「必ずママの所に戻ってきてね」空に話しかけた…稽留流産
4歳の娘と1歳の息子の子育てに奮闘しながら、フリーランスで仕事をしているママライターのTomomiです。私が初めての妊娠をしたのは、29歳の時でした。妊活を開始して1年程経過した頃、レディースクリニックのタイミング法指導の下“自然妊娠”をすることができて、夫婦で喜んだのを覚えています。
初めての妊娠、「あれ?赤ちゃんが映らない…」
生理予定日を数日過ぎても生理が来ず、フライング気味に妊娠検査薬を試し、クリニックの診察で妊娠4週目を確認。その後5週目に産婦人科に転院し、大きくなった胎嚢にワクワクしていました。この頃は妊娠について無知でした。5週目なのに胎芽が見えない事に不安を覚える事もなく、次の健診を楽しみにしていました。
そして6週目に、たまたま受けた職場の子宮頸がん検診で、初めて医師の不穏な雰囲気を感じ、「次の健診時に、産院の担当医に見せるように」と、エコー写真を渡されたのでした。緊張の中迎えた7週目の検診で、無言のままエコー画像を見つめる担当医…。映し出されたエコーの中には、先週よりさらに大きくなった胎嚢があり、「大きくなっているし、きっと大丈夫」と願いながら、先生の言葉を待ちました。
流産がこんなに高確率で起こるなんて!
先生の口から出た言葉は、“流産”の可能性でした。あまりのショックで一人茫然とし、何を言われたのか半分くらいしか覚えていませんでした。現実を受け止められないまま、「1週待って駄目なら手術の可能性」という話をされ、「まだ確定していないのになんて不謹慎な先生なのだ」と、心の中で先生に八つ当たり…。
運命の8週目、願いは届かず“稽留流産”の診断となり、現実を突き付けられました。頭の中は真っ白で、前回以上に放心状態の私。心配して付き添ってくれた姉がきちんと説明を聞き、先生や看護師さんと現実的な話をしてくれました。
あまりに落ち込む私に、先生は流産経験者は意外にも多いと教えてくれました。それを聞いてもショックが消えるわけではないけれど、「自分の体のせいではないか?どこかおかしいのではないか?」という不安は少し和らいだように思います。
「ありがとう」また会える日まで“さようなら”
そしてお別れの日はやってきました。夫が出張のため、実家に泊まっていた週末の夜でした。突然の腹痛と大量出血。先生からは「生理が少し重いくらいの感じで出てくると思います」と言われていたのですが、現実は全然違う!夜用のナプキンが30分と持たないペースで出血が続き、ついにめまいを感じ真夜中に母を起こしました。
産科の救急外来に電話をすると、すぐに来るように言われ、あまりの出血に姪っ子のオムツをあてて車に乗り込みました。診察の結果、「子宮内で出血してしまっているので、手術で流産を促して出血を止めましょう」と、そのまま緊急手術となりました。術後目が覚めたのは明け方で、疲れ切った母が枕元に座っていました。
母にはとても心配をかけてしまったけれど、私が困らない様にこの日を選んで出て来てくれたのかなと、赤ちゃんに感謝しました。そして、ちょうどその日におじいちゃんのお墓参りに行き、「赤ちゃんが迷子にならないようによろしくね」とお願いしたのを思い出し、奇跡のタイミングにびっくり。「おじいちゃんが迎えに来てくれたのかな」と、悲しみの中にも嬉しさがこみ上げてきました。
流産はとても悲しくてつらい経験でしたが、この経験をした事で、子どもたちへの愛情をより深く感じる事ができています。1度お空に帰ってしまったけれど、きっとおなかに来るタイミングを少し間違えてしまっただけ。「またママの所へ戻ってきてね」と願い、こうしてちゃんと戻ってきてくれたと信じています。妊娠、出産は本当に奇跡。その後も化学流産を2度繰り返し、4度目の陽性反応で第1子である娘にようやく会うことができて、現在は2人の子どもたちと幸せな日々を送っています。
[Tomomi*プロフィール]
20歳で日本を飛び出しオーストラリアで就職。現地で出会った旦那を日本に連れ帰り、茶畑に囲まれたのどかな土地で一姫二太郎の育児に奮闘中!
趣味の“旅行”“フェス”“アウトドア”に子どもたちと行きたいと妄想しながら、現在は“パン作り”“園児が喜ぶお弁当作り”“手芸”に挑戦中の35歳、在宅ママライター。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。