歌詞がとにかく挑発的「唇のプライバシー」河合奈保子にとって1984年は勝負の1年だった!
1984年は河合奈保子にとって勝負の1年
1983年は河合奈保子にとって大飛躍の年だった。5枚目のオリジナルアルバム『あるばむ』はオリコンチャートで初登場1位を獲得。6月に発売されたシングル「エスカレーション」はシングルチャートで最高3位、自身の最大セールス(34.9万枚)を記録した。
“花の82年組” と言われる1982年デビュー組のアイドルたちが着実に実績を積んでいく中、さらにその上を行く活躍を見せたことで、アイドル歌手としてもその存在感の大きさを感じさせた年だった。
そしてその翌年、1984年は河合奈保子にとって勝負の1年となった。後輩に負けず、歌手としてさらなる成長を追い求めるため、様々なジャンルの作品にチャレンジしているのである。
前年の12月にリリースしたシングル「疑問符」は来生えつこ・たかお姉弟による作品。深みのあるマイナーバラードを切なくしっとりと歌い上げた。
3月にリリースした「微風のメロディー」は尾崎亜美による作品。春らしい柔らかなタッチの作品は奈保子のキャラクターにもビッタリだった。
6月には自身が以前からファンだったという八神純子作曲による「コントロール」をリリース。奈保子の伸びやかな声を存分に生かしたメロディー展開で、テレビの歌番組ではバンドを従えてこの曲を披露していた。
年末の賞レースのための勝負曲「唇のプライバシー」
そして8月にリリースされたのが、作詞・売野雅勇、作曲・筒美京平による「唇のプライバシー」である。時期的に年末の賞レースのための勝負曲だったと思われる。
イントロからEVEによる分厚いコーラス、そして鷺巣詩郎によるシンセを多用した派手なアレンジに乗せた河合奈保子のヴォーカルは、最初から最後まで押せ押せモードで進行する。そして、何と言っても歌詞がとにかく挑発的。小悪魔的なフレーズがこれでもかと畳み掛けてくる。
私なら多分例外だって
信じてるはずだわね あなたも
あゝ あなたの知らない
私を愛せるかしら
初めてだけど
初めてじゃない
瞳だけじゃ伝わらないでしょ
好きじゃないひとを 愛したことも
あるけれど ただ口が硬いだけ
あゝ 密(ひそ)かな昨日さえ
告白(つげ)たくなるから危険
“何をした” とか “何をされた” とかではなく、いろいろな妄想を掻き立てられるような言葉のチョイス。この曲と同じ売野・筒美コンビによる「エスカレーション」や「UNバランス」も、男性に対して挑発的な女の子の心象を歌っていたが、これはそれを遥かに超える挑発具合。奈保子作品史上最上級といってもいい。しかしどれだけ際どいフレーズが並んだとしても、下品に聞こえないところは奈保子のキャラクターによるものだろう。
目を見張るものがある河合奈保子の成長
この曲を実際に歌ってみるとわかるのだが、息継ぎするのも大変なくらい忙しく、しかも高低の激しいメロディなのである。それを軽く歌いこなしてしまう奈保子の歌唱力の高さは折り紙付きだ。筒美京平もそこをわかった上で作曲したのだろうけど、歌手としての実力を見せつけるには最高の作品だったはずだ。デビュー曲「大きな森の小さなお家」と比べると、その成長ぶりには目を見張るものがある。
ただ、セールス的には少しずつ数字を落としていた時期で、この曲もオリコン・シングルチャートで初登場4位だったにも関わらず、売上枚数は約12.4万枚と奮わなかった。1982年デビュー組が着実にセールスを伸ばしていく中、アイドルとしては世代交代の時期だったのかもしれない。それに挑発的なナンバーはそろそろ食傷気味だったのではないだろうか。
とはいえ、この曲により、どんな曲でも歌いこなせる高い歌唱力が評価されたのは間違いない。この曲で臨んだ『日本歌謡大賞』では音楽プロデューサー連盟賞を受賞。『日本レコード大賞』では金賞、そしてテレビ朝日主催の『あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭』では、ベテラン勢がノミネートされている中で最優秀歌唱賞を受賞している。
河合奈保子の音楽性に大きく影響
ちなみにこの「唇のプライバシー」と同日発売で、レコード大賞で優秀アルバム賞を獲得したアルバム『DAYDREAM COAST』は初のロサンゼルス録音によるもの。アメリカの一流ミュージシャンによる高品質なサウンドに乗せて堂々と歌い切る奈保子のヴォーカルが実にすがすがしいので、機会があればお聴きいただきたい。
セールスで苦戦したとはいえ、様々なジャンルへのチャレンジや歌唱力に対する評価など、この1年間が後の河合奈保子の音楽性に大きく影響したのは間違いない。そしてこの翌年(1985年)、奈保子はついに念願のオリコンシングルチャートで初登場1位を獲得することになるのだが、その話はまた後日機会があれば語りたいと思う。