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地域カルチャーがもたらした光、その先にある景色 南九州のデザインとものづくりの祭典「ash Design & Craft Fair」

Qualities

秋も深まり、時折り吹く風に落ち葉が舞い上がる11月後半。鹿児島や宮崎のあちらこちらでは、一冊のガイドブックを手に、町めぐりを楽しむ人々の姿を見かけるようになる。

毎年、南九州で秋に開催されるデザインとものづくりのイベント「ash Design & Craft Fair(アッシュ・デザイン&クラフトフェア)」をご存じだろうか。2週間あまりの期間中、ショップやギャラリーなど複数の会場で、陶芸や木工、絵画やイラストといったさまざまなジャンルのクリエイターが作品を発表する。

17回目となった昨年(2024年)は、74の会場と100組のクリエイターが参加。会場エリアは鹿児島市を中心に県内各地と宮崎県にもまたがり、両県に暮らす人はもちろん、フェアを機に旅を兼ねて九州を訪れるという全国のファンも多く集う。18回目を迎える今年も、例年通り11月下旬より開催が予定されている。

〈▲ 昨年のオープニングイベントより。参加作家や店舗が出店し、音楽ライブが行われるなど、終始和やかな雰囲気だ(撮影:秋田 啓吾)〉

鹿児島在住の筆者にとってもashは楽しみな秋の風物詩で、毎年、時間の許すかぎり会場を回っては、新しい作品やクリエイターとの出会いに心を躍らせてきた。そして昨年からは、実行委員としてashに関わるようになった。それまではお客さんとして外から眺め、ただ楽しんでいただけのashを、内側から知り、少しずつ人とつながっていく中で、「ashをもっと知りたい」「ほかの人にも知ってもらいたい」という思いが湧き上がってきた。

ashとは、一体何なのか――

今回、記事をつくるにあたり、現在のash実行委員会のメンバーに話をうかがった。18年もの間続いてきた、そしてどこか掴みどころのないashについて、その名前も知らなかったという人にも、ともに長く歩んできた人にも、しばしの間、“ashを紐解く旅”にお付き合いいただけたらうれしい。

2008年、はじまりはフリーマガジンの特集記事

ashが誕生したのは、2008年。11回から13回まで実行委員長を務め、天文館にて雑貨店・OWLを経営する馬場拓見さんは、当時の鹿児島について、少し特殊な時期だったと話す。

〈▲ 左から、ash実行委員会・委員長の中森陵さん、委員の馬場拓見さん、桑原田優佳さん〉

「私が店を始めたのは2008年でした。その少し前の2007年、鹿児島市にイオンモールができたんです。鹿児島が、いわゆる“最後にイオンができた県”と言われた頃ですね。イオンに限らず郊外に大型の商業施設が次々とできる中で、個人で店を始めるのは無謀、そんな空気がありました。奇しくも2008年、東京で『ランドスケーププロダクツ』を主宰していた中原慎一郎さんが、家具職人の川畑健一郎さんとともに故郷・鹿児島にインテリアショップ『DWELL』をオープンされたんです」(馬場さん)

ランドスケーププロダクツは、住宅や店舗内装のインテリアデザインのほか、オリジナル家具や小物の販売、ショップや喫茶店の運営などを手がける会社だ。古き良きデザインをルーツにした独自の審美眼で、常に新しい“ものづくり”を提案し続けている。

「当時、大型の商業施設やチェーン店の拡大によって街の風景が均質化していく中で、世の中に『ローカルを見つめ直そう』というムードがありました。ライフスタイル誌が次々に創刊され、何度目かの民藝ブームの影響も重なっていた頃です。アパレルのセレクトショップが、品揃えに奥行きを出すために、器や生活雑貨を取り入れ始めた時代でもありました。

その流れのひとつを東京で牽引していたのが中原慎一郎さんで、その中原さんが鹿児島でお店を始められた。DWELLには、マガジンハウスなどの編集者が毎月のように訪れ、雑誌で取り上げていました。それを見て、また新しい面白い人が集まってくる。私の店だけでなく、鹿児島のさまざまな人や場所が掘り起こされ、“魅力的な鹿児島”として紹介されていきました。外から来た影響力のある人たちが、同じ“鹿児島”の仲間として地元の個人商店をつないでくれた、そんな感覚がありました。そうした循環の“起点”を、まさに目の当たりにした瞬間だったと思います」(馬場さん)

つまりashは、押し寄せる時代の波≒中央集権的な巨大資本に対して、自分たちの足元にある価値を見つめ直し、新たなローカルのあり方を模索しようとするプレイヤーの中から、必然的に生まれたムーブメントだったのである。

同じ頃、東京からUターンで鹿児島に戻ってきたグラフィックデザイナーの清水隆司さんが、「Judd.(ジャッド)」という名のフリーマガジンの発行を始めた。2008年の11月に発行した、Judd.第2号の企画としてはじまったのが、ashだ。

第1回目のashでは、馬場さんが営むOWLや中原さんのDWELL、カフェや雑貨店などの24店舗が参加し、陶芸や木工、絵画などの展示販売を行った。作家とショップが一緒になって展示をするスタイルと、ショップを巡ってプレゼントがもらえるスタンプラリー企画、この二軸は、最初からあったという。紙媒体を手に取って町を巡るスタイルも、今と変わっていない。

〈▲ 2008年秋に発行したフリーマガジンJudd.2号より。ページ企画としてashがスタートした〉

その後、3回目まではJudd.の清水さんが主導する形で続いた、ash。フリーマガジンの企画として始まり、数回実施した時点で、その役目を終えてしまってもなんら不思議ではなかったはずだ。しかし4回目以降も、参加作家やショップが集まって実行委員会を結成し、開催を続けた。実行委員が運営する形は、現在まで引き継がれている。

馬場さんは言う。

「幸いだったのは、清水さんが3回まで主催し、4回目からはその後の運営を、参加者だった作家やショップに預けてくれたことです。これがきっかけとなり、自然と世代交代の仕組みができました。地方のイベントだと、志の高い人が一人で運営を背負いすぎて、7〜8回目あたりで燃え尽き、10回目で終わってしまう。そんな話をよく耳にします。ashが続いたのは、この “ゆるやかに3年で代が変わる” という仕組みができたからだと思います」(馬場さん)

清水さんはその後もデザイン面などでashに関わりながら、作家をビームスジャパンをはじめとするセレクトショップのバイヤーに紹介。鹿児島に呼んでアテンドを行ったり、作品の魅力を伝えたりして、作家とビジネスを繋げるための大きな役割を果たしている。

そして実行委員長は、4回目から6回目を革作家の飯伏正一郎さん(RHYTHMOS)が、7回目から9回目を木工アーティストのアキヒロジンさん(AkihiroWoodworks)が務めた。鹿児島を拠点に活動していた彼らに共通していたのは、自身のものづくりをさらに深めながら、より広く、多くの人に届けたいという思いだった。

飯伏さんもアキヒロさんも、今や全国的な人気作家だ。飯伏さんは全国のセレクトショップを行脚しながら販売を行い、アキヒロさんはブルーボトルコーヒーとのコラボや、ニューヨークでの展覧会開催など、ともに活躍を続けている。

〈▲飯伏正一郎さんの革工房・RHYTHMOS(リュトモス)の定番は、牛ヌメ革を手縫いした財布「Zip(L)」〉

〈▲アキヒロジンさんが手がける、Akihiro Woodworks(アキヒロ・ウッドワークス)「jincup」シリーズより。最新作の「jincup Urushi Hybrid Green(Urushi × TABUNOKI wood)」〉

混乱した10回目がターニングポイントに

 「それでもやはり、みんな制作と運営の両立が大変になってきて、10回で終わろうという話が出ました。10回目は実行委員長を置かずに盛大にやって終わろう、と。けれど、舵を取る人がいないと意見がまとまらず、資金を使い果たすような混乱した回になってしまいました。店をやっている側としては、ashを楽しみにしているお客さんの顔も見えていたので、なんとか続けてほしいという思いがあったんです。なので3代目のアキヒロ君に『続けてほしい』と伝えたら、『馬場さんが実行委員長をやるなら(ashを続けても)いいんじゃない』と言われて。それで私が、11〜13回目を担当することになりました」(馬場さん)

この混乱と存続の危機が、ashが次のステージへ向かうための、重要なターニングポイントだったと馬場さんは振り返る。それは、コミュニティが自らの課題と向き合い、よりしなやかで持続可能な形へと自己改革を行うきっかけとなった。

そして、この時期を境に、ashは三つの大きな変化を遂げていく。

一つ目は、運営体制の変革だ。それまで実行委員長はデザイナーや作家が担っていたが、運営に時間を取られ、本分である制作が止まってしまうという構造的な問題があった。そこで、11回目からは事務的な動きがしやすい店舗経営者が実行委員長を務め、作家は制作に集中するという体制へとシフト。これにより、クリエイターの創造性を守りながら、イベントを安定して継続させるための基盤が整えられた。

二つ目は、表現の多様化である。イラストや写真などのビジュアル作品を発表する作家の活躍を受け、11回目のオープニングイベントでは、イラストレーターをフィーチャーしたトークショーやライブペイントを開催するなど、新たな才能への門戸をさらに広げた。

「当時、クラフトや工芸の領域だけでは、表現の受け皿としての限界を少しずつ感じはじめていました。東京アートブックフェアのような盛り上がりを見て、イラストや写真、グラフィックの作り手たちにとっての発表の場を担えないかと考えたんです。これが、ものづくりに特化した他のイベントとは違う、ashの多様性につながっていると思います」(馬場さん)

この試みの後、翌12回目にはiPadなどで制作する若い世代のクリエイターが一気に参加。ashはより多層的で、時代の空気を反映したプラットフォームへと進化した。

そして三つ目が、エリアの拡大とアイデンティティの再定義だ。12回目からは宮崎の都城なども巻き込み、“南九州”のイベントへと成長。それに伴い、「ash Satsuma design & craft fair」だったイベント名から、鹿児島の旧国名である“Satsuma(薩摩)”を外した。これは、特定の地域の枠を超え、より開かれた存在になるという意思表示でもあっただろう。

こうして24の店舗から始まったashは、数々の変化を経て、12回目には47会場・61組の作家が参加する規模のイベントに。その後も着実に広がりを見せ、18回目の今年は、91会場で116組の作家が展示を予定している。

〈▲2025年のashも、奄美大島や屋久島などの離島を含む鹿児島県内と宮崎県で開催される〉

ものづくりへの世界への「扉」として

メイン会場がなく、広範囲に会場が点在するashでは、必然的にお客さん一人ひとりがキュレーターとなる。ガイドブックを手に、どのルートで、どの作品に会いに行くか。その計画を立てる時間から、“自分だけのash”が始まっている。

目当ての会場を訪ね、作家が在廊していれば、気軽に本人とコミュニケーションを取って感想を伝えたり、質問をしたり、それは特別な体験だ。創作への思いや、作品が生まれる背景を直接聞くことで、作品の見え方やものづくりに対する考え方にも変化が起こるかもしれない。時には「ついでに寄ってみた」会場で、新しい作品や作家と出会うこともあるだろう。会場によっては作品の展示販売だけでなく、作家と一緒に創作ができるワークショップや、作品のオーダー会、ライブドローイングなど、展示から派生したイベントも開催する。ashは、訪れる人々にとって、ものづくりの世界の奥深さへと通じる「扉」のような役割を果たしているのだ。

町めぐりの相棒・公式ガイドブック

この体験を支え、ashを語る上で外せないのが、実行委員会が制作し、無料で配布する公式ガイドブックの存在だろう。デザイナーやライターを本業とするメンバーが中心となり、毎年、質の高い一冊を作り上げている。

〈▲これまでのashガイドブックと、Judd. のバックナンバー〉

ガイドブックには、参加作家や会場紹介はもちろん、作家の工房を訪ねる特集記事、町めぐりの途中で立ち寄りたくなる飲食店や宿泊施設、温泉なども掲載されている。単なるイベントマップに留まらない内容と情報量のため、会期が終わっても保存し、日常的に使うファンも多い。県外の人にとっては、帰省や鹿児島旅の心強い相棒となるのだ。

元々、Judd.の清水さんが担っていたデザインは、12回目より、デザイナーの二野 慶子さん(PRISMIC DESIGN)が引き継いだ。二野さんは「たまたまカフェでJudd.を見かけて第2回にアクセサリー作家として参加した」ことからashに関わり始め、「気づいたら実行委員会に入っていた」と笑う、ashの歴史を知る一人。彼女をはじめ、デザイナーの存在が、リーダーが交代していく中でも、ashが守るべきデザインの質や世界観の連続性を担保する、重要な役割を担ってきた。

媒体としての価値も高いガイドブックは、近年、コミュニティを支える営業ツールとしても機能するようになった。ashの運営は基本的に作家や展示会場からの参加費でまかなわれるが、それに加えて「実行委員おすすめの店」として掲載する飲食店や宿泊施設などから、協賛金を得られるようになったのだ。これは「展示会場としての参加は難しいが、ashには関わりたい」という店側の要望に応える形で始まったもので、掲載店舗への声かけは実行委員が分担し、本当におすすめしたい店に一軒ずつ行っている。これは単なる広告収入ではなく、イベントの哲学に共感する地域プレイヤーを可視化し、緩やかな経済圏を育む試みだともいえるだろう。

〈▲ガイドブックには、出店作家の工房やアトリエを取材する「工房探訪」の連載企画ページも〉

それぞれの立場で思う、ashがもたらしたもの 

18年という歳月を経て、ashは多様な人々が交差するプラットフォームへと成長した。参加作家や店舗、実行委員は、それぞれの立場でashから何を受け取り、何をもたらしてきたのだろうか。

店舗経営者である馬場さんは、ashがビジネスの新たな可能性を切り拓いたと語る。

「私の場合、このイベントを通じて陶芸家や木工作家と出会い、オリジナル商品を企画できるようになったことが大きな変化でした。それをきっかけにして、店のオリジナルアイテムを全国のショップに卸すBtoB事業が始まりました。作家にとっても、店舗との取引を通じて価格設定や掛け率など、ビジネスの仕組みを学ぶ実践的な場になっていると思います」(馬場さん)

これは、ashが単なる文化イベントに留まらず、地域のクリエイターと企業を結びつけ、新たな経済活動を生み出す“インフラ”として機能していることを示す好例だろう。

ashで広報や渉外を担う桑原田優佳さんは、また別の側面を挙げる。広告代理店の営業からランドスケーププロダクツ・中原さんが関わる会社に転職し、現在は、一般社団法人リバーバンクの代表を務める桑原田さん。鹿児島で何かしたいと考えていた時に、馬場さんから声がかかり、実行委員会に参加したのが始まりだ。

「作家でも店舗経営者でもない立場からすると、ashは外部と繋がる窓口としての役割があると考えています。例えば、文化庁や鹿児島市と連携してashの会期に合わせてイベントを開催したり、事業を実施したり、といった動きも生まれました。作家やお店、それぞれにファンを持つプレーヤーが集うプラットフォームとしてashがあることで、行政など外部の人たちも新たな取り組みを始めやすくなっていると感じます」(桑原田さん)

現在の実行委員長である中森陵さんは、「ashからもらったものは全て財産」だと、その繋がりがもたらす価値を語る。鹿児島市郊外で、たんすの肥やしという名のギャラリー兼ショップを営む中森さん。かつて店員として働いていたビームス鹿児島店がashに参加したことをきっかけに、ashに関わるようになった。7年前から実行委員を務め、4代目の柳田圭介さん(雑貨店oginna店主)から引き継ぎ、昨年より委員長を務めている。

「シンプルに、知り合いがめちゃくちゃ増えましたね。県外でも鹿児島から来たと言うと『ああ、鹿児島といえばashですね』と返ってくることがあります。先日も、『ashで鹿児島に遊びに行きたいとずっと思っています。今年こそ行きたいんですよね』と言われました。ashで繋がれた人は本当に多いです」(中森さん)

中森さんは、昨年から作家としてもashに参加している。ユニットを組み、写真と物語のコラボレーションで自分たちの世界観を表現する。

「昨年は自分の店で展示をしましたが、今年は別の店でやろうと試みています。作家として表現したいという思いと同時に、実行委員長として、出展者側の立場や気持ちを理解したいというねらいもあります。委員長が作家として参加することについては、必ずしも好意的な声ばかりではないのですが、いいものを作っていると胸を張って言えるし、ashの質を落とそうとも思わない。それくらい、真剣に作品と向き合って作っています」(中森さん)

中森さんのように、実行委員長であり店舗経営者でもありながら、作家としてもashと関わろうとする存在がいることは、ashという場所ならではの動きに思えてならない。それは、運営や作家など立場が違っても、ashに関わる人々が共通して持つ、表現やものづくりに対する思いや造詣の深さを表し、と同時に、ashの風通しの良さや境界のあいまいさの象徴ともいえるだろう。中森さんの言葉にある「いいものを作っているし、真剣に作品と向き合っている」という思いを皆が持ちながら、互いにリスペクトし合い、切磋琢磨を続けているのだ。

ゆるやかに繋がりながら、ただ続けてきた

筆者が実行委員になってからこれまで気になっていたのは、「ashらしさ」とは何だろうということだ。昨年初めて出展者の選定に携わったが、明確な基準が言語化されないまま意見が交わされ、審査が進んでいく様子に戸惑いを覚えた。しかし、メンバーの間には、明らかに共有された一つの感覚が存在するように見えた。そのことを尋ねると、中森さんが答えてくれた。

「続けていく中で、なんとなく『ashの展示ってこうだよね』というニュアンスを皆が掴んでいく感じです。この作家さんはこの会場だと合わないかもしれないけど、別の会場なら良いかもしれない、といったことも皆で話し合って決めています。作家さんや会場については、運営の舵取りができる範囲でなら、よりたくさんの人に参加してもらうのはいいことだと考えています。ただし、誰でも出られるイベントになってしまうと何をやっているのかが分からなくなるので、審査は行います」(中森さん)

そして、馬場さんが続ける。

「精査しすぎたり、ashらしさを明確に言語化したりすると、それに合っているかどうかでジャッジするイベントになってしまう。そうではなくて、町のお祭りのような多様性があった方がいいと思っているんです。だから意識的に“尖らせすぎない”ことで、いろんな人が入りやすいようにしてきました。私個人としては、ashに出たいと応募してきた時点で、一つの審査をクリアしたようなものだと捉えています。“ashに出たい”と思う感性こそが、もうすでにashらしさなんです」(馬場さん)

この「あえて明確にしない」という姿勢こそ、ashが18年間続いてきた根幹にある、意識的な哲学だろう。それは、出展者の選定に限った話ではない。すべてが流動的で、実行委員長も基本的に3年で代わる。固定化されたルールで縛るのではなく、その時々の人々の解釈に委ねる余白を残す。この「ゆるさ」が、組織の硬直化を防ぎ、時代や人の変化に適応するしなやかさを生んできた。

「ashの目的をしいていえば、続けること。ashで生まれる繋がりは“インフラ”のようなものだと感じています。例えば、鹿児島にUターンしてきた人が地域と繋がりたいと思った時、ashを訪ねれば緩やかにコミュニティと交われる。また、何か創作活動をしたいけれど鹿児島を出て行く勇気はまだない、そんな若い作家が、作品をつくり、しっかり見てもらえるきっかけにもなる。もしashを“インフラ”とするなら、その循環を絶やさず、続いていくことそのものがいちばんの価値なのかな、と」(馬場さん)

〈▲2024年のオープニングイベントは、作品の豊作を祝して新作を奉る「クラフト新嘗祭」をテーマに開催した(撮影:安藤 太雅)〉 

ashから各地へ、広がる地域カルチャーの波

桑原田さんは、「以前、ashを見て『自分たちの街でもやりたい』と小倉で同じようなイベントを始めた方が、訪ねてきてくれたことがあって」というエピソードを語った。「私たちがやっていることが、他の地域にも影響を与えているのは純粋にうれしいですね」。中森さんもまた、山口の下関で活動する木工作家から「参考にさせてほしい」と質問を受けたことがあるそうだ。そして、鹿児島県内でも、市街地以外のエリアでashを参考にしたイベントが行われていたり、ashの発信を自主的に行う自治体が出てきたり、クリエイティブや地域性を大事に思う文化が、波紋のように広がっている。

「新たな創作との出会い」を掲げて18年前に産声を上げた、ash。イベント名の由来にもなっている鹿児島・桜島の火山灰(ash)のように、ものづくりの文化は静かに、遠くまで広がってきた。時代の変化や、人、作品、場所が持つそれぞれの違いを柔軟に受け入れ、面白がりながら、緩やかに繋がってゆく。質の向上と自己研鑽には、力を惜しまない。そうやって仲間と楽しく過ごす日々が、鹿児島、そして宮崎にはある。

最後に、ash実行委員として全員が声を揃えた。

「県内外問わず、もっと多くの人に知ってもらい、ashや鹿児島、宮崎に遊びに来てほしいですね。ashが、南九州という地域全体の底上げになれればいい。地域の中でいがみ合うのではなく、緩やかにまとまって、“鹿児島や宮崎が何だか楽しそう”という雰囲気が伝わればとてもうれしいです」


ash Desigh & Craft Fair 2025

アッシュ・デザイン&クラフト・フェア / 毎年秋に鹿児島・宮崎で開催する、デザインとものづくりのイベント。2025年の今年は、11月22日(土)~12月7日(日)の期間中、91の会場にて116組のクリエイターが、作品の展示販売を行う。
ash公式ホームページ▶︎https://ash-design-craft.com/18/

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