【東京新聞紙面連動企画】石破首相「ばらまき」で注目 商品券、源流は・・・豆腐?
今日から、毎週月曜日は、2年ぶりの復活、東京新聞との紙面連動企画です。
初回の今日は、石破総理の「ばらまき」で注目された商品券、その源流について取材した『こちら特報部』の記事に注目しました。
記事によれば、物価高の中、商品券を扱う金券ショップはやはり利用者も多く、特にスーパーマーケットで使える商品券が売れ筋となっていて、商品券は庶民の味方!と。
食べたいときにどうぞ!「御厄介豆腐切手」
そんな我々に身近な商品券ですが、そもそもいつから始まったのか。
記事を書いた木原育子記者が国税庁租税史料を調べたところ、江戸時代半ば頃の仙台に、好きな時に豆腐と引き換えられる券があり、それが始まりだ、ということなのです。
そこで、宮城県豆腐商工組合・専務理事で、上村豆腐店の上村修治さんにお話を伺いました。
仙台市・上村豆腐店 上村修治さん
「私も先日の新聞で初めて知りました。で、諸先輩方に聞いたら、泉ヶ岳って仙台市にあるんですが、そのふもとの方で、お世話になった方々に対して豆腐を差し上げてたっていう話は聞こえてきましたね。ただ、豆腐自体が日持ちするものではないので、引換券・商品券として配ってたみたいですね。
どうしても食べてほしいっていう気持ちがありき、だと思うんですよね。食べたいタイミングで食べて下さいね、っていうお気遣いだったんでしょうから。なおさら、昔、冷蔵設備なども無いでしょうから、好きな時に引き換えられるっていうのは、素晴らしいアイデアだと思いまね。あ、ビックリしました。ここ宮城県が発祥であろうっていうことですからね。嬉しい限りです。」
日頃の懇意へのお礼として、冬至にお豆腐を贈る習慣があったが、日持ちのしない豆腐が集中してしまうのを避けるために出来たのが日本初の商品券。その名は「御厄介豆腐切手」。御厄介は「お世話になった」という意味ですね。
ちなみに、上村さんのところでは、今でも桐の箱にいれた豆腐を販売しています。バレンタインやホワイトデー、これからだと母の日、父の日など、イベントごとの贈り物として、良く売れていて、取材の日も午後1時の時点で売り切れてました!
(上村豆腐店のホームページより)
かつお節と交換できる、銀二匁の商品切手!
では、幕府のあった江戸はどうだったのか。江戸での商品券の先駆的な存在だったのが、日本橋でかつお節を商った伊勢谷伊兵衛。今のにんべんです。
かつお節も豆腐と同じく、頂き物でもらっても、虫が付いたりネズミにかじられたりして、保管がなかなか大変なものだったので商品券が生まれたのですが、株式会社にんべん経営企画部執行役員の町田忠男さんにお話を伺うと、江戸ならではの事情もあったようだ、といいます。
株式会社にんべん経営企画部執行役員 町田忠男さん
「かつお節と交換できる銀製の商品切手という形になります。これが当時の切手のレプリカでございます。
形はかつお節の形を模したもので、銀二匁という形で、銀の重さをしっかり担保してますという刻印が入っています。商品券自体に金銭的な価値があるということで、その信用でもってお使いいただいてた、と。要は金属としての価値があったので、もらった方は、その価値がしっかりあるものを頂いているということなので、納得していただける。普及させるにあたっては銀二匁の価値を担保したというのが大きなポイントだったかなと思います。
おそらくですが、かつお節っていうのはかさばるものなので、贈答品で持って行くといっても、結構大きなものをガサっと持って行くかたちになるので、江戸の方々からすると粋じゃないじゃないですか。かたちが大きくないモノをサラッと渡す、さりげなく渡す、みたいなのが粋みたいな文化があったのかなっていうことは、今思うと感じられるところですね。」
なるほど~!と思ってしまいました!大きなものを大仰にあげるのではなくて、小さいモノををさらりと渡したい、これぞ江戸の粋!
(こちらが見せて頂いたかつお節の形を模した銀二匁の商品券のレプリカです!持つとずっしり重いです!)
また、幕府のお膝元は人口も多い。いろんな人がいるからこそ、商品券自体を銀にして価値を持たせることで、この商品券は信用できる、と思ってもらおうと考えたのです。
他にも、羊羹やまんじゅうの和菓子屋さんや酒屋さんなど、日持ちしない、鮮度が大事なものを扱うお店を中心に、江戸では商品券が広がっていたとされています。ちなみに、商品券というものが根付いてからは、にんべんも紙製の商品切手に切り替えましたが、戦前までかなりの量が流通していた、ということでした。
利便性を高めた共通商品券・・・ですが
そして、今や、いろんなお店で使える共通商品券が主流となり、便利になりました。
最後に、これらの歴史を踏まえ、現代の商品券について専門家に聞きました。東洋大学名誉教授の小川純生先生のお話です。
東洋大学 小川純生名誉教授
「最初は占有商品券という形で、最初の意図はそのお店のものを買ってもらうために、そのお店でしか買えない商品券を発行してたわけですね。最初のお豆腐と原点と同じなんですね。作る側と食べる側の都合をうまく考えてあげてね、非常にいい発想ですよね。
その商品をある意味で、勧めてるわけですよ、このお店の商品美味しいですよ、ってことで商品券をあげるっていうかたちになってるもんですが、共通商品券になると、そのあたり漠然としてね、だんだん曖昧になってくるというか、その曖昧性がある意味でいいのかもしれないし、その辺は、今回は石破さんが商品券渡したっていうのに通ずることだと思いますが、お金に近い部分でそういう匿名性がある、それでなんかちょっと柔らかな感じでいく、っていう、非常に微妙な部分を使ってるというか、商品券にとってはいい迷惑です、はた迷惑ですよね。」
利用者の利便性を考えて占有商品券から共通商品券に変わってきたわけですが、本来の販売促進や地域振興の意味合いが薄れてあいまいになってしまっているのも現状。
自分の一万円よりも、もらった一万円の商品券の方が、使うときのハードルが下がり、消費活動を活発にできるし、商店の活性化にも期待ができる。これが商品券の良さ!
現金に比べて、うしろめたさを手放せるなんて使われ方では、商品券を考えた先人たちが、泣きますよね!
(TBSラジオ『森本毅郎スタンバイ』取材・レポート:近堂かおり)