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ニュースの深層がわかる! 教科書が教えない新しい視点の世界史 ~大航海時代から二つの世界大戦、そして現代【3か月でマスターする】

NHK出版デジタルマガジン

ニュースの深層がわかる! 教科書が教えない新しい視点の世界史 ~大航海時代から二つの世界大戦、そして現代【3か月でマスターする】

2024年4月から放送スタートした「3か月でマスターする」シリーズ。メイン講師は、早稲田大学教授の岡本隆司さん。さらに各号ごとにゲスト講師を迎え、広大なユーラシア大陸を主な舞台に、古代から現代まで歴史の大きなつながりを「アジアからの視点」でひも解きます。

ここでは、テキスト『3か月でマスターする 世界史 6月号』から一部をご紹介。モンゴル帝国崩壊後のユーラシア大陸と大航海時代、ルネサンスからヨーロッパによる植民地時代、二度の世界大戦から現代に至るまで、教科書だけではわからない新たな視点から世界史を捉え直します。

「漢人」「農耕世界」の王朝・明

モンゴルの残滓(ざんし)を一掃した明王朝

 中国本土から中央アジア、西アジアにまで至ったモンゴル帝国は、さまざまな言語・習俗の集団を含んだ史上最大の帝国でしたが、14世紀には内紛や疫病、天災などの影響により、国力が徐々に弱まっていきます。そして、1368年に南京を都にした明が成立すると、大都(北京)のモンゴル帝国(元・げん)はモンゴル高原へと退き、中国本土は明の支配下となりました。
 漢人で農民世界の出身だった朱元璋(しゅげんしょう)が建てた明は、遊牧民中心のモンゴルに対抗した「反モンゴル」ともいえる王朝でした。朱元璋は、遊牧民のモンゴル勢力を排除し、明を漢人による農耕世界として独立させようとしたのです。そこで、自分たちを「世界の中心」という意味の「中華」、ほかの地域を「外夷(がいい)」として分断し、差別化しました。ちなみに、「外夷」の「夷」は「野蛮人」という意味なので、非常に見下している呼び名といえます。
 明は、北の遊牧民の侵入を防ぐために、万里の長城を改めて構築しました。また、「外夷」に対し、漢人由来の儒教思想を押しつけるようにもなりました。これは、それぞれの地域の慣習や宗教などを尊重しつつ、まとめあげていた元(モンゴル帝国)とは、まったく異なる政策でした。
 明は、海上の交通・貿易でも「外夷」との隔絶を目指しました。ただし、国家による交易は「朝貢貿易」として許可していました。これは、国家の代表者が貢物を持って明の皇帝を訪れ、皇帝から返礼の品を授かる形で行われます。頭を下げれば貢物以上のものが返ってきたほど、当時の明は、絹織物や綿織物、陶磁器をはじめとした、魅力的な交易物のそろう王朝だったのです。

明朝の領域図。沿岸での出入りを禁じる「海禁」を行い、北は万里の長城で農耕民と遊牧民を明確に分けていた。外部の民間人(外夷)に対して鎖国政策を実施していた明朝だが、外部の国家には「朝貢」という手続きを踏むことで取り引きを認めていた。

ルネサンス、大航海時代とシルクロードの衰退

「世界の辺境」から各地へ進出

 東アジアで「中華」を極めようとする明が成立した14世紀。ヨーロッパでは、「ルネサンス」が始まりました。
 ルネサンスでは、かつてイスラム王朝で翻訳された古代ギリシャ・ローマの文献を翻訳し直して取り込みました。また、「ルネサンスの三大改良」と呼ばれる羅針盤・火薬・活版印刷は、すべて宋(そう)代の中国に起源があることからも、ルネサンスにはオリエントおよびアジアの影響が強く見られます。なお、ルネサンスの先駆けとなったのがイタリアです。地中海で栄えた海港都市(フィレンツェやベネチアなど)の交易で得られた富が、「お布施」としてローマ教皇庁、つまりイタリアに集まったことが、ルネサンスを生み出す原動力になりました。
 ルネサンスが始まったとはいえ、当時のヨーロッパは「世界の辺境」といえる地域でした。主たる産物もないため、東西交易により、豊かな東アジアや南アジア(インド)の「おこぼれ」をもらっているような状態だったのです。
 15世紀の大航海時代の先陣を切ったのは、ポルトガルとスペインです。両国は、離れた地域の貿易を独占したり、植民地を領有しましたが、実態は、これまでの東西交易で栄えた地中海の商人や、ムスリム商人に取って代わったにすぎませんでした。各地に貿易の拠点を置くにとどまり、実際の「帝国」のような政治的支配までは行わなかったのです。このことが、後発で進出してきたオランダやイギリスに、アジア市場を奪われる要因にもなりました。

ヨーロッパ人による航海路。ヨーロッパの海洋進出をリードしたスペインとポルトガルが、たがいの勢力圏を定めるためにトルデシリャス条約(1494年)が結ばれた。

多面的な帝国・清

民間貿易を認め、多様な人々をまとめる

 清は、東アジアにおける「少数派」ともいえる、女真(じょしん)<満洲(まんしゅう)>人が建国した王朝です。明の時代から、満洲人は漢人の人々と交易を行い、西側のモンゴル人とも交流があったので、清は満州人・漢人・モンゴル人を一体にした国家を目指すことになります。最盛期には、チベット仏教のあるチベット高原地域や、ムスリム(イスラム教徒)の住む東トルキスタンまで領域が拡大したため、多種多様な地域や人々をまとめる必要がありました。
 明から続く「中華」としての支配形態はそのままにし、ほかの地域では、その地の宗教や文化を維持させました。また、遊牧国家の流れをくむ政権でありながらも、農耕世界の中国本土を治めるために、清の君主たちは、「中華王朝の皇帝」と「モンゴルの大ハーン」を兼任する形で君臨し、東アジアを平和裏に治めようとしたのです。しかし、満洲人の伝統的な髪型である「辮髪」を漢人に強制したり、王朝を批判する言論・思想への弾圧(文字の獄)を徹底的に行ったりと、「締めるところは締める」政策をとっていました。
 これまで中国本土における「北の脅威」と言えばモンゴルなどの遊牧民でしたが、ヨーロッパ向けの輸出品として、貨幣と同様の価値があった毛皮を求めたロシア人が、黒龍江(こくりゅうこう/アムール川)にまで至っていました。同時期に清も黒龍江沿岸での経済活動を開始しており、その地域の支配について、両国はたびたび戦火を交えるようになりました。1689年、第4代康熙帝(こうきてい)はこの問題を交渉で解決しようと、ロシア皇帝・ピョートル1世と「ネルチンスク条約」を締結します。中国史上、初締結となったこの国際条約により、アジアにおいてはじめての「国境」が定められました。

(右)清の支配構造。清の皇帝は、「中華王朝の皇帝」であり、「モンゴルの大ハーン」 であり、チベット仏教の守護者であり、トルコ系ムスリムやカザフ遊牧民の保護者でもある。朝鮮や琉球は朝貢関係にあった。/(左)八旗とは、ヌルハチが編制した軍事社会組織で、黄・白・紅・藍の4旗と、それぞれの旗に縁どり(鑲・じょう)をつけた4旗の計8旗から成り、1旗は7500名の兵士で構成された。

イギリス産業革命とインドの植民地化

産業革命が清の経済も救う

 イギリスは、長らくライバル関係にあったフランスに、北アメリカでの戦争や七年戦争などで勝利。北アメリカ大陸での利権も手にしたイギリスは、スペイン継承戦争でも勝ったことで、黒人奴隷を運ぶ権利を獲得し、「大西洋三角貿易」を開始します。
 主要貿易品のひとつである綿花は、インドで綿織物へと加工され、アフリカに輸出されていました。やがて、綿織物生産のインドへの依存からの脱却が課題となり、イギリスで紡績機が発明されたことから、世界初の産業革命が起こります。これにともなって、インドは軍事的に征服されて植民地となり、イギリス産綿布の市場となりました。さらに、植民地から送金する仕組みをつくり上げることで、インドの「富の流出」を加速させてしまいます。
 さらに、産業革命前後に紅茶を飲む習慣が普及して、茶の需要が急増。イギリスが茶を輸入するようになると、清にはイギリスから大量の銀が流入し、デフレ状態だった清は好景気を迎えることになるのです。

大西洋三角貿易図。イギリスなどが行った貿易で、本国から武器や雑貨などの製品をアフリカに船輸出し、アフリカで黒人奴隷を積み込み、カリブ海や北米大陸に運び、さらにそこから砂糖やタバコ、綿花などを積み込んで本国に帰る、というシステム。

第一次世界大戦とロシア革命

初の世界大戦の陰に潜む革命と密約

 ビスマルクの失脚後、ドイツは覇権国家を目指すようになり、イギリスをはじめとしたヨーロッパ諸国は警戒を強めます。また、バルカン半島では列強やオスマン帝国、そこに住むさまざまな民族がそれぞれに対立し、一触即発の状況にありました。
 これらの対立が相まって発生したのが、連合国(イギリス、フランス、ロシア、イタリアなど)と、同盟国(ドイツ、オーストリア、オスマン帝国など)がぶつかり合った第一次世界大戦です。大戦は長引いたものの、国力を十分に蓄えつつあったアメリカが連合国側として途中参戦したことにより、連合国が勝利します。
 ロシアは、大戦のさなかにロシア革命が勃発し、戦線を離脱。これにより、史上初の社会主義国「ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)」が誕生しました。また、大戦末期になると、イギリスはユダヤ人の支援を得るために、大戦後、パレスチナにユダヤ人の国家建設を支援することを約束する書簡(バルフォア宣言)を送ります。一方で、オスマン帝国からの独立を目指すアラブ人には、大戦後にアラブの独立を支援することを約束したうえで、オスマン帝国への反乱を促していました(フサイン・マクマホン協定)。さらにその裏では、ロシアやフランスと、旧オスマン帝国領を3か国で分割する「サイクス・ピコ協定」を結んでいました。これらは、中東問題の引き金となったとして、「イギリスの三枚舌外交」として非難されることがあります。
 東アジアでは、日本が日英同盟を理由に連合国側として大戦に参戦し、アジア地域にあるドイツの植民地を占領します。さらに、清の滅亡後に中国本土で成立した中華民国に対し、中国内のドイツ権益の継承を求める「二十一か条の要求」を提出するなど、大陸進出を進めていました。

イギリス・フランス・ロシアの三国協商(連合国)に対立する格好でドイツ・ オーストリア・イタリアの3国での秘密軍事同盟が結ばれたが、イタリアは離脱。同盟国側にはオスマン帝国が参加したが、これをきっかけに滅亡した。

第二次世界大戦と各国の動き

二度の世界大戦で各国が疲弊状態に

 第一次世界大戦後、敗戦国ドイツは、多額の賠償金の支払いで財政危機に陥るようになり、ヨーロッパ諸国への恨みをあおった国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が台頭し、指導者であるヒトラーが権力を握ります。多くの国民の支持を得たヒトラーが、かつてのドイツ領を奪回すべく、第一次世界大戦後に独立していたポーランドへと侵攻すると、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告します。ドイツが短期間でポーランド西部を制圧し、パリを陥落させると、イタリアも味方として参戦します。
 一方で東アジアでは、日本が中華民国への軍事侵攻を行っていました。これにより日中戦争が起こると、中国内で対立していた中国国民党と中国共産党が協力して抗戦します。日本はなんとか活路を見いだそうと、ドイツ・イタリアと同盟を結び、資源を求めて東南アジアに進出していきます。
 ヨーロッパでは、ドイツが不可侵条約を破棄し、ソ連が占領していたバルカン半島に侵攻したことから、ロシアと戦争を開始しました。さらに、ドイツの同盟国となっていた日本がアメリカに宣戦布告したことで、アメリカも参戦します。これにより、ドイツ・イタリア・日本を中心とした枢軸国と、イギリス・フランス・中国・ソ連・アメリカなどの連合国との世界大戦となりました。
 第二次世界大戦は、連合国の勝利で終わりますが、二度の大戦により、敗戦国だけでなく、連合国側の多くの国も疲弊することとなりました。

(右)第二次世界大戦のヨーロッパ戦線。連合国(イギリス・フランス・アメリカ・ソ連・中国など26か国に及ぶ)と枢軸国(ドイツ・イタリア・日本など)が戦った第二次世界大戦。約6年にわたって戦いが続いた。/(左)第二次世界大戦のアジア・太平洋戦線。日本はマレー半島に軍を上陸させ、パールハーバーに奇襲をかけてアメリカに宣戦布告(真珠湾攻撃)。はじめは優勢だった日本もあっという間にアメリカに巻き返され、最終的には敗戦となった。

講師:岡本隆司(おかもと・たかし)

1965年生まれ。早稲田大学教授、京都府立大学名誉教授。専攻は東洋史、近代アジア史。『腐敗と格差の中国史』(NHK出版)、『近代中国と海関』『属国と自主のあいだ』(ともに名古屋大学出版会、前者で大平正芳記念賞、後者でサントリー学芸賞を受賞)、『物語 江南の歴史』(中央公論新社)、『悪党たちの中華帝国』(新潮社)、『世界史序説』(筑摩書房)など、著書多数。

◆『NHKシリーズ 3か月でマスターする 世界史 6月号』
◆文 岡本隆司
◆地図・イラスト 雉〇/ Kiji-Maru Works
◆写真 田渕睦深

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