【光る君へ】源氏物語の主人公・光源氏はマザコンで少女嗜好のヤバい奴だった
日本文学の金字塔のみならず、世界に誇る文学としての地位を獲得する『源氏物語』。
天才とも称される、大河ドラマ「光る君へ」のヒロイン紫式部が描いた格調高い古典文学は、全てとは言わなくても、読んだことがあるという人は多いでしょう。
しかし、そこは54帖にもおよぶ長編であり、しかも難解な平安朝の古文で書かれた作品だけに、読破するのはかなりの覚悟が必要です。
もちろん、たくさんの作家たちが現代語訳の本を出していますが、それを読み通すのも大変で、それ故に『源氏物語』を敷居の高い文学にしているのかも知れません。
そんな『源氏物語』の主人公が、ご存じの光源氏。とはいっても、これは本名ではありません。「光り輝く、美しい源氏の君」という人物像にあわせて紫式部が命名した、いわばニックネームです。
しかし、式部がその時代の貴族の理想像として描いた、この光輝く君は、その生涯を通じて驚くほどの女性と関係を持ちます。
しかも、その女性遍歴の背景には、光源氏のもつマザコンと少女嗜好という心の葛藤があるのです。
今回は、そんな光源氏の女性遍歴を辿っていきたいと思います。ただし、関係した女性が余りにも多いので、ここでは中心的なヒロインたちに絞ります。
マザコンの芽生え。義理の母・藤壺への異常な愛
光源氏の母は、桐壺帝、すなわち天皇の妃であった「桐壺」の更衣(高位の女官)です。しかし、母は彼が幼いころに死去。
父の桐壺帝は天皇ですから、もちろん他にも夫人たちがいます。
光源氏は、その一人である義母の「藤壺」を慕うようになり、やがて彼女に恋をするようになりました。
光源氏の「藤壺」への思いを感じ取った桐壺帝は、彼が12歳で元服すると「藤壺」の部屋への出入りを禁止するとともに、左大臣の娘「葵の上」と結婚させます。
父親なりに、こいつは危険だと感じ取ったのでしょう。
しかし、光源氏の「藤壺」への思いは募るばかりで、それを年上の女性である人妻の「空蟬(うつせみ)」、さらに前の東宮の妻であった「六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)」の、二人の年上の女性との情事で埋め合わせようとします。
この当時の彼は、17歳。まさに思春期真っ盛り。そして、義母「藤壺」へのマザコン全開という状態です。
ちなみに、「六条御息所」は嫉妬心に狂うと生霊になり、その相手に害を及ぼすというかなりヤバい女性で、この後、光源氏に関係する女性たちを取り殺すなどの騒ぎを巻き起こすのです。
そして、彼が18歳の時、どうしても義母への愛情を断ち切れず、思い余って「藤壺」の部屋に強引に押し入り、彼女を襲って、契りを結んでしまいます。これ、今なら暴行と言われても仕方ないですよね。
義理とはいえ親子の関係ですから「藤壺」は罪の意識に苦しみます。しかし、源氏はその後も関係を迫り、ついに「藤壺」は懐妊。
翌年に、皇子を出産するという結末を迎えてしまうのです。
10歳の少女を理想の女性に育てる
「藤壺」に対する光源氏の異常なまでの執念は、今度は彼女の兄の娘である「紫の上」に向けられます。
この頃、彼は「夕顔」という2歳年上の美女とラブラブ状態。「藤壺」「藤壺」といいながら、「夕顔」にぞっこんというのはさすが光源氏です。しかし、これを知った「六条御息所」が「夕顔」に取り憑いて殺してしまったのです。
「六条御息所」の生霊攻撃にショックを受けた源氏は、半死半生の状態に陥り、北山に祈祷に出かけます。その途中の屋敷で「藤壺」によく似た少女を発見。それが「紫の上」でした。
この時「紫の上」は、まだ10歳。
さすがに若すぎて手を出せないと思った源氏は、彼女を二条の邸に引き取り、じっくりと自分好みの女性に育てる計画を立てます。庇護するためという大義名分があるとはいえ、現代ならば拉致監禁で逮捕されても仕方がないですね。
恐るべき、少女嗜好の本性が現れたのです。
この当時の光源氏の正妻は「葵の上」でした。彼女は26歳で光源氏の子・後の「夕霧」を出産しますが、「六条御息所」とのいざこざが災いして、またしてもその生霊に取り殺されてしまいます。
正妻をなくした光源氏は、彼の好み通りに美しく育った「紫の上」と無理やり関係を持ちます。「紫の上」は、光源氏を父とも兄とも慕っていましたので、この行為には、衝撃を隠し切れませんでした。
しかし時は流れ、彼女は43歳で亡くなるまで、光源氏の正妻格として生涯を送ります。
光源氏のもとに来た理由はともあれ、「紫の上」はやはり『源氏物語』の最大のヒロインであり、光源氏が最も愛した女性だったのです。
広大な敷地に理想のハーレムを構成
その高貴な身分と、美しい容貌からやりたい放題の光源氏。しかし、そんな彼にもピンチの時が訪れます。
光源氏20歳の春、桜の花の宴があった夜でした。彼の政敵であった右大臣の六女「朧月夜」とできてしまうのです。
しかも、彼女は光源氏の兄・朱雀帝に入内間近という身。そんなことにお構いなしの彼は「朧月夜」が朱雀帝の妃となった後も、執拗に彼女に迫り、情事を重ねます。
ことが公になれば、とんでもないことになるのを分かっていながら、頭よりも下半身が突っ走ってしまうのが光源氏の真骨頂でしょう。
しかし、大方の予想通り、二人の密会は右大臣に知れることになり、光源氏は官位を剥奪されてしまいました。
さらに、遠国に流罪になるのを恐れた彼は都を離れ、須磨に隠遁します。
そして、元皇族の明石の入道の手引きで、明石へと落ちていくのです。
明石に落ち着いた光源氏は、入道の希望により、その娘「明石の君」と結ばれ、ちゃっかり子供まで作ってしまいます。このとき生まれた娘が、後に天皇に嫁いで皇子を設ける「明石の姫君」です。
そして、3年の歳月が流れ、28歳になった光源氏は、ついに都に戻れることになりました。それは、朱雀帝が病気になり、都も天災に見舞われる状況であったからです。
光源氏が都に戻ると、朱雀帝は、冷泉帝に譲位します。この帝こそ、光源氏と「藤壺」の間に生まれた不義の子なのです。
これにより、光源氏は冷泉帝の補佐役として内大臣に昇進しました。
いやはや、生まれついて強運を持った人はさすがですね。
こうして、朝廷の主流派となった光源氏は、35歳の秋、六条の地に大邸宅・六条院を完成させます。
この六条院は、かの「六条御息所」から、絶対に手を出さないという約束の上で、彼女の娘を後見することで手に入れた土地でした。
光源氏は、この邸宅にお気に入りの女性たちを囲い込みます。自分と「紫の上」が春の町、「花散里」が夏の町、「六条御息所」の娘「秋好中宮」が秋の町、「明石の君」が冬の町に暮らしました。
人々が「この世の極楽」と称したという、六条院はまさにハーレム。光源氏の栄華の象徴のような邸だったのです。
25歳以上離れた少女と結婚
さて、六条院の完成から約4年が過ぎます。
光源氏の兄である朱雀院は、病床に臥しており、彼にとって最大の心配事は娘の「女三の宮(おんなさんのみや)」の行く末でした。
悩んだ末に院が出した結論は、なんと娘を40歳の光源氏の正妻にすることだったのです。当時の40歳は老齢といっても差し支えのない年齢。さすがの光源氏も、14歳の少女との結婚には戸惑いました。
しかし、死を間近にした兄のたっての頼みであるので、ついに承知してしまったのです。
これには正妻格の「紫の上」も大きなショックを受けました。相手が14歳で、25歳以上の年の差があるにもかかわらず、本能が動き出した光源氏を止めることはできなかったのです。
こうして、光源氏のもとに「女三の宮」が輿入れしてきます。しかし光源氏は、彼女の余りの幼稚さに落胆の色を隠せません。同じ幼さでも「紫の上」の時とは次元が違っていたのです。
光源氏は、やはり自分の正妻は「紫の上」以外にはいないと改心し、彼女への愛を深めていきます。
ところが「女三の宮」は、こともあろうに光源氏の目を盗んで、彼の悪友である内大臣の息子、柏木と密通し、懐妊してしまうのです。
若き日に、義理の母「藤壺」と不義密通の末に、子まで成したという自らが犯した罪への報いが、いま光源氏に返ってきました。
その後「女三の宮」は、男児(後の薫君)を出産しますが、さすがに罪の意識を感じたのか、彼女は出家してしまいます。
光源氏は、男児を自分の子として認知し「女三の宮」は、彼の庇護のもとで修業生活に専念することになりました。
そして、光源氏51歳の秋、「紫の上」が43歳でこの世を去ります。
そして、最愛の妻を失った光源氏は、50代半ばで、その恋愛に明け暮れた人生に幕を落としました。
実は、今回取り上げた光源氏と関係のある女性は、これが全てではありません。
『源氏物語』には、個性あふれる魅力的な女性たちがたくさん登場し、様々な形で光源氏との関係を繰り広げています。
折をみて、光源氏にまつわる女性たちを紹介していきますので、どうぞご期待ください。
※参考文献
板野博行著 『眠れないほどおもしろい源氏物語』三笠書房刊
文 / 高野晃彰
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