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「誰もが納得できる考え」は見つけられるのか──西研さんと読む、フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』【NHK100分de名著】

NHK出版デジタルマガジン

「誰もが納得できる考え」は見つけられるのか──西研さんと読む、フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』【NHK100分de名著】

共通理解をつくり、「よりよく生きる」ために──フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』を、西研さんが解説

2025年7月のNHK『100分de名著』では、20世紀ドイツの哲学者、エドムント・フッサールの最晩年の著作『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』を、大学院大学至善館教授の西研さんが紹介します。

19世紀から20世紀前半のヨーロッパでは、自然科学を中心にあらゆる学問が飛躍的な発展を遂げていました。しかしその陰で、人が「よりよく生きる」ことを探究するという学問の理念が危機に瀕している、とフッサールは訴え、『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(1936)を発表したのです。

多様な価値観が認められる一方で、社会の分断が進む現代。「現象学」によって、多様性を否定することなく「誰もが納得できる普遍的な考え」を見出すことができると西さんは語ります。番組テキストでは、フッサールの現象学のエッセンスと、それを用いた哲学対話の手法を、西さんとともに学んでいきます。

今回はテキストから、そのイントロダクションを公開します。

共通理解をつくり出す哲学

 今月の「100分de名著」では、二十世紀ドイツの哲学者、エドムント・フッサール(一八五九〜一九三八)の「現象学」について、みなさんにお話ししたいと思います。

 現象学とは、自身の体験を反省してその内実を確かめるという、一種の思考の方法です。それは哲学(直接の弟子のハイデガー、フランスのサルトルやメルロ゠ポンティなど)だけでなく、精神医学、看護学、質的心理学にも、現在に至るまで大きな影響を与え続けています。

 さて、今回名著として取り上げるのは、最晩年の著作『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(一九三六年。以下、『危機』書と略す)です。

 ところでみなさんは、正義や美のような「価値」について学問的に探究したり、共通な理解をつくったりすることができると思いますか? 「いや、歴史上の事実や科学的事実についてならきちんと確かめられるが、価値についての考えは結局人それぞれなんじゃないかなあ……」。そう思う人がほとんどではないかと思います。例えば哲学には正義論というジャンルがありますが、それにも、「個人の自由と所有の保護」を絶対の正義とみなす立場(リバタリアニズム)もありますし、経済の格差是正と所得再配分が社会正義には欠かせないとする立場(リベラリズム)もあります。さらに、共同体で伝統的に善として認められてきたものにこそ正義があるとみなす立場(コミュニタリアニズム)もあります。このように、正義について学問的な議論はさまざまになされていても、〝誰もが納得するような〞共通理解は成り立っていないのが現状です。

 しかしフッサールはこう考えます。「では、まっとうな学問的議論は「事実」についてだけ可能ということなのか。いやそうではない。価値についても「誰もが納得できる考え=共通理解」をつくれるはずだ。もともと近代の学問は価値を含めて共通理解をつくることを目指していたのに、その理想は挫折してしまった。それこそがヨーロッパの学問の危機なのだ」と。フッサールは『危機』書のなかでこのことを情熱的に訴え、この挫折がなぜ生まれたかを追究していきます。そして、共通理解をうち立てるための「思考の方法」として彼がつくり出した秘策こそが、「現象学」だったのです。

 「本当にそんなことができるの?」と疑問に思った方もおられるでしょう。そういう方にこそ、フッサールの現象学という思考法に触れていただきたいと思います。

 さて、これからみなさんと読む『危機』書は、フッサールが渾身の力を振り絞って現象学の真意と重要性を説いた著作です。全三部で構成されており、第一部ではヨーロッパの諸学問が直面している危機について語られ、第二部ではその危機がどこから生じたのかを考察しています。この第二部冒頭の幾何学と物理学の成り立ちをめぐる箇所はとりわけ濃密で、筆が冴えわたっています。

 諸学問を危機から救う現象学の具体的な方法については第三部で詳説されるはずでしたが、フッサールが病に倒れ志半ばで亡くなったため、草稿を整理したものが収められています。肝心の第三部が未完なのは残念ですが、『危機』書はフッサールの著作のなかでもっとも情熱的で、読者を刺激する本だと思います。

 私がはじめてフッサールの著作を読んだのは学生時代、一九八〇年代初頭のことです。その情熱的な筆致や、とくに『危機』書第二部の所説に惹きつけられたのを覚えています。しかし、フッサールが目指す「誰もが納得できる普遍的な考え」を見出すことなど本当にできるのか。できたとしても、それは個々人の多様な考えを抑圧することにつながりかねないのではないか──。一九八〇年代に流行したポストモダン思想の影響もあり、正直なところ、フッサールに対しては「ひと昔前の古い哲学」という印象をもっていました。

 しかしその印象は、現象学について理解を深めるなかで変わっていきました。

 人の感じ方や考え方は、確かに多様です。しかしその一方で、私たちの感情や認識、価値観には、普遍的なもの(人間性に共通なもの)も確かにあります。例えば、自分を大事にしてくれる人がいれば「うれしい」と思うし、逆に人からバカにされれば、程度の差はあれ、誰しも「悔しい」と感じるでしょう。

 この「人間性に共通なもの」を、「私の意識体験」を反省することによって取り出そうとするのが、現象学なのです。「私の〝なつかしくなる体験〞には、ほっこりするとか、切なくなるという特徴があるが、これはおそらく、他の人のなつかしさ体験にも共通しているのではないかな」というように、「私の意識体験」を反省することから出発して、互いに共通する感情や価値観、認識の仕組みを語り合って確かめるのです。

 私は、フッサールの現象学を用いた哲学対話を一九九〇年代の終わりころに始めたのですが、実際にやってみると、各人の感受性の多様性とともに、全員に共通するものがあることを実感することができました。その実体験が一つのきっかけとなり、感情だけでなく、正義や美といった価値についても、多様性を否定することなく共通理解をつくることができると確信するようになりました。

 もちろんあらゆることに共通理解がつくれるわけではありません。多様であっていい事柄や、多様でなければいけない事柄もあります。例えば、「理想の生活」という意味での幸福は、他人には決められたくありません。それは多様であるべきなのです。

 しかし、「人はどんなときに幸福だと感じるのか」という問いだったら、どうでしょうか。親しい人が自分のことを本当に大切に思ってくれていると実感できたとき。自分の努力が報いられたとき。美しい風景にうっとりするとき。さまざまな幸福体験があるでしょうが、しかしそれらはまったくバラバラではなく、いくつかの典型的な幸福体験を認めることができそうです。つまり、幸福についても、問い方によっては共通理解がつくれるのです。

 では「正義とは何か」と問われたら、どうでしょうか。「唯一絶対の正義などない」と断じる人もいるでしょう。しかし、正義や善悪の感覚をまったくもたない人はいないのではないでしょうか。古今を問わず、人々は「それはひどい、やってはいかん」「こうするのが正しい」と互いに語り合って生きてきたはずです。その意味で、正義の感覚は普遍的なものといえます。美についても、何を美しいと感じるかは人それぞれですが、美醜の感覚をもつこと自体は、むしろ普遍的です。

 だとすれば、「これこそが正義だ」という唯一の正義の基準を提示するのではなく、「人はなぜ正義の感覚をもつのか」というふうに問いを変えてみれば、互いに共有できる答えを見出せるかもしれない。さらに正義の感覚の根拠を掘り下げていけば、私たちが共有しうる、妥当な正義の基準を明らかにすることができるかもしれません。

 このように、互いの体験を出し合うことによって、共通すること・共有しうることを探るのが、現象学なのです。そしてそれは、社会的に共有すべき価値をつくり出すことにもつながっていくのです。

 紀元前五世紀後半、古代ギリシアのアテネで活躍したソクラテスは、正義や美や国家のあり方について、対話によってそれらの価値を明らかにして共有することを「哲学」(philosophia, 愛智)の目的と考えました。その意味で現象学は、ソクラテス以来の哲学の志を実現しようとするものといってもよいでしょう。

 ポストモダン思想は、「社会はこうあるべき、人はこう生きるべき」という旧来の「べき論」を解体し、大きな解放感を与えました。しかし誰もが共有できる「よい」がどこかになくては、社会をよりよいものにすることはできません。これはいま、まさに私たちが抱えている問題です。

 ネットメディアの広がりによって、私たちの実感可能な視野は地球規模に拡張されました。ウクライナやガザで起こっていることも、私たちは映像を通してリアルに感受しています。その一方で、接触するメディアごとにまるで別世界を生きているかのような分断も生まれています。

 「多様性」という言葉が、いつしか「みんなそれぞれ、バラバラでいい」という意味にすり替えられ、共通理解をつくることを軽んじたり、諦めたりするような風潮もあります。しかし、いまのままでは世界は立ち行かなくなるということにも、私たちは気づき始めている。そんな現代の状況に照らして考えると、フッサールが挑んだことはますます重要になっていると思います。

 現象学は、よりよい生き方と、よりよい社会を築くための方法です。机上の学びで終わらせずに、誰もが共有可能な価値について考えるための、現象学的な思考の方法を身につけてもらえるとうれしく思います。

『100分de名著』テキストでは「学問の「危機」とは何か」「科学の手前にある豊かな世界」「現象学的還元によって見えるもの」「現象学で何ができるか」という全4回のテーマで本書を読み解き、さらにもう一冊の名著としてフッサール『デカルト的省察』を紹介しています。

講師

西研(にし・けん)
大学院大学至善館教授
1957年鹿児島県生まれ。哲学者。東京大学教養学部を卒業後、同大学院総合文化研究科修士課程修了。和光大学教授、東京医科大学哲学教室教授などを経て現職。専門は社会哲学、現象学の手法を用いた哲学対話。著書に『ヘーゲル・大人のなりかた』(NHKブックス)、『NHK出版 学びのきほん しあわせの哲学』(NHK出版)、『哲学は対話する プラトン、フッサールの〈共通了解をつくる方法〉』(筑摩選書)など多数。
※刊行時の情報です

◆「NHK100分de名著 フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』2025年7月」より
◆テキストに掲載の脚注、図版、写真、ルビ、凡例などは記事から割愛している場合があります。
※本書における『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の引用は、中公文庫版(細谷恒夫・木田元訳、1995年)に拠りますが、引用者が一部改変・補足しました。
◆TOPイラスト提供:sono_ringo/イメージマート

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