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山名古墳群|多数の円墳と当時の首長墓として立派な前方後円墳【高崎市山名町】

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山名古墳群|多数の円墳と当時の首長墓として立派な前方後円墳【高崎市山名町】

群馬県高崎市の山名町の住宅街の中にいくつもの墳丘がそびえ立つ「山名古墳群」。

古墳時代後期から終末期にかけてつくられた合計17基の古墳群です。

前方後円墳や帆立貝形古墳、円墳など大小様々な古墳と建屋の中に保存された模様積みの横穴式石室を見学することができます。

山名古墳群の場所

山名古墳群は、群馬県高崎市山名町の信号から西へ進んだ先の住宅街の中にいくつもの墳丘が集まる古墳群です。

古墳群の手前には広い駐車場が整備されています。

山名古墳群の歴史・特徴

山名古墳群は、古墳時代後期から終末期にあたる6世紀中頃から7世紀前半にかけてつくられた古墳群と推測されます。

烏川両岸(現在の佐野・山名地区一帯)に築いたヤマト王権の直轄地「佐野三家(屯倉・さののみやけ)」の創設に関わり、山名地域を発展させた集団の墓所と見られています 。

約50基近くの円墳が存在していたと言われています。現在は、広い史跡地内に前方後円墳である山名伊勢塚古墳、帆立貝形古墳1基、円墳17基、合計19基の古墳が確認できます。

山名古墳群ははじめに形成された南群と後半に形成された北群に分かれており、北群と南群の中央には砂利道が整備されています。

一つ一つの古墳に名称を記した標識が建てられており、ゆっくりと散策を楽しめます。

南群

6世紀前半に古墳群の南側に点在する南群の形成から始まったそうです。

61号、16号、15号、17号、18号、19号、62号の7基を確認することができます。

北群

6世紀後半になると北群の築造がはじまったそうです。

5号、6号、7号、9号、10号、11号、12号、13号、20号の9基の墳丘を確認することができます。

北群の中で一番大きな墳丘である5号基の墳頂には小祠が祀られていました。

山名伊勢塚古墳

山名古墳群の西側には山名伊勢塚古墳があります。6世紀後半に造られた全長が65メートル、2段築成の前方後円墳です。

後円部には南に開く横穴式石室があり、近隣の岩野谷丘陵(観音山丘陵)から産出する凝灰岩の切石を積み上げて造られました。

盗掘されて、調査時には大きく破壊されていましたが、金銅製馬具や小札甲が出土されたそうです。

山名伊勢塚古墳はこの地を納めていたリーダーが埋葬されており、全国的に前方後円墳の築造が終焉を迎えるこの時期で65mの大きさは、地域の首長墓としても立派な墓だったそうです。

山名原口2-2号墳

山名古墳群の北側にある山名原口2-2号墳では、横穴式石室が現存しており金網越しに見学することができます。

山名原口2-2号墳は古墳群の北側に位置します。奥まっているため駐車場からは少し見づらいですが、中央の砂利道から保存されている建物が見えます。

山名原口2-2号墳は7世紀初め~中頃の築造とされ、全長7.3m、玄室長3.9m・幅2.3mの両袖式横穴式石室となっています。

側壁は棒状の川原石を積み上げた模様積みという積み方をしており、発掘調査の際には鉄鏃・馬具・玉類など多くの副葬品が出土されたそうです。

全方向金網張りになっているため四方から横穴式石室の様子を見学することができます。

横や後方から見ると模様積みや石室内の様子がとても分かりやすいです。

山名古墳群施設情報

見学:終日可能
住所:群馬県高崎市山名町955
駐車場:あり
アクセス:
車 上信越藤岡ICから車で約10分
電車 上毛電鉄山名駅から徒歩約10分

 

山名古墳群まとめ

高崎市の指定史跡に指定されている「山名古墳群」をご紹介致しました。

住宅街の中に広がる古墳群には多数の円墳と立派な前方後円墳、模様積みの横穴式石室を間近に見学することができる貴重な史跡です。

遠い昔の古墳時代に思いを馳せながらゆっくり散策してみてはいかがでしょうか。

※情報は記事作成当時のものです

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