レベッカ結成40周年!80年代にNOKKOが歌い続けた “女の子が女の子であること”
今年、結成40周年を迎えるレベッカ
80年代を代表するスーパーバンド、レベッカが今年結成40周年を迎える。デビューは1984年。元々は、その後レッド・ウォーリアーズで活躍する木暮武彦が結成したバンドで、当初は男性ボーカルだった。1982年にNOKKOが加入し、その後紆余曲折を経て84年4月21日、「ウェラム・ボートクラブ」でCBS・ソニーのFITZBEATからデビュー。ソニーの中でもロック色の強いレーベルであった。
デビュー当初は全く注目されず、京都のライブハウスでは観客がバンドメンバーより少ない4人だったという話も伝説的なエピソードだ。熱心なライブ活動で次第に動員は増え始め、85年1月の渋谷エッグマンでの公演では、同会場の動員記録を作るまでになったが、音楽の方向性の違いから木暮とドラムの小沼達也が脱退。ここからリードボーカルNOKKOの個性を前面に打ち出した、ハードロック路線からポップセンスを取り入れた作品作りに変化していく。
女の子の自己主張を強力に打ち出したファッション
ちなみにこの時期、NOKKOおよびレベッカがお手本としたのは、マドンナ。この時代、マドンナのファッションやメイク、ヘアスタイルを真似た “ワナビーズ” と呼ばれる少女たちがアメリカで大量発生していたが、この雰囲気を取り入れたのがNOKKOのスタイルだった。3作目のシングル「ラブ イズ Cash」もマドンナの「マテリアル・ガール」を下敷きにしており、全体に “ガーリー" なイメージを打ち出しているのだ。
レーストップ、ロングフレアのスカート、ビスチェや手袋、ブレスレットに加えてジャラジャラのアクセ、大きなリボンなど、女の子の自己主張を強力に打ち出したファッションは、かなり意志が強いキャラクターでないとなかなか成立しづらいが、ボーカリストNOKKOはまさしくこの装いにふさわしい存在感があった。この時代のファッションアイコンとしても秀逸なものであり、あえてマドンナのセクシーな部分を引き継がなかったのは正解でもあった。
加えて、男性の演奏陣を従えて、パワフルかつキュートなボーカルを放つ彼女のスタイルも大きな存在感を放っていた。日本の音楽シーンで、“女性ボーカルをメインに他は全員男性” という構成のロックバンドは、過去にはサディスティック・ミカ・バンドとシーナ&ザ・ロケッツがいたが、ティーンの少女を熱狂させた点、そしてこの構成の後継バンドをその後いくつも生み出したという点において、レベッカの功績はかなり大きなものがある。ある意味、その後プリンセス プリンセスのようなガールズバンドが大成功を収める呼び水ともなっているのだ。
「ハーフポテトな俺たち」のエンディングに起用された「フレンズ」
レベッカがティーンエイジャーに支持された理由は、NOKKOの外見だけではない。85年10月21日に発売された4枚目のシングル「フレンズ」の大ヒットである。この曲は日本テレビのティーン向けドラマ『ハーフポテトな俺たち』のエンディングテーマに起用され、オープニングテーマもカップリングの「ガールズ ブラボー!」であった。「フレンズ」はまさしく思春期の少女の、デリケートに揺れる初恋の心情を歌詞に落とし込んだ傑作で、一方の「ガールズ ブラボー!」も、恋に積極的に向かおうとする女の子のアクティブな心情を代弁した内容である。
歌の世界とNOKKOのキャラクターの一致が見られる上、ドラマ『ハーフポテトな俺たち』の内容もやはり、高校2年の少年たちを主人公に、大人社会との対峙や恋愛に悩む姿を描いたドラマであった。視聴者層が限定されてしまうためか、ドラマの視聴率はそれほどでもなかったが、「フレンズ」はティーンエイジャーの大きな共感を得て爆発的なヒットを記録。この2曲を収録したアルバム『REBECCA Ⅳ 〜Maybe Tomorrow〜』もチャート1位を獲得し、レベッカは一躍トップバンドに上り詰めたのである。
多くの少女たちの心をとらえたNOKKOのアクティブなパフォーマンス
ティーンの少年少女たちがレベッカに熱狂したのは、ボーカリストNOKKOの強烈な個性にあるところは言うまでもない。個性の強さ、斬新さは異端に見られる恐れもあるが、一方で熱狂的な支持者を生み出す必須条件でもある。
NOKKOの場合はチープシックな部分も含めたファッションセンスの良さが、ちょっと真似したくなる “ガーリー” な要素を多分に含んでいた。そしてアクティブなパフォーマンスも “自己主張する女性” の生き方として、多くの少女たちの心をとらえたのだろう。そして "ガールズ・ブラボー!" と叫ぶ一方で、「フレンズ」に見られる思春期の誰もが経験する思いを歌い、次作「RASPBERRY DREAM」では、自身に磨きをかけて魅力的になりたい女の子の心情を歌う。88年の「MOON」における母と娘の関係性などなど、いずれも “女の子が女の子であること” に必須の感情が歌われ続けた点が、圧倒的な影響を与えたのだ。
恋愛について歌われる場合でも、前述の作品を含め、男性の目線をほとんど気にしていない点が、レベッカの楽曲の特徴である。あくまで "あなたと私" ではなく "私自身" の歌であること、この方向性は一貫している。“女の子が女の子であること" の喜びや高揚感、そしてセンチな心情や、自身がヒロインになることを目指す強い思いなど、ティーン女性が共感できる全てが、レベッカの歌には詰まっていたのだ。もちろん、歌詞に加えて既に土橋安騎夫の書くメロディーに、その要素が含まれているのも大きい。
レベッカは91年2月14日に解散。その後何度かの再結成が行われているが、「フレンズ」の大ブレイクから解散まではわずかに5年と少しであり、振り返ればあの熱狂は意外なほど短期間であったことに驚かされる。それだけ短期間での大爆発が、この時代のティーンエイジャーの心に深く刻み込まれているのだ。幾度かの再結成がいずれも熱く迎え入れられているのも、この世代への影響力の高さを物語っている。