京島「電気湯」に学ぶ新しい銭湯経営と地域とのつながり方 ~令和の銭湯物語【1】~
1968年のピーク時には1万7,999軒の銭湯があった日本。家風呂の普及とともに銭湯は減少し、 現在の銭湯数は1562軒※1 となっています。一方で、昔は生活に必要な施設だった銭湯が、家族のレクリエーションやサウナなど、新たな楽しみを求める施設として利用されるようになり、若い世代が新しい発想で銭湯を再建し、成功している事例が全国に多数、見られます。
「令和の銭湯物語」では、日本ならではの文化である「銭湯の今」を探っていきます。連載の第1回では電気湯を訪れました。
電気風呂があるわけではないけど「電気湯」。開店当時、電気で風呂を沸かしたことが名前の由来という電気湯は、東京の下町、京島にある銭湯です。現在の店主大久保勝仁さんが引き継いだのが2019年。おばあ様が「店じまいしようと思う」と言い出したのがきっかけでした。当時、1日あたりの入浴者数は約90人。改装もせず、引き継いだ当時の建物のまま、今では1日約300人が毎日訪れる賑やかな銭湯となった理由を探りました。
私が取材に伺った月曜日の夕刻も、次々と常連客が訪れ、あちらこちらで和やかなジョークが飛び交い、番台※2 はてんてこまいの忙しさが続いていました。
※1 2025年4月1日現在/全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会(全浴連)ホームページより
※2 昔ながらの高くから見渡せる番台だけでなく、フロント形式になっていても「番台」という言葉を使う店主も多いため、この連載では広い意味で「番台」という言葉を用います。
おばあちゃんとめっちゃ喧嘩しながらも引き継いだ電気湯
「おばあちゃんとは1年も2年も、めっちゃ喧嘩しました。今93歳ですけど江戸っ子で僕よりも早口で。いまだに喧嘩するんですよ(笑)」(大久保さん)
建築系専攻で大学卒業後、国連関連機関で2年半働き、辞めて帰国後のタイミング。銭湯をやめると言う祖母をやっとの思いで説得して引き継いだにもかかわらず、始めてみるとこれまでとは全く異なる孫のやり方がまったく理解できない祖母から何度も叱られたといいます。
大久保さんの経営の特徴のひとつは、20人以上のバイトを雇い、それぞれ週1〜2回ずつ入ってもらって日替わりで番台と掃除のシフトを回していること。それには思いがあるそうで...。
「電気湯を継ぐ前に、いろんな銭湯を回ったんですけど、少し寂しい雰囲気のする銭湯はいろいろな事情で番台が暗かったりするんですよね。少人数で運営していたりとしょうがない場合もありますが、会話があまりないんです。」(大久保さん)
サービス業で、それは良くないと思った大久保さん。「銭湯は、番台を過ぎたらあとはセルフサービス。それならば、番台でお客様の心をつかまないといけない」といいます。加えて、家族で番台を回していることに限界も感じていました。体力も持たないし、どうしてもルーティーンワーク的な仕事にも飽きてきます。常連さんも、番台が毎日同じだとだんだん話題がなくなってくるんじゃないかという気がしていました。番台が毎日違う人だと、1つの話題で1週間おしゃべりができるので、常連さんも飽きずに楽しめます。
最初は人づてで集めたアルバイト。SNSなどで募集してもなかなか集まらず、友達や後輩に声をかけて集め、徐々に電気湯の活動に興味を持つ人が来てくれるようになりました。半分以上が大学生で、ほかにフリーランスや社会人、地元京島で活動するアーティストもいるんだとか。
しかし、その様子を見たおばあちゃんからは「こんなに人を雇って!」と叱られることに。もともと電気湯では1人の店長が現場の全てを任せられていたので、「アルバイトを雇用する」ことすら許してもらえませんでした。大久保さんとおばあちゃんの平行線はいつまでも続きました。
「銭湯という公共の場所」で、まちの先輩たちが培ってきた対話の手法を継承したい
国連関係機関で公共的な仕事をしていたこともあり、大久保さんは「銭湯という公共の場所」の可能性を強く感じていました。誰もが来られる場所、身分も年齢も関係なく対等で、会話をしてもしなくても一緒にいられる場所は、都会にはあまりありません。そういう場をなくしたくないと思ったし、何より電気湯のお客さんに魅力を感じていました。
「体感ですが、僕よりちょっと下のZ世代って、すれ違ったりぶつかっても『すみません』の言葉が出ない方が多いんですね。ネット社会で、隔離されて生きてて、コミュニティにも自分に似た人しかいなくて。知らない人、違う年代や、全く違う思想を持った人と話す機会がないから仕方ないんですけど。でも、それが行き着く先は『分断』なんじゃないかな」(大久保さん)
対照的なのが、地元京島に住むおじいちゃん、おばあちゃん。すぐに声が出ると言います。「このシャンプーいいね」「使う?」など、どんどん話しかけていきます。確かに取材日、入浴に来られた地域のおじさまが、初めて会う私にまで、ジュースを買ってくださりました。「明日年金が入るからさ」と満面の笑顔で。
下町のぎゅっと凝縮された長屋の暮らしでは、壁一枚隔てると隣の家。すぐそばに他人がいるまちの中で、お互いの関係性を保つために挨拶し、会話する。そんな地域のおじいちゃん、おばあちゃんに惚れ込む大久保さん。電気湯で、地域のお客さんたちとたわいもない冗談を言い合って過ごす時間が大好きだと言います。
「常連さんは、いい距離でつきあってくださる。ご近所って前提で仲良くしてくれるけど、一定以上立ち入らず、とても気軽です。逆に若い人は距離感が難しい。なかなか話せないけど、ちょっと話すと急に友達みたいになっちゃったりするんです」(大久保さん)
大久保さんは、誤解を恐れず言うと、銭湯を続けるためにがんばっているのではないとも話します。
「分断されずに生きていく共生社会をつくることが目的で、銭湯は手段だと思っています。でもそのためにはちゃんと売り上げを上げないといけないんですけど。電気湯は、このまちの先輩たちが培ってきた『共に生きる手法』『対話の手法』を継承していくって、番台のみんなにずっと言い続けてるんです」
番台では「会話」が生まれるようお声がけをしよう。無視されてもどんどん声をかけよう。そう伝えているといいます。
「電気湯へ来ると必ずいいことがある」 電気湯繁盛の理由はスタッフにあり
増えてきた客層の内訳を聞くと、ご高齢の常連さんのほか、若い世代も男女ともに増え、以前は見かけなかった子ども連れも毎日数人だが来てくれるようになったといいます。増えた理由を尋ねると、「スタッフのみんなのおかげですかね」とのこと。二十数人いるスタッフだが、店づくりの方向性について、同じ方向を向き始めていると大久保さんは話します。
「ちょっと社会からあぶれちゃった人や、元いた場所に違和感を持っていた人も、電気湯で働くことで自信をつけたり、自己肯定感を高めたりして、楽しく働いています。ほかのまちから、わざわざ引越して来ちゃったバイトの子も少なくないです」(大久保さん)
電気湯では生産性や効率では測らないし、人と比較することもありません。ミスをしても仕方ないというスタンスで、むしろミスはネタにするといいます。そんなゆるさも、居心地の良さなのかもしれません。スタッフは近所の人達が多く、時間内なら入浴は無料。すると夜、スタッフが電気湯に集まってしゃべっていることも少なくないといいます。「大きなシェアハウスみたいです」と笑う大久保さん。
大久保さんが引き継いでから、イベントやさまざまな展示企画も行ってきた電気湯。やって良かったと思うことも、あまり効果を感じないことも両方あるとのことですが、イベントを通じて少しずつ関係者が増えていっているといいます。発信をするとメディアも少しずつ取り上げてくれて、メディアを見て電気湯に来る人も出てきました。以前は、イベントやメディアをきっかけに来てくれる方々との関係は1回来てもらうだけで終わってしまっていましたが、スタッフが同じ方向を向くようになってから、関係性が続くようになってきたといいます。
取材日、番台を担当していた大川夏生さんは、番台に入り始めてまだ数回目というスタッフ。NHKで紹介された電気湯に「ピンと来た」と話します。「電気湯に行ったら何か面白いことが起きるかも」と感じた自分の直感を信じて勢いで連絡をしたんだとか。現在はフリーターで、バイトをしながら暮らしています
「お客さんが菓子パンを差し入れしてくれたり、この前は小学校1年生くらいの女の子が『電気湯なんでもノート』に私の似顔絵を描いてくれたり。泣きそうになりました。ここへ来ると必ずいいことがあって、救われています」(大川さん)
まわりの友達が就職していく中で、「わたし大丈夫なのかな、この先」と焦る日もあったといいますが、このまちで、楽しそうにおしゃべりして、自分らしく自分のペースで生きてるお客さんたちを見ていて、「そんなに焦らなくてもいいのかなと思えるようになった」と話してくれました。
コロナ禍で部屋にひとりポツンといた私を、あたたかく迎え入れてくれた京島
大久保店長のもとには2人の副店長がいます。3人のコンビネーションが最高だという話を聞いていたら、そのひとり、長谷川春菜さんが、慣れない番台バイトさんのアシストにやって来たので少しだけ話を聞いてみました。
岡山から大学に通うために上京し、大田区に暮らしていた長谷川さん。大田区では人と話すこともなく、他人は他人という気持ちだったといいます。そんな折、コロナ禍となり、大学は休講に。飲食店のバイトも怖くてやめてしまい、友達も地方に帰ってしまって、誰とも話さない日が続きました。
「コロナ禍では、部屋にひとり、ぽつんといて。故郷岡山ではゴミ出しのときでも『おはようございます』などと声をかけていました。東京にもそんなまちがないかと探しました」(長谷川さん)
最初は大学に近い神奈川県で住みたいまちを探したものの、希望するようなまちには出会えず、たまたま見つけたオンラインイベントで京島を知ることに。「来てみなよ」という声かけに応じ、地域のアート拠点となっていた古民家の掃除を手伝った後、みんなでご飯を食べたんだそう。コロナ禍でも必要以上に怖がらず、自分たちの日常は日常として大切にしている姿を素敵だと感じ、引越して来たといいます。このまちでは、挨拶をすれば返って来るし、植物の育て方がわからないとか、扉が開きにくいとか言うと、ご近所の大先輩たちが教えてくれたり、道具を貸してくれたりします。その後、誘われて電気湯のバイトを始めたら、さらにいろいろな人と出会うことになり、会話することも増えていきました。電気湯では、20代の副店長2人と31歳の大久保店長が得意分野を生かして役割分担し、ものすごく喧嘩もするけど、「楽しんでます」と長谷川さん。
大学は卒業したけど、このまちで電気湯の副店長以外にも他の店の手伝いもしていて、京島の人たちからは、「春菜ちゃんは、まちに就職した」と言われているそう。
”コミュニティという言葉はキライ”。誰かの居場所を作るための書店「kamos_books」オープンへ
「このまちの空気感は自分に合っていると思う」と話す大久保さん。京島のまち歩きを企画したり、地域のアートイベントにも参加したりするなど、まちにも関わりながら電気湯を営業しています。まちに関わる理由を聞くと、店舗(銭湯)を営んでいること自体が公共性を帯びていると思うからといいます。まちが朗らかに存続することが、電気湯の存続に直結しているので、まちのことを考え続けなければ銭湯はやれないと考えているそう。
大久保さんはこの春、電気湯に携わる2人の仲間と、kamos_booksという書店を近所のキラキラ橘商店街に開きました。電気湯の来客数が増え、売上が増えてくるにつれ、それに甘んじないよう、外から批判する場所を作りたいと思ったと言います。電気湯が、朗らかに、みんなで一緒に居られる場所になればなるほど、そこには暴力性が生まれ、その場に居られず排除される人が出てきてしまう。書店は、笑顔になれず、うじうじ考える人が行ける場所。
「コミュニティとかつながりって言葉、本当は苦手なんです。知らない人と生きるって結構むずかしくって、土地に紐づく場所を使って、『つながらなくてもいいから誰かと一緒に生きられる』という可能性を追求したい」(大久保さん)
大久保さんの話は少し哲学的で難しいけれど、思いはわかる気がしました。
銭湯を営む人たちへ
最後に、銭湯を営む人たちへのメッセージを話してもらいました。
「日替わり番台は、電気湯でやってみて一番良かったと思っていることです。しばらく店主の収入は減るけど、メンバーが集まって来たら、自分のオーナーシップを剥がしていくことができる。僕も最初はオーナーシップにしがみついていたのですが、今は剥がれるのが気持ちがいい。『勝手にやって』って思えるようになると、メンバーが勝手に動いてくれて、グループができたり、新しいことを始めてくれたりします。面白い人がいると、面白い人が集まって来ます」(大久保さん)
大久保さんの「共生社会」という強い理想があってこそだとは思いますが、同じ方向を向いた二十数人の力は大きいと感じました。
あんなに喧嘩していたおばあちゃんが、2年前に言ってくれた「勝仁に、任せる」という言葉。「最初はすごく変なやり方だと思ったけど、あんたのやり方、いいやり方だね」と。そして昨年、赤字が初めて黒字に転じ、おばあちゃんは完全に引退しました。5年目にして、大久保さんが社長となった今、電気湯でやりたいことは、お客さんが過ごしやすい場所をつくること。少し借金をしても、待合室を広くすることを考えています。
下町のあたたかさが残り、想いをもって営業を続ける電気湯がある京島。ぜひ一度、電気湯にひとっぷろ浴びに行ってみてはいかがでしょうか。
名称:電気湯
住所:東京都墨田区京島3-10-10
定休日:土曜日
営業時間:15:00-24:00/サウナ受付 -23:00まで
毎週日曜 朝風呂 8:00-12:00+通常 15:00-24:00
料金:
・大人 550円
・小学生 200円
・乳幼児 100円
・サウナ 400円(レンタルタオル1枚付)