【市町村長リレーコラム】第16回 新潟県新潟市 中原八一市長「笑顔あふれる新潟市の実現に向けて」
新潟県内30市町村の首長に、地域での取り組みや課題や首長としての想いなどをコラムとして寄稿いただき、次に寄稿いただく首長を指名いただきつないでいく「市町村長リレーコラム」。第16回は、新潟県関川村の加藤弘村長からバトンをつないでいただいた、新潟県新潟市の中原八一市長のコラムをお届けします。
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皆さんこんにちは。新潟市長の中原八一です。
私が市長に就任して現在2期目、5年半が経過し、様々な市政課題に向き合う毎日を送っています。リレーコラムということで、まずはこれまでの市政運営を少し振り返ってみたいと思います。
中原市政のスタート
平成30年11月に市政をスタートし、まず手を付けたのが行財政改革でした。
これは選挙の争点でもあったのですが、実際私が市長に就任した時には、市の貯金にあたる基金もわずかしかありませんでした。これでは災害などの対応が出来ませんので、不退転の決意で集中改革に取り組みました。
まずは、市長として改革の姿勢を示すために、令和2年1月から私の市長給与を2割、副市長給与を1割削減したんですが、職員たちは「市長は本気なんだな」と感じたようですので効果は間違いなくあったと思っています。
結果的に、3年間の改革で33億円だった基金を107億円まで回復させ、さらに集中改革で生みだした効果額をこども医療費の拡充やスマート農業の推進などに活用することが出来ました。
そして、この基金が今年1月1日に発生した能登半島地震への対応に役立つことになるのですが、後程ふれたいと思います。
改革の実行で市役所の財政体質を改善させつつ、公約で掲げたまちづくりに本格的に取り込もうとした矢先の令和2年2月29日に新潟市で新型コロナが初確認されてからは、市役所の仕事の半分以上が感染症対策に振り向けざるを得なくなってしまいました。私の臨時会見の様子が新聞の号外で配られるなど、今振り返っても市民に衝撃を与える出来事だったと思います。
この未知のウイルスの対応には本当に苦労しました。変異や感染拡大を繰り返し長い間市民生活や社会経済活動がストップさせられました。
マスクの着用や外出自粛、営業時短要請など市民や事業者の皆さまから大変なご協力をいただきました。また、令和3年5月から開始したワクチン接種では希望が殺到し予約が取れない状況も発生しました。
当初の個別医療機関を中心とした接種体制から集団接種枠の拡充を図り、県からも大規模接種会場を用意してもらうなど体制強化を行ったことで、その後の接種は順調に進みました。
3年以上続いたコロナ禍ですが、医療従事者の皆さまをはじめ感染対策にご協力いただいた全ての皆さんのおかげで何とか乗り越えられたと思っています。
能登半島地震 再び起こった液状化
昨年令和5年の大型連休明けに新型コロナが指定感染症の5類に移行し市民生活も落ち着き始めていたところ、今年の元旦に大地震が発生して再び災難に襲われることになってしまいました。今年は新潟地震からちょうど60年という節目の年にあたります。
私も被害現場をまわりましたが家の傾きや道路の隆起や陥没、砂があちこちから噴き出すなど液状化被害のすさまじさを改めて実感しました。
地震発生から5カ月がたち現在は復旧復興にとりかかっています。液状化被害は外からではわかりにくい家屋内での隆起や、地中の配管の破損など敷地内の広範囲が被害を受け、既存の制度ではなかなか手が届きにくいところがありました。
そのため、本市独自の支援制度を用意して対応してきたのですが、財源には75億円弱の基金を活用しました。財政体質を改善させ地震発生時103億円まで積み増していた基金が大いに役立ちました。
現在は住宅の再建に向け進んでいる被災者も少しずつ増えてきましたが、いまだ見通しが立たない方も多くおられます。
被災者からも「住宅再建に向け支援金が不十分」「もっと丁寧に情報発信して欲しい」「支援制度の申請期間が短すぎる」など市の対応に対する要望の声をいただいています。
被災者に寄り添いながら一日も早く平穏な日常を取り戻す!新潟市最大の課題に全力をあげて対応しています。
にいがた2㎞のまちづくり
話題は変わりまちづくりについて触れたいと思います。
さて皆さんは「にいがた2㎞」をご存じでしょうか。
「にいがた2㎞」は60年ぶりの新潟駅リニューアルをきっかけに駅、万代、古町を一体として活性化に取り組むことで、新潟の都心エリアの魅力をより一層高め、さらに、都心エリアで生み出された活力を市全域に広げていくことを目指しています。
いわば中心市街地の活性化ですが市民に興味や親しみをもってもらうことが大事だと考え、簡単なネーミングをつけるよう職員に指示しました。駅から古町までがほぼ2kmということで親しみやすいネーミングをつけることが出来たと思っていますがいかがでしょうか。ロゴも「2」はハクチョウ、「k」は人を「m」は萬代橋を表していて新潟らしさも出せていると思っています。
実はこの「にいがた2㎞」を公表したのは令和2年11月で、その時は日本中が新型コロナで大きな不安に包まれていた時でした。そんな時だからこそ、私は何とかして市民に明るい話題を届けたかった。コロナ以外の話題を打ち出すことは当時非常に難しく勇気のいることでしたが、あの時期に公表できたことで一歩先に取組みをスタートさせることができました。
2㎞エリア内では全国的にも手厚い市の補助制度を用意してビルの建て替えや企業誘致を促進し、首都圏からのIT企業の進出が取組みをスタートしてからの3年間で46社、約2000人の雇用が生まれるなど一定の成果は出てきたと思っています。
60年ぶりのリニューアル 新潟駅
「にいがた2㎞」のきっかけになった新潟駅のリニューアルですが、これは鉄道で分断していた南北市街地の一体化を目指して長年取り組んできた新潟市の一大プロジェクトです。
私が市長に就任してからは令和2年3月の新潟鳥屋野線の開通や令和4年6月の在来線全線高架化、そして今年3月には駅バスターミナルが完成しました。さらに4月には商業施設CoCoLo新潟がグランドオープンし連日大変賑っています。
事業の構想から30年以上本当に多くの方々が携わり、ここに来てようやくこの事業の意味や目的が市民の皆さんに実感してもらえる段階になり率直にうれしく思っています。
いよいよ新潟駅の整備も最終段階に差し掛かってきました。引き続き、駅前の万代広場の工事を着実に進め、県都新潟の玄関口に相応しい新潟駅を完成させたいと思っています。
新潟市民の一体感の醸成に向けて
さて、政令市新潟の強みとは何でしょうか。私は「都市」と「田園」が調和し暮らしやすいことだと思っています。
都市部では交通インフラや商業施設、文化施設などが充実し、周辺部には豊かな田園が広がり、そこで育まれた農産物は直売所で生産者と消費者の互いの顔が見える形で購入することが出来ます。この環境は人口が一定程度集積する都市部を自然豊かな田園部が包み込むように共存することで生み出されています。
新潟市は広域合併を経て市内は8つの行政区とされました。現在、8区の素晴らしい歴史や文化、産業といった特色を生かしたまちづくりに取り組んでおり着実に浸透してきています。その強みに気づき、しっかりと磨きながら各区の活性化につなげていきたいと考えています。
一方で周辺部からは「中心部だけが良くなっているのではないか」といった不満の声も聞こえてきます。これは合併した政令市に大きな期待をかけているからで、市政の課題の一つと認識しており、昨年度は区の権限と財源の拡充を図るとともに区長提案の制度をつくり毎年度区民の様々な要望の実現に努めることにしました。
2007年に政令指定都市となり17年が経過しました。合併前の市町村の境界や意識は次第に薄れてきてはいますが、いまだに根強く残っているのも事実です。
私は、どこの区に住んでいても新潟市民であるという共通の誇りや愛着が持てる新潟市をつくっていくことが、これからの新潟市の重要な課題だと思っています。
新潟駅のリニューアルを市民全体で喜び合う、まちづくりのこうした積み重ねで新潟市の一体感は醸成されていくと思います。
笑顔あふれる新潟市の実現に向け引き続き全力で取り組んでいく決意です。
新潟市の中原八一市長
【市町村長プロフィール】
中原八一(なかはら やいち)。新潟市西区内野町出身。内野小学校、内野中学校、新潟西高校(1期生)を経て、明治大学政治経済学部を卒業。1995年に新潟県議会議員に初当選し、4期15年にわたり務めた。2010年には参議院議員に当選し、2013年から2014年にかけて国土交通大臣政務官を務める。2018年10月に新潟市長に初当選し、現在2期目。公益財団法人新潟市スポーツ協会会長、新潟市国民保護協議会会長、新潟まつり協賛会会長など多くの役職を兼務。好きな食べ物はラーメン、タレかつ丼、新米、枝豆、ルレクチエなど。アルコールは日本酒やワインを好む。趣味はスポーツ観戦(高校・大学ラグビーなど)、ウォーキング、庭の手入れ、お神輿、読書(時事関係)。名前の由来は、父・八郎の「八」と長男であることから。座右の銘は「志あるところに道あり」。
【これまでの市町村長リレーコラム】
(第1回)加茂市 藤田市長「チャレンジせずに諦めてしまったら、全て嘘になる」(第2回)阿賀町 神田町長「希望ある未来へ全力」(第3回)五泉市 田邊市長「明日、そして将来へ魅力ある五泉市へ 五泉のトップセールスマン田邊正幸」(第4回)湯沢町 田村正幸町長「笑顔に貢献することができなければ、商売も政治も行政も持続することができない」(第5回)南魚沼市 林茂男市長《雪へのこだわり》で目指す持続可能なまちづくり(第6回)村上市 高橋市長 復旧・復興、誇りある「まち」、国内最大級の屋内スケートボード施設の意味、持続すること(第7回)三条市 滝沢市長「ひとづくりのまち、三条」へ(第8回)長岡市 磯田市長「イノベーション都市・長岡の実現へ」(第9回)上越市 中川市長「『生きる力』をいかしてまちを活性化する」(第10回)糸魚川市 米田市長「ジオパークで持続可能な発展を」(第11回)妙高市 城戸市長「変わるべきこと、変わらざること」(第12回)小千谷市 宮崎悦男市長「挑戦するまち おぢや」を目指して
(第13回)見附市 稲田亮市長「暮らし満足No.1」を目指して~未来を見据えて子育て世代に選ばれるまちに~
(第14回)胎内市 井畑明彦市長「希望の持てる次世代に向けて」
(第15回)関川村 加藤弘村長「脱炭素社会の実現に挑戦」