【神奈川近代文学館の特別展「大岡信展 言葉を生きる、言葉を生かす」】 川崎洋さんの手紙がなかったら「しずおか連詩の会」は存在しなかった!?
静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。今回は横浜市中区の神奈川県立神奈川近代文学館で3月20日に開幕した特別展「大岡信展 言葉を生きる、言葉を生かす」を題材に。
三島市出身の詩人大岡信さん(1931~2017年)の生涯をたどる展覧会。編集委員に文芸評論家の三浦雅士さんを迎えた本展は、「気合いが入っている」の一言に尽きる。静岡県が世界に誇る文化人の足跡と功績を余すことなく伝えていて感動を覚える。
自らも歌人だった父・博さんの影響や学友との文学活動を総覧する序章「舞い、あらわす」、第1章「生まれ、生きる」から、時系列で大岡さんの歩みをたどる。詩人、評論家としての顔を中心に、ラジオドラマのシナリオや戯曲に取り組んだ時期、現代音楽や美術との交流も当然のように扱っている。1970年以降の連句への関心、そして連詩への取り組みから「しずおか連詩の会」の過程も分かりやすく紹介されている。
著作や創作ノート、写真、書簡、自らの墨書など展示品は多岐にわたっている。沼津中(現沼津東高)在学中の同人誌「鬼の詞」全8巻、東京大時代の恩師・寺田透さんとやりとりしたはがき、夏目漱石論を扱った大学の卒業論文(1952年12月提出)の現物(表紙に「國文 大岡信」と自署)とノート3冊、「櫂」の例会を呼びかける川崎洋さんの手紙(1954年4月12日消印)がとても興味深かった。
川崎さんの手紙が簡潔でいい。「突然で大変失礼でございますが 今度の私共の例会へおいで下さってお話し下さいませんでしょうか」と。これがなければ大岡さんは「櫂」に参加していなかったかもしれないし、「連詩」を追究することもなかったかもしれないし、もしかしたら「しずおか連詩の会」も存在しなかったかもしれない。
「人間・大岡信」を浮かび上がらせる仕掛けも各所にある。個人的に泣かされたのは父・博さんの信さん誕生時の日記だ。窪田空穂に師事し歌詞「菩提樹」を主宰した歌人は、1931年2月16日、長男が誕生した日に、その喜びを17ページも記述したそうだ。
「あゝして泣き乍ら湯の中であばれてゐるのがおれの後つぎだ。おれの出来ないであろう仕事をあの子が継いてくれるのだ」
1981年に亡くなった博さんは、自分の器から軽々とあふれ出ていく息子をどう見ていただろうか。もしかしたら同じ文学者としての嫉妬もあったかもしれない。だが、父の直感は間違っていなかった。親の欲目だったとしても、このようなことを率直に書ける博さんもまた、優れた感性の持ち主だったと言うほかない。
(は)
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■神奈川近代文学館特別展「大岡信展 言葉を生きる、言葉を生かす」
住所:横浜市中区山手町110
開館時間:午前9時半~午後5時
休館日:月曜、5月5日は開館
観覧料金(当日):一般700円、65歳以上と20歳未満及び学生350円、高校生100円、中学生以下無料
会期:5月18日(日)まで