「噺家も心を曲げなければいけなかった」語り継がれる戦争と落語の関係
ニュースキャスターの長野智子がパーソナリティを務める「長野智子アップデート」(文化放送・月曜日~金曜日15時30分~17時)、8月14日の放送に落語・林家三平が登場。昭和16年ごろの国策落語『出征祝』を披露した。この記事では、披露後のトークの模様を一部抜粋する。
林家三平「(国策落語『出征祝』について)本当に笑えないような噺なんですけど、やらざるを得なかったという。当時の噺家さんの思いが伝わってくるような感じですね」
長野智子「まさにおじいさまの七代目林家正蔵師匠が、この国策落語をされていたと」
三平「53の禁演落語ができなくなる、53も噺がなくなるようじゃダメだと当時の大本営に言われて。戦意高揚のために作るしかなかったんです」
長野「終わるとお客さんもワッと拍手を?」
三平「そう、『日本、勝つんだ!』と。『献金しましょう』なんて言って、ケチな人たちが失敗していくのがおもしろい噺なのに、ケチなお金を献金しましょう、と。そこまで言わせてしまうという。国策落語といっても兵隊に向けた落語、国民に向けた落語と、ふたつあるんです。前者は外地に行ってそこでやる。うちの祖父はどちらかというと内地向けの国策落語をしていました」
長野「いまの時代に国策落語を聞いてもらうよう、三平さんがいろいろと開催されていることにはどういう意味があると思っていらっしゃいますか?」
三平「やっちゃいけませんと言われた禁演落語は、いまでも笑える話なんですよ。『品川心中』『文違い』『悋気の火の玉』『悋気の独楽』……そういうすばらしい作品、いまでもウケるんですよ。この落語をじかに聴くことによってその時代にタイムスリップしてもらう。こんなことしか笑えなかった、ということをじかに感じてもらう。『戦争はなんだったんだ』ということがよくわかります」
長野「はい」
三平「軍部に指示されて作った、と言われるんですが。陸軍情報部の清水盛明大佐という方が、『噺家は皆、これをやるように』と」
長野「きのうの大森(淳郎)さんの戦争とラジオのお話もそうですね。戦争やそういうことが近づくと、庶民にいちばん近いものがそういうふうに奪われていく、というのがいまの三平さんのお話とつながるというか」
三平「ほぼ同じことですね。SNSがない時代、情報がないので噺家の言うことが正しくなってしまう。噺家も心を曲げてやらなければいけなかった。こんなにきつい時代はない」
鈴木敏夫(文化放送解説委員)「まして正蔵さんは名人ですからね」
三平「売れっ子中の売れっ子だった。人気落語家がやればみんな、信じます、献金しよう、となるじゃないですか。そういうことが散りばめられています」