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#3 何のための「強さ」かを問い直す物語――水本弘文さんが読む、サン=テグジュペリ『星の王子さま』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

NHK出版デジタルマガジン

#3 何のための「強さ」かを問い直す物語――水本弘文さんが読む、サン=テグジュペリ『星の王子さま』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

水本弘文さんによる、サン=テグジュペリ『星の王子さま』の読み解き

大事なことは、目には見えない――。

砂漠に不時着した飛行士が、遠い星から来た不思議な少年と出会う物語『星の王子さま』。子どもの心の大切さを説く哲学的童話として、今も多くの人を魅了し続けています。

『NHK「100分de名著」ブックス サン=テグジュペリ 星の王子さま』では、著者が物語にこめた「目には見えない幸せの世界」について、水元弘文さんが多角的な視点から紐解きます。

今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第3回/全4回)

第2回はこちら

ひとりぼっちのパイロット

 さて、物語です。「本当に話せる相手もなく」一人きりで暮らしていたパイロットは、ある日、エンジンの故障でサハラ砂漠に不時着します。そこで不思議な少年(=王子さま)に出会うのですが、その前に、パイロットは遭難した自分のことをこんな風に言っています。

そこで、最初の夜、ぼくは人の住んでいるところから千マイルも離れた砂の上で眠りました。大海原をいかだで漂流している人より、もっとひとりぼっちでした。(2章)

 砂漠に一人きりのパイロットが孤独なのはよく分かります。でもどうして、海をいかだで漂流している人より「もっとひとりぼっち」だと言うのでしょう。

 砂漠の環境が海よりも過酷だからでしょうか。でも海だって遭難者にとってはこの上なく危険な場所です。砂漠も海も遭難者を心細くさせ、さびしくさせることに変わりはないはずです。

 パイロットのこの孤独は砂漠という場所や、人々との地理的な距離で説明されるものではなく、パイロットと人々との間に横たわる心理的な距離が原因だろうと思います。砂漠や海だけが私たちを人々から隔てるものではないのです。

 パイロットはサハラ砂漠に不時着する以前から、人々との気持ちの隔たりが大きく、「ひとりぼっち」でした。砂漠はそんなパイロットをさらに追い詰めて、地理的、空間的にも人々から引き離し、彼の孤独を一層深刻なものにしています。

 ところで、サン=テグジュペリもリビア砂漠で遭難したことがあり、夜、パイロットと同じように死を予感しながら砂のなかで眠ったことがありました。一九三五年、パリ=サイゴン間の飛行記録の更新を狙ったフライト途中での事故でした。ところが、興味深いことに、そのときのサン=テグジュペリは自分を「ひとりぼっちではない」と感じたのです。

 ぼくは砂漠にいてもひとりぼっちではない。ぼくの半眠状態はさまざまな声や、思い出や、ささやくような内緒話で満ちている。

(『人間の大地』7章)

 サン=テグジュペリの心のなかは思い出や人々の声で一杯です。彼には会いたいと思える人がいるし、彼に会いたいと思ってくれる人もいるのです。心にそういう人々がいることによって、サン=テグジュペリは彼方の世界と目に見えないところでつながっています。ひとりぼっちではないということです。「いかだで漂流している人」はこのときのサン=テグジュペリと同じで、気持ちの上では親しい人たちと一緒なのだと思われます。

 ところが、パイロットにはそういう人がいません。目を閉じても誰の姿が見えるでもなく、誰の声が聞こえるわけでもありません。大事な人がいない彼の心のなかは、その意味では空っぽなのです。パイロットはだから砂漠に本当にひとりぼっちで横たわっています。

 そして、こうしたさびしいパイロットだからこそ、この後に続く王子の出現は彼にとって大きな意味を持つことになります。王子はパイロットが初めて心の触れ合いを実感できる相手であり、空っぽだったパイロットの心をその姿や笑い声で満たすことになるからです。

おとなと子どもの同居

 さて、王子の登場です。砂の上で眠っていたパイロットは、夜明けに「おかしな小さな声」で目を覚まします。その声はこう言っていたのですが、これには実際「おかしな」ところがあります。

 お願いです…… ぼくにヒツジを描いてよ!
 S'il vous plaît ... dessine-moi un mouton !(2章)

 日本語に訳すと分かりにくいのですが、もとのフランス語だと「お願いです」はそれほど親しくない相手に使う「スィル・ヴ・プレ」で、一方「ぼくにヒツジを描いてよ!」の方は「描く」という動詞が友だちや家族など親しい相手にだけ使う形で「デシヌ・モワ・アン・ムトン」となっています。他人行儀と親しさがごちゃ混ぜの言い回しで、もちろん普通の会話ではこんな言い方はしません。丁寧表現か親しみ表現か、どちらかに統一します。

 サン=テグジュペリとしては王子をこの言葉で初めて登場させるわけですから、ヒツジの絵を欲しがるという内容はもちろん、混乱した表現にもそれなりの意味を与えていたと思われます。フランス人の読者ならまず間違いなくこの「おかしな」言い回しに気づき、首をかしげるはずだからです。どういうことなのでしょう。

 言ってしまえば、パイロットには「おとな」と「子ども」が同居しているということです。王子も戸惑ったでしょう。最初はパイロットを自分とは違う「おとな」と見たので、「お願いです」と丁寧な話しかけをしました。パイロットの外見は紛れもなくおとなですし、その内面にも気づかないうちにおとな的なところが育ってきています。王子はそれに反応したのです。

 といっても、パイロットはそれだけの人ではありません。つまり、すっかり「おとな」になってしまっているわけではありません。「お願いです」のあとに「…… 」と中断符があります。王子はこの僅(わず)かな沈黙の時間にパイロットのなかにある自分と共通するところ、すなわち「子ども」的なところを感じ取ったのかもしれません。それで、「ぼくにヒツジを描いてよ!」は、仲間に対する親しみを込めた言い方に修正したのです。

 つまり、王子のこの奇妙なごちゃ混ぜ言葉は、このときのパイロットがいわば「おとな」と「子ども」のごちゃ混ぜ状態であることを反映したものといえます。作者は王子にこうした言い回しをさせることによって、パイロットが「おとな」になりかけている「子ども」であること、そして王子がパイロットが抱えるこのある種の混乱を見抜ける存在であることを、二人の関係が始まる最初の場面でさりげなく示しておきたかったのだと思われます。

子どもの心が王子さま

 王子がヒツジを欲しがる理由、それは自分の星に生える悪いバオバブの木を小さいうちにヒツジに食べさせるためでした(バオバブのエピソードについては、次章で解説します)。ただ、このヒツジにはそれ以上の意味が隠れていそうです。なにしろ、王子が登場して最初に口にするのがヒツジが欲しいということですし、その言葉には「!」まで付いていて、王子が切実にヒツジを欲しがっているのが伝わります。

 物語のヒツジは悪いバオバブを食べる、その点ではいい動物なのですが、しかし王子が大事にしているバラの花も食べてしまうかもしれない、その意味では危険な動物でもあります。もちろん、ヒツジに悪意があるわけではなく、善し悪しも分からないまま、無邪気にただ目の前にある草を食べるだけなのですが…… 。

 私はこのヒツジは王子自身を表しているのではないかと思っています。ただし、パイロットと出会ったときの王子ではなく、以前の王子、自分の星でバラの花と一緒だったころの無邪気で、しかし未熟だった王子です。ヒツジをしつこく欲しがる王子は、いわばかつての自分を取り戻そうとしている、以前の幼い気持ちを取り戻そうとしているのだと言えます。

 というのも王子は最初から最後まで完璧な王子として物語に登場するわけではなく、ものごとの本当のところを見抜く、そういった人生の知恵のレベルからすれば未熟な王子と成熟した王子がいるのです。パイロットに出会ったときの王子は好きなバラとの別れや、星巡りの体験、それにキツネとの出会いなどを経て、そうした知恵をすでに身につけていました。しかしそれ以前、自分の星にいたころの王子はそうではなかったのです。

 どんな王子だったかというと、たとえば星に咲いたバラの美しさに素直に感動し、美しいバラが自分の前に現れたことを無邪気に喜び、純粋にバラのためを思って一生懸命に世話をします。愛すべき王子なのですが、その同じ素直さや無邪気さや純粋さのせいで、王子はバラの本当は表面的でしかない言動を真(ま)に受け、バラの気まぐれに一々つきあい、振り回され、苦しみ、傷ついて、ついにはバラから離れていくことになります。

 王子を愛らしい存在にしているこうした幼い気持ち、小さいころの私たちにもあったはずのこうした心の在りようは、愛すべきものではあっても、現実に立ち向かうには非力だということです。そこで、私たちは自身の成長をこうした王子的な気持ちの克服という方向で考えがちになります。「いつまでも子どもじゃないぞ」と強がっているうちに、幼い気持ちを忘れていくのです。

 王子も幾分そうやって過去の自分を反省し、否定することによって成長していきます。パイロットと出会ったときの王子はかつての王子とは違い、かなりたくましくなっています。もうバラの表面に惑わされることもなく、その本当のところを見ることができるようになりました。

 そのあたりは私たちも同じです。年とともに経験を重ね、知識が増え、それなりの知恵や自信がついて強くなります。しかしそれでどうなるかというと、王子からもパイロットからも嫌われてしまいそうなわけ知り顔の「おとな」や、気むずかしい「おとな」になってしまうことが多い。どこかで間違ったということです。

 何のための強さなのか。それがポイントです。王子は自身の成長の最後にヒツジを欲しがることによって、この問いに答えを出しています。強さの存在理由は、かつての素直さや無邪気さや純真さを取り戻し、守るためだということです。

 未熟さから失敗を招きもしますが、それでも大事なのはやはりこの幼い純な気持ちであり、これが生き方の真ん中になければ成長も知恵も意味がない。王子はここにきてあらためてそう思ったのでしょう。だからヒツジが要るのです。もちろん今度の素直さはバラの本当の気持ちに耳を傾ける素直さでしょうし、バラの外見の美しさを喜ぶだけでなく、バラの存在自体を喜ぶ無邪気さであり、そしてバラの表面的なあれこれの注文に惑わされず、バラが本当に望んでいることに応えようとする純真さ、そういったものになるのだろうと思われます。

「ぼくにヒツジを描いてよ!」という言葉は、王子がこうありたいと願う自身の姿から出てきたものであり、ヒツジと一緒に星へ帰ってからの王子は、知恵の強さに守られる幼い純な心、として暮らすことになるのだろうと思います。

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著者

水本弘文(みずもと・ひろふみ)
北九州市立大学名誉教授。九州大学文学部、同大学院修士課程修了。九州大学文学部仏語・仏文学科助手を経て、1975年から北九州市立大学文学部に勤務。専門はフランス文学。2011年に退職、現在は同大学名誉教授。著書に『「星の王子さま」の見えない世界』(大学教育出版)がある。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。

■「100分de名著ブックス サン=テグジュペリ星の王子さま」(水本弘文著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。

*本書における『星の王子さま』他からの引用は、特記ない限り著者が翻訳しました。サン=テグジュペリ画の挿絵は『星の王子さま』(岩波書店)より引用しました。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2012年12月に放送された「サン=テグジュペリ 星の王子さま」のテキストを底本として一部加筆修正し、新たにブックス特別章「味わいながら目指すいい人生」、読書案内、年譜などを収載したものです。

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