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【輝く!昭和平成カルチャー】年商28億!渋谷のセーラーズとおニャン子クラブの衝撃的事実

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1984年06月24日 おニャン子クラブが「夕やけニャンニャン」で初めてセーラーズを着た日

リレー連載【輝く!昭和平成カルチャー】vol.3:セーラーズ

80年代のアイコニックな存在として広く認知されたセーラーズ


近年、80年代中期に大ブームとなったアパレルブランド、セーラーズがメディアで取り上げられる機会が増えている。それは、80年代のアイコニックな存在として広く認知されていることが理由の1つだろう。また、セーラーズはおニャン子クラブと過剰に紐づけして語られることが多い。

2024年6月現在、Wikipediaの “セーラーズ (アパレル)” の項目には

「1985年、フジテレビのバラエティ番組『夕やけニャンニャン』に出演していた人気アイドルグループ・おニャン子クラブの衣装として商品を提供。(中略)1987年、おニャン子クラブ解散と共にセーラーズの人気もやや落ち着きを見せ始めた」


と書かれている。この記述は、セーラーズとおニャン子クラブは一蓮托生の関係であったように解釈できる。だが、それは正しい歴史認識ではない。確かにセーラーズの人気爆発のきっかけを作ったのはおニャン子クラブだろう。しかし、両者の蜜月時代は意外に短く、解散とブームの収まりは連動していないのである。

“夕ニャン” スタート当初は私服着用


フジテレビ系の夕方の帯バラエティ番組『夕やけニャンニャン』がスタートしたのは1985年4月1日であり、この日がおニャン子クラブ結成日である。オリジナルメンバーは新田恵利、国生さゆり、福永恵規ら11名。以後、公開オーディションにより随時メンバーを増やしていくスタイルがとられ、短期間で河合その子、内海和子、高井麻巳子、立見里歌らが加わっている。 ここでまず確認しておきたいのは、番組開始当初のおニャン子は、自前の衣服を着用していたことである。そのため、個人の趣味やセンスによってファッションはバラバラだった。6月3日にデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」が番組で初公開されたが、その時も私服で歌っている。つまり、結成当初のおニャン子はセーラーズを着ていなかったのだ。

しかし、メンバーが毎日、私服を着回すのには限界がある。それに、歌手活動を展開する上で、私服では体裁が悪い。変化があったのは6月24日、同日に行われた松田聖子と神田正輝の結婚式の模様をおニャン子がリポートした日だ。その日からおニャン子が番組内でセーラーズの衣装を着用するようになった。全員が同様のデザインのものを着ることでグループに統一感が生まれた。

これをきっかけに、セーラーズの存在を明確に認識した人が一気に増えていく。ただし、それ以前よりこのブランドが知名度ゼロのマイナーな存在だったわけでもない。シブがき隊の布川敏和、とんねるず、西川のりおなどのタレントが着用し、メデイアに露出していたからだ。したがって、水兵のイラストが入った服に見覚えのある人は一定数いたのである。さらに1984年に渋谷の公園通り近くに独立店舗がオープンすることで、雑誌で取り上げられる機会もあり、一部のファッションに興味がある若者のアンテナには引っかかっていた。

おニャン子クラブとセーラーズの相性はバッチリ


国民的アイドルとなる前夜のおニャン子クラブと、渋谷で話題になりかけていたセーラーズ、両者の相性はバッチリだった。セーラーズはカジュアルファッションのブランドなので、おニャン子が着ていたのは、従来の女性アイドルの衣装のようなヒラヒラのドレスではない。Tシャツ、タンクトップ、パーカー、スウェット(当時はトレーナーと呼んだ)、スタジャン、オーバーオールのパンツなど普段着っぽいものばかりだ。それが新鮮だった。また、ルーズなシルエットやパステルカラーを基調としたカラーリングは80年代中期の空気とマッチしていた。

おニャン子人気の大ブレイクとともに、セーラーズの人気も爆発するが、商品を入手するのは容易ではなかった。インターネットもスマートフォンもない時代、販売店情報すらすぐにはキャッチできなかった。当時、セーラーズを求めて原宿の竹下通りを何往復もした人、渋谷や新宿のマルイを回った人も確実にいただろう。地元の駅ビルで探した人もいたかもしれない。

しかし、実際は渋谷公園通りの路地裏にある小さな店舗でしか買うことができなかった。なんとかショップにたどり着いても、その前には大行列ができていた。しかも、1日の入店者数や、入店時間、購入金額などに制限が設けられていた。そして、商品は中高生の小遣いで買うにはいささか高価で、同じ商品のロット数が少なかった。そうした条件が商品の希少価値とユーザーの渇望感を高め、ブームは急拡大。『夕やけニャンニャン』が始まった1985年には「9坪の店舗だけで年商28億円を達成」という快挙が達成されたという。

ある日、おニャン子がセーラーズを着なくなる


話をおニャン子に戻そう。1985年7月「セーラー服を脱がさないで」がリリースされると人気は全国区に広がり、続いて河合その子がソロデビュー。そして、高井麻巳子と岩井由紀子がユニット「うしろゆびさされ組」でデビューを果たした。10月1日にはファンクラブが発足し、10月5日には日比谷野外音楽堂で初のコンサートが開催されている。巨大ビジネス化していく過程にあって、おニャン子は、ライブやテレビ出演、取材を受ける際などにブランドを特定できないセーラーズ以外の衣装を着ることもあった。しかし、数ヶ月の期間に “おニャン子クラブの衣装=セーラーズ” というイメージが強く固まっていく。とくにメンバーの会員番号が背中に入った “一点物” のスタジャンはおニャン子を象徴する衣装となった。

ⓒフジテレビ

異変が起きたのは、10月7日の『夕やけニャンニャン』だ。この日のオープニングで、おニャン子は第2弾シングル「およしになってねTEACHER」を歌ったのだが、そこで彼女たちは見慣れないイラストがプリントされた衣装を着ていた。明らかに水兵ではない。犬のようだ。番組内でとくに説明もなかったので一部では、“あれもセーラーズに関係した何かだろう” という誤解を生むことになる。しかし、それはD'LITES(デライツ)というまったく無関係なブランドの服だった。

以後、『夕やけニャンニャン』においておニャン子の衣装はしばらくデライツが基本となる。デライツの店舗は、竹下通りの目立つ場所にあった。偶然通りかかって「あ、おニャン子が着ているブランドの店だ」となるケースも多かっただろう。当然、店の前には随時、行列ができていた。

ただし、おニャン子とセーラーズは決別したわけではない。1986年になり、新田恵利、国生さゆりが相次いでソロデビュー。春のコンサートツアー最終日の武道館公演を最後に中島美春と河合その子の卒業することが発表され、サードシングル「じゃあね」がリリースされる。怒涛の展開が続いたこの時期は、おニャン子が着る衣装のブランドが一定ではなかった。「じゃあね」はデライツを着て歌うことも、セーラーズを着て歌うこともあった。ツアーで、メンバーはデライツの旅行バッグを持って移動していることがメイキング映像で確認できるが、ステージ衣装のバリエーションのなかにセーラーズが含まれていた。また、セーラーズでもデライツでもなく “1910 FRUIT GUM CO.” という60年代のバンド名が入ったスウェットを着て番組に出ていたこともある。

セーラーズからの卒業とフジテレビの思惑


番組内で中島美春と河合その子の卒業セレモニーが行われたのは武道館公演を翌日に控えた1986年3月31日だ。そして、その日の衣装は “正装” ともいえるセーラーズだった。しかし、おニャン子がセーラーズを卒業する日が迫っているとは視聴者は誰も思っていなかった… 。

新体制のスタートとなる4月2日の放送から、おニャン子は、HIP'S ROAD(ヒップスロード)という見慣れないロゴの入った衣装を着て登場した。“HR” と短縮したロゴもあった。実はこのヒップスロードは、フジテレビが仕掛けたオリジナルブランドだったのだ。下世話な言い方をすれば “よそのアパレル事業者に儲けさせるなら、自分たちのビジネスにしたほうがいい” と考えたということだろう。

ヒップスロードの店舗は竹下通りから1本入った路地にオープン。番組内での情報発信もあり、ここも行列店となった。以後、おニャン子は1987年9月の解散までの約1年半の間、ヒップスロードを着用し続けた。加入時期を考えると、渡辺満里奈、工藤静香、生稲晃子といった会員番号34番以降のメンバーは公式にセーラーズを着る機会は一度もなく、ヒップスロード・オンリーだったということになる。

2024年はセーラーズ40周年イヤー


おニャン子の活動期間は、約2年5ヶ月(902日)と今日のグループアイドルに比べると極めて短い。そのなかで、ヒップスロードを着ていた期間がもっとも長く、断続的だったセーラーズ着用期間はトータルでも10ヶ月に満たなかったというのが史実である。それでも、後の世では “おニャン子クラブの衣装=セーラーズ” という論調で語られがちである。若いアイドルたちがおニャン子へのオマージュ的パフォーマンスを見せるときはセーラーズを着用するケースはたびたびある。それは、やはりセーラーズのブランド戦略が優れていたからであり、あの水兵のイラスト(セーラーくん)に普遍的な魅力があるからなのだろう。

ⓒSAILORS

ちなみに、おニャン子と疎遠になったデライツはいつの間にか姿を消し、振り返られる機会は少ない。ヒップスロードはおニャン子解散後にリブランディングを図ったが短期間でクローズとなった。 これに対し、セーラーズはおニャン子と離れてからも一定の人気を維持した。やがて、ブーム的な盛り上がりは沈静化するが、ブランドとして強い存在感をアピールし続けた。著名人のファンも多く、なかでもマイケル・ジャクソンとの逸話は有名だ。そして現在も、Webとポップアップショップにて販売中である。また、企業とのコラボレーションなど、さまざまな形での発信を積極的に行っている。

TBS系ドラマ『不適切にもほどがある!』とのコラボもあった。おニャン子メンバーを含む新旧芸能人がセーラーズの商品を着用した写真をSNSにアップするケースも多々ある。2024年はセーラーズ40周年のアニバーサリーイヤーであり、スペシャルな企画が続々と展開される。懐古の対象としてだけではなく、現在進行系のブランドとして新しいファンも増やしているのだ。

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