岩崎宏美のディスコ歌謡路線は「ロマンス」にはじまり「シンデレラ・ハネムーン」で完成!
“天まで響け” のキャッチフレーズにふさわしい鮮烈な楽曲だった「二重唱(デュエット)」
岩崎宏美は1975年4月25日、「二重唱(デュエット)」でデビューを果たした。小学校入学と同時に歌のレッスンを始め、成城学園中学校に進学後は、松田トシに師事し歌手を目指す。そして1974年、日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』に応募。決戦大会で小坂明子の「あなた」を歌い、最優秀賞を受賞。8社からのプラカードが上がり、レコード会社はビクター音楽産業(現:ビクターエンタテインメント)、事務所は芸映に所属することが決まる。
デビュー曲の「二重唱(デュエット)」は阿久悠の作詞、筒美京平の作曲、萩田光雄の編曲。岩崎の伸びやかなボーカルと、瑞々しい高音域の魅力、歌唱力の高さを存分に活かしたアップテンポのポップスで、“天まで響け” のキャッチフレーズにふさわしい鮮烈な楽曲だった。一転してB面の「月見草」は、同じ作家チームながら、三拍子のゆったりとした唱歌風のメロディーにシンプルな演奏で、岩崎宏美のボーカルの美しさを徹底して強調した作り。ライブではノーマイクで歌うのがお決まりとなっているほどファンの間で親しまれている楽曲だ。
こういったタイプの違うAB面は、その後の岩崎宏美のポップス路線と、日本情緒溢れるナンバーの源流となっている。デビュー曲にはその歌手の自己紹介的な要素が含まれていることが多いが、この2曲はどちらもまさしく “天まで響く” ボーカルの魅力を凝縮したナンバーなのだ。
「ロマンス」から岩崎宏美のディスコ歌謡路線がスタート
岩崎宏美の初期のシングルは、1977年1月25日発売の「想い出の樹の下で」まで、8作連続で阿久悠と筒美京平のコンビが手がけている。そして2作目の「ロマンス」からは、ディスコミュージックを歌謡曲に応用した、いわゆる “ディスコ歌謡” として作られた。
ディスコミュージックの人気は、その源流の1つとも言えるフィラデルフィア・ソウルの隆盛が背景にあり、1975年、ヴァン・マッコイ「ハッスル」のヒットで、アメリカはもとより日本でも第1次ディスコブームが起きる。まさにこのタイミングで岩崎宏美のディスコ歌謡路線がスタートしたのだ。特に、作曲者の筒美京平はディスコミュージックと歌謡曲の相性の良さを感じ取っていたようで、実際に「ロマンス」以降、岩崎の楽曲はすべて自身でアレンジを手がけるようになる。
また、ビクターというレコード会社は元々ダンスミュージックを得意としており、ディスコブームの最中にも、幾多の洋楽ディスコを世に送り出していた。前述の「ハッスル」もビクターからの発売。こういった巡り合わせが岩崎宏美のディスコ歌謡路線を生んだのだ。
最後まで「ロマンス」とA面を争った「私たち」
「ロマンス」は1975年7月25日の発売。ビクターで初期の岩崎宏美を担当していたディレクター・笹井一臣によれば、当初、筒美が書いてきたメロディーはスローテンポだったそうで、これを相談の上、ディスコミュージックを取り入れた、縦に刻むノリのいいアップテンポに変えたという。
B面の「私たち」は、最後まで「ロマンス」とA面を争った楽曲で、こちらは完璧にディスコミュージックとして作られている。最終的には岩崎や阿久、筒美を含めたスタッフで多数決を取り、「ロマンス」がA面に決定。阿久と岩崎は「ロマンス」を、筒美は「私たち」をA面に押したそうである。
岩崎宏美にとっても、子供の頃から歌を習い、クラシック由来の歌唱法を身につける一方で、ソウルミュージック好き、ジャクソン5の大ファンだったという。中学3年から六本木メビウスなどのディスコに通っていたというから、初期のディスコ歌謡路線は、彼女にとってごく自然に体得できるものだったのだ。「ロマンス」はチャート1位を獲得し、90万枚近いセールスをあげて、岩崎宏美は一躍、トップアイドルとなった。
本当の魅力である中低音域を強調して作られた「センチメンタル」
岩崎宏美はデビュー当時、筒美京平に “あなたはこれから高音の伸びを褒められると思うけれど、本当の魅力は中低域にあるから忘れずに” と言われていた。「二重唱(デュエット)」のレコーディングの際は細かい譜面通りに歌えず、“あなたはリズム感が甘いから、リズミックな曲を聴いて勉強しなさい” とアドバイスされ、ショックを受けた話はよく知られている。
その "本当の魅力" である中低音域を強調して作られたのが、3作目の「センチメンタル」だ。ミドルテンポの明るい曲調に加え、フィラデルフィア・ソウルをベースにした音数の多い贅沢なアレンジも魅力で、エンディングでは「♪とてもやさしい 素敵なあなた」という新たに登場するメロディーを、コーラスのシンガーズ・スリーが歌い、岩崎が "ラララ" とハミングを加える意表を突いた展開も面白い。
キラキラと華やかなサウンドと阿久悠が描くときめく少女の思いを的確に表した歌詞、岩崎の豊かな中低音域の響きが相まって、等身大の17歳の感情がこれ以上ない形で描かれた。この曲も「ロマンス」に続きチャートの1位を獲得し、翌1976年の第48回選抜高校野球大会の入場行進曲に選ばれている。
クールな客観視点で歌われている「ファンタジー」
1976年1月25日発売のシングル4作目「ファンタジー」も、やはりディスコサウンドがベースになっているが、阿久悠の歌詞がこれまでとは異なる。2ハーフ構成の楽曲は、1番が二(ふた)月前の出会いの場面、2番では一(ひと)月前、唇を重ねた公園での出来事。そしてリピート部分では半日前、別れを告げられたことが明かされる。
このストーリーを主人公は淡々と回想し、クールな客観視点で歌われているのだ。筒美京平のメロディーも、1コーラスが終わると半音転調し、これが2回繰り返される。イントロのツインギターのカッティング、バックで響くフルートやストリングスのフレーズも1コーラスごとに変えられ、飽きさせない工夫がなされている。
5作目の「未来」は前サビ構成の楽曲で、冒頭から岩崎の高音域を強調したメロディーとなっており、特にサビ前の高域へ向かうロングトーンの美しい響きが素晴らしい。ディスコ歌謡路線の中でも際立って完成度が高く、ダイナミックでスケールの大きい名曲だ。
伸びやかな高音域と豊かでふくよかな中低音域、それぞれの魅力を届けてくれた岩崎宏美だが、1976年8月1日発売の「霧のめぐり逢い」では、岩崎宏美が筒美京平から “あなた、(歌に)変なクセがついているよ” と指摘されたことを後に明かしている。具体的には冒頭の「♪あなたに」の部分を “あぁ、なぁ、たぁ、にぃ” とスクープ(しゃくるように歌う)するクセだという。岩崎は上手く歌えないことの悔しさで、初めてレコーディングで涙を見せた。中低域を重視した楽曲で、アレンジも凝りに凝ったもの。特に間奏のギターソロは聴きどころの1つだが、やや難しい曲という印象を一般リスナーに与えたかもしれない。
1曲ごとに曲調を変え、飽きさせない工夫がなされているディスコ路線
次の「ドリーム」と、さらに次の「想い出の樹の下で」は、一転して岩崎のハイトーンを生かしたメロディー構成で、ホーンセクションをフィーチャーした派手目のナンバーに仕上がっている。それでも「ドリーム」はミディアムテンポ、「想い出の樹の下で」はアップテンポと印象を変えており、実のところ連続7作続いた岩崎のディスコ歌謡路線は、1曲ごとに曲調を変え、飽きさせない工夫がなされているのだ。
また、「想い出の樹の下で」は、リリース時期がちょうど彼女の高校卒業のタイミングと重なるため、阿久悠の詞もそれに沿って、カップルの爽やかな別れのシーンを鮮烈に描いている。この後一旦、岩崎宏美は筒美京平の手を離れるが、この曲こそが阿久&筒美&岩崎トリオによるディスコ歌謡路線の集大成的な作品と呼べるだろう。
ここから先は岩崎宏美の第2期に入るが、この間、1977年から1978年にかけての音楽シーンは、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の大ヒットで第2次ディスコブームに突入。2年前を遥かに上回る全世界的な流行となり、もちろん日本でもディスコ大全盛の時代を迎える。
その渦中、1978年7月25日発売の「シンデレラ・ハネムーン」で1年半ぶりに筒美京平が岩崎作品に参加。時代の推移を見据えての、より本格的なディスコ歌謡を完成させ、全曲を筒美が作曲し、ほぼ全編ディスコで統一されたアルバム『パンドラの小箱』も発表。ディスコ歌謡のさらなる進化系を見せてくれた。
HIROMI IWASAKI 50th TBS Special Collection
・発売日:2025年3月5日(水)
・仕様:6枚組DVDボックスセット(三方背豪華BOX / 特製デジパック仕様 / 解説書付き)
・価格:29,480円(消費税込み)
・DISC1「in 8時だョ!全員集合」(約66分予定)
・DISC2「in ザ・ベストテン」(100分)*数々の名場面を久米宏&黒柳徹子とのトークも含め収録
・DISC3「in ロッテ歌のアルバム +(プラス)」(64分)
・DISC4「in サウンド・イン“S” +(プラス)」(71分)
・DISC5「in BS-TBS」(約68分)
・DISC6「award 日本レコード大賞 +(プラス)」(約75分)合計444分