【静岡の高校サッカー戦後史Vol.49】静岡工業(現・科学技術高)の1967〜69年度、県予選決勝でことごとく涙
【静岡工業③】目前で消えた総体切符
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。
1965年(昭和40年)度、創部20年目で国体に出場し、念願だった全国のピッチを踏んだ静岡工。だが、次の県代表の座まで10年間を要することになる。
60年代から70年代の県高校サッカー界は、全国3冠に輝いた藤枝東を筆頭に、清水東、浜名、それに台頭してきた清水商といった強豪がしのぎを削っていた。いわば、群雄割拠の様相だった。
1967年度の清水東との激闘
そこに割って入った静岡工は、国体出場から2年後の67年度、2度目の全国行きに王手を掛ける。舞台は全国総体県予選。主将の山田活郎(アステラス製薬)を中心に、まとまりで勝負するチームは、決勝に進出し、清水東と対戦した。
静岡東高で行われたV決戦は、雨中の戦いとなった。前半3分、相手ゴール前の混戦に持ち込んだ静岡工は、右ウイングの小沢義雄(自営)が先制点を生み出した。蹴り込んだのは足元のこぼれ球。「その瞬間をはっきり覚えている」と小沢。
好スタートを切った静岡工は、後半の清水東の猛反撃に耐え、そのまま押し切るかに思えた。しかし、終了間際に清水東が追い付き、延長、再延長にもつれ込んだが、1−1で引き分け、再試合となった。
4日後の再試合、静岡工は再び先手を取る。ともに譲らず迎えた延長前半2分、1年生・池谷修(藤枝市在住)の右足の一撃で0−0の均衡を破った。戦いも大詰め。状況を考えれば「これでいけると思った」(池谷)のも無理はない。
しかし、またもタイムアップ寸前に同点弾を許して、再延長の末、1−2で惜敗。2度にわたって手中に収めかけた全国切符を逃した。CFだった竹下悦久(自営)は「いい思い出だが、やはり悔しい」と思い起こす。
1969年度は清水商の壁
翌68年度は県新人大会で決勝に進み、藤枝北を1−0で下して優勝、スポーツ祭では決勝で藤枝東を2−0で倒し、2本目の優勝旗を手にした。だが、全国行きが懸かった戦いは、総体予選が準決勝で藤枝東に0−2で敗れ、国体予選も決勝リーグで2位に終わって、最後の壁をクリアできなかった。
69年度も総体予選で決勝に進出しながら、清水商に延長の末、0−1で競り負けた。1年からピッチの上でV逸を味わった池谷は、サッカー部記念誌『60年の足跡』に「幾度となく決勝戦まで行きながら全国大会は夢に終わった。何が足りなかったのか…」と無念の思いをつづっている。(敬称略)