「自分よりマシな選択肢を娘には与えたい」山内マリコさんが描く、時代を超えたシスターフッド
女性が抱える葛藤や閉塞感をリアルに描く、小説家の山内マリコさん。2025年は上野千鶴子さんとの共著『地方女子たちの選択』のほか、『源氏物語』を着想源にした短編小説を発表し、表現の幅を広げています。一貫して女性たちの物語を紡ぎ続ける原動力とは。
※このインタビューは、山内マリコさんとカラーストーンジュエリーブランド「BIZOUX」がともにつくり上げた、物語とジュエリーを組み合わせた特別企画「Tales of Her 物語を纏うジュエリー ー源氏物語の彼女たち」のプレス発表会におけるトークショーなどを元に構成しています。
女の友情がスパークした
ーー山内さんは、多様な価値観を持って生きる女性のリアルな姿や、「シスターフッド」と呼ばれる女同士の友情を描き、多くの女性の共感を集めています。創作の原点を教えてください。
小説を書きたいという創作意欲は、中学生の頃からありました。ですが、書きたいものができたのは大学を卒業してから。
大学時代に親友と呼べる友達と出会って、親友と出会って、「気が合うってこういうことなんだ!」と、友情がスパークする感覚を知りました。それで、女の子同士の友情を書きたいと思うようになったんです。
それまでも女友達はいたけれど、腹の底から本音では話せていないというか、自己開示しきれないところがあったんですね。女友達と一緒にいると楽しいんだけど、完全には気を許せていないような、ある種の緊張感を抱いていた気がします。
私が育った時代は、文学やドラマや少女漫画で描かれるのは、基本的には恋愛もの。女同士の関係は「友情」というより、「恋愛のライバル」として描かれることが多かった。ファッション誌でさえ「友達よりおしゃれになるには」と競争心を焚きつけてきて、ライバル視させようとしたり。
そういうものを目にするうちに、私自身もミソジニー(女性嫌悪)のような感覚を内面化していたのだと思います。
醜い三角関係やライバル関係ではなく、女同士の友情の素晴らしさをポジティブに描きたい。そう強く思ったことが、創作の出発点になりました。
ところが、小説が好きでたくさん読んでステレオタイプを大量に摂取してきたせいで、自分が書くときも無意識に、同じステレオタイプを再生産してしまいそうになるんです。
これまでに書かれていない関係性を書くことは、すごくチャレンジングなこと。ある意味、古典を否定することでもあるので、本当に書いていいのかな?と葛藤が生まれることもたびたびありました。
分厚めのコーヒーフィルターをかませてドリップするように、自分の中に積もり積もった偏見や先入観を取り去るよう意識することが必要でした。男女の三角関係をミソジニー抜きで描いた『あのこは貴族』は、とくにステレオタイプの呪縛からの解放がテーマのひとつになっています。
25歳で感じた結婚プレッシャー
ーー女同士の友情のステレオタイプと同様に、「女性はこうあるべきだ」というステレオタイプからくる生きづらさや違和感を、山内さん自身が感じた経験はあったのでしょうか。
やっぱり「結婚」が最大の関門というか。自分はそういうものとは無縁と思っていたのですが、20代も後半になって周りが結婚しはじめると、さすがに焦りを感じるようになりました。
それまでは女性であることがハンディになっていると自覚したことはなかったんです。「何にでもなれる!」と信じて夢を追いかけていたのに…...。「結婚」とは一体なんなのか悩み過ぎて、そのうち自分なりに結婚を研究しはじめました。
ずっと小説一辺倒でしたが、読書の幅を広げるなかで、だんだんフェミニズムに辿り着いて。社会学者の上野千鶴子さんの著書『女ぎらい ニッポンのミソジニー』との出会いが決定打に。社会の仕組みが掴め、モヤモヤしていた霧がスカーッと晴れました。
そのとき思ったのが、私は「女同士の友情を書きたい」と思ったときから、すでにフェミニストだったんだなぁということ。土台となる学問と出会えて、自分が書きたいと思っていたテーマに背骨が通ったような感じでした。
「書きたい」から「書くべきだ」に変わって、使命感すら抱くようになりました。
今でこそ女同士の友情は「シスターフッド」と呼ばれ、一つのジャンルとして確立されていますが、そのころは軽く扱われるテーマだったんです。一般文芸ではなく少女小説で書くものだと編集者の方にも言われました。
ただ単に友情を甘く描くのではなくて、女性が置かれている社会の立ち位置や、社会構造を踏まえたうえで、その問題点も浮かび上がらせながら描く。そういう書き方に辿り着いていきました。
世代を超えたシスターフッド
ーー2025年7月には、上野千鶴子さんとの共著『地方女子たちの選択』を出版。結婚、出産、仕事と育児の両立、三世代同居、地方に残る残らないなど、女性たちが選択したことや選択したくてもできなかったことを、社会構造とつなげて読み解いています。
2014年に「消滅可能性自治体」というキーワードが話題になり、地方から若年女性が流出することが「問題」として注目され始めました。
なにが問題かというと、出産可能な若い女性が街からいなくなると、こども生まれないから。女性のことを「産む性」としか見ていないような、数値化しているだけの分析には違和感がありました。
地方の女性たちがどういう気持ちで暮らしているのか、どう生きてきたのか、当事者の言葉が圧倒的に語られていなかった。まず彼女たちに話を聞くべきだ、というのが企画の始まりでした。
上野さんと私の出身地である富山にゆかりのある20〜60代の女性14人にインタビューし、ライフストーリーを聞かせてもらうと、年代によって味わっているものがずいぶん違う印象を受けました。
60代は大学進学を反対されたり、結婚と同時に寿退社したり、「長男の嫁」として介護を押し付けられたりした世代。ジェンダー規範と家父長制の仕組みの中で、ものすごくハードな苦労をしてきています。
それが、世代を追うごとに少しずつ選択肢が広がってきている。社会の変化も当然ありますが、それ以上に母親世代の、「自分の世代よりマシな選択肢を娘には与えたい」という願いが、繰り返し積み重なってきた結果だと思います。女性たちが身を削りながら、下の世代の女性たちに自由を与えてきたわけです。
「シスターフッド」は、姉妹や友達の関係を指すのが一般的ですが、母親世代から娘世代に、縦軸でつながる関係性もある。女性たちが世代を超えてお互いを応援しながら、負の遺産は引き継がずに前進しようとしている流れを感じます。
時代の解像度を高める
ーー小説とリアルストーリー。アプローチは異なるものの、登場人物に読者が共感し、社会に一石を投じるという点では、作品自体も「シスターフッド」の一端を担っているようです。読み継がれていく作品にする工夫も教えてください。
物語は、時代の変化とともに進化していくものなんだと思います。同時に、その時代の価値観を記録し、変化を伝える役割も果たします。その時代のリアルを馬鹿正直に描くことに、こだわりたいと思っています。
私が書く小説には、固有名詞がたくさん出てくるんです。地方都市の幹線道路沿いの風景として「ブックオフ」「しまむら」「洋服の青山」「ガスト」などチェーン店の名前を並べてみたり。ウェブサイトやSNSの名前なども、いずれサービスが終了して「これは何?」と首を傾げる読者もいるかもしれません。
けど、その時代を知っている人にとっては、固有名詞は当時をリアルに思い出すトリガーの役割を果たします。固有名詞が多いと作品の風化が早い面もありますが、私はそういう細部に時代を書き込むのが好きです。小説でしか後世に残らないディテールも多いですし。
もしも『源氏物語』に登場する女君が、現代の京都に生きていたらーー。2025年、そんなテーマで4本の短編小説を書き下ろしました。
1000年以上前の平安時代を生きた女性たちは、現代の私たちからすると、とてつもなく窮屈に生きていたと思います。『源氏物語』の主人公である光源氏を取り巻く多数の女君たちの置かれた状況は、今の価値観で読むと「え?」と思うことも。
そんな中でも、女性たちはそれぞれが個性を際立たせて描かれています。
先ほど、母親の時代から比べて女性は自由を得られた、と話しましたが、歴史的に見ると女性の社会的な立場は、『源氏物語』が書かれた時代から20世紀に入るまで900年くらいの間、ほとんど変わっていなかった。20世紀に入ってから、ぐんと前進しました。問題は山積みですが、これでも私たちは、かなりいい時代に当たったんだなぁと思います。
とくに2010年代後半からは価値観もすごく変わり、変革期を生きているんだなぁという手応えがあります。
けど、『源氏物語』の女君たちが抱えていた苦悩や、置かれた立場の難しさ、男女の関係などは、根本的には変わっていない。女君たちが現代の京都に転生したら…...と想像するのは、それほど難しくはなかったです。
私たちの中にも、『源氏物語』の女君につながるものは、たくさんある。そう思いました。
山内マリコさんの書き下ろし短編小説はこちらから
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