsolved Mystery: The Gardner Museum Art Heist" https://www.bpl.org/blogs/post/bostons-greatest-unsolved-mystery-the-gardner-museum-art-heist/
Boston.com (2025). "What to know about the Gardner Museum heist, 35 years later" https://www.boston.com/news/local-news/2025/03/18/what-to-know-about-the-gardner-museum-heist-35-years-later/
その他の参考文献
Spyscape. "15 Incredible Secrets Hidden in Art Masterpieces" https://spyscape.com/article/incredible-secrets-hidden-in-art-masterpieces
Be Amazed. "Secrets in Famous Paintings" https://beamazed.com/article/secrets-in-famous-paintings