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「スイッチが入った」台湾生まれの李琴峰さんが日本語で小説を書いたワケとは?

文化放送

お笑い芸人の大竹まことが同世代や全世代の男女に向けてお送りしているラジオ番組『大竹まことゴールデンラジオ』(文化放送・毎週月〜金曜13:00~15:30) が8月19日に放送され、最新作『言霊の幸う国で』が注目されている、芥川賞作家の李琴峰さんが登場。故郷・台湾から日本に来た経緯や、日本語で小説を書いたきっかけを伺った。

大竹「李さんは、台湾から来日したのが2013年で、24歳。なぜ日本に来ようと思われたんですか?」

「日本にずっと住みたかったんですね。私は2011年、東日本大震災の直後に日本に交換留学に来ました。あの時は本当に大変でしたね。周りには留学をキャンセルしたりする人も多かったんですけど、私は「いや、絶対行く」って感じでした」

大竹「それだけ日本に住みたいと思った理由は何ですか?」

「一言では言えないですね。もちろん言葉も好きです。私はインターネットから50音表をダウンロードして、14、15歳の時から独学で、あいうえおって勉強して」

大竹「15歳!?」

「そうですね、中学生の時。勉強すると、日本語はすごい綺麗だなと思って。漢字もあって、ひらがなもあって、カタカナもある。そして発音も綺麗だなと思って、好きだったんです。」

大竹「せせらぎとか木漏れ日とかは、中国語ですか? 台湾語ですか? そういう表現はなかなか見つからないそうですね」

「木漏れ日って4文字の言葉だけれども、すごく複雑な概念を表してるんですよね。木々の葉っぱの間から漏れる光。これはなかなか他の言語にはない言葉です」

大竹「そうなんですか、僕もせせらぎって言葉、大好きなんです。人によってどんなイメージが浮かぶか分かんないけど、僕の頭の中では、せせらぎって言ったら、軽井沢かどこかの小さな川みたいなのが浮かんできてね。そうですか、これは日本語独特なんだ。それ以外はどうですか?」

「さっきは言語の話をしたんですけれども、他にも色々あってですね。私は子供の時から本を読むのが好きで、日本文学もだいぶ読んでいました。日本の文学も好きだし、そして流行文化も。アニメとか漫画とか、いわゆるクールジャパン的なところも惹かれました」

大竹「それで日本に来て、それから独学?」

「最初は独学だったんですけど、さすがに後になって学校に通ったりとかしました」

大竹「それで日本語の小説を書きはじめる。『独り舞』という小説ですね」

「デビュー作です。日本に来たのは2013年で、大学院に通って、修士号をとって、就職して。小説は2016年に書き始めて、文学賞に応募して、受賞したのは2017年です」

大竹「日本語で書こうと、思ったのはなぜですか?」

「会社勤めをし始めて、ある日満員電車に揺られていたら、ふとね、「死ぬ」という言葉が浮かんできたんです。もともと生・死とか、そういうのを考える人なので、あの日も、なんかのスイッチが入ったんだろうね。とにかく「死ぬ」という言葉が浮かんできて、しかも「死ぬ」という言葉が、私の母語である中国語としてではなく、日本語の言葉で浮かんできたと。私はずっと「死ぬ」という言葉について、いろいろ玩味したり、言葉の響きがこうなっていからそういうイメージがあるなあって、いろいろ適当なことを考えているうちに、これは一つの小説にできそうだと思ったんですよ。最初に出てきた言葉が日本語の「死ぬ」だったので、じゃあ日本語で書いてみようと自然に思ったんですね」

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