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【第22回】凸二条城 前編~格式高すぎるじゃろ!~ 前田慶次の自腹でお城めぐり

城びと

【第22回】凸二条城 前編~格式高すぎるじゃろ!~ 前田慶次の自腹でお城めぐり

お城に関する豊富な知識を持つ名古屋おもてなし武将隊®の一員・前田慶次様が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、世界遺産にも登録されている国宝・二条城(京都府京都市)の前編です。ゆかりのある京都へのお城めぐりということでテンションが上がっている慶次様が、京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として築かれた二条城ならではの、守りの堅さと格式高さを物語る遺構の見どころを細かく紹介します。

皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。

此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。

先ずは、名乗りを上げよう。

前田慶次齢四八十一歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にせんが為、日々戦働きに勤しむ。

演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。

結成十四年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。

して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。

伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。

名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。

日本城郭検定にも挑戦し合格。

日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。

題して

【前田慶次の自腹でお城めぐり】

他の連載と何が違うのか!?

・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!

全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、

其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。

歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。

ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る

旅の道中劇にも注目してもらいたい!!

また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。

凸二条城 城郭の魅力度を数値化

初の世界遺産に大興奮!


【基本情報】

城郭構造:平城

主な築城者:徳川家康

築城年:慶長8年(1603)

廃城:明治6年(1873)

主な指定文化財:世界文化遺産 国宝 国の重要文化財 特別名勝

【歴史】

■天下人が築城!名前は二条城?二条亭?

慶長6年(1601)関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、上洛時の宿として、朝廷の守備として大宮押小路に築城を決める!

天下普請事業の一つで西国諸大名が築城を負担した。

作事の大工棟梁には当代一流の職人、中井正清が選出。

幕府は二条城と呼んだが、朝廷は二条亭と呼んだ。

朝廷としては城と言うより宿、屋敷の認識が強かったのやもしれぬ。

■将軍宣下!武家の頂点のパーティー!

慶長8年(1603)徳川家康伏見城にて征夷大将軍叙任!

完成直後の二条城に入城し「拝賀の礼」を行う。

重臣や公家衆を招いて将軍就任を祝う! この行事は3代家光まで行われる!

■大坂の陣のきっかけ?秀頼もやってくる!

慶長16年(1611)二条城の御殿(二ノ丸)にて徳川家康と豊臣秀頼の会見が行われる!

この時に家康は秀頼の見事な立ち振る舞い方に危機感を覚え、後の大坂の陣を引き起こしたとも言われる。

大坂の陣の時に二条城は徳川方の本営となった!

■秀忠が縄張担当して改修?

元和5年(1619)徳川秀忠が二条城の改修を行うが、自ら縄張を担当したとか!

ただ、築城名手藤堂高虎も共に行ったようで、秀忠がどこまで関わったかは不明。

■三代将軍家光の時に大改修!

寛永元年(1624)徳川家光が将軍となり、後水尾天皇の行幸の為に大改修!

城は西に拡張され、そこに新本丸と天守を築城!

二の丸御殿も改修され、当代一流の絵師集団、狩野派による豪華絢爛な障壁画が仕上げられた!

■焼失と地震による被害

寛延3年(1750)落雷により天守が焼失。天明8年(1788)には天明の大火が原因で本丸御殿、隅櫓が焼失。

焼失した建物は再築されることは無かった。

万延元年(1860)京都地震により御殿を始め、門、櫓が傾くなど大きな被害。

■武家時代の最期を迎える

慶応3年(1867)15代将軍慶喜は徳川将軍家の拠点にする。そして二条城二の丸御殿で大政奉還を行う。

■皇室の離宮となり活躍

明治17年(1884)二条離宮となり皇室の建物となる。

大正天皇は10回滞在され本丸御殿で宿泊。二の丸御殿は仕事場として利用し離宮として大活躍!

■観光地、そして世界遺産へ

昭和14年(1939)京都市に下賜され翌15年(1940)には恩賜元離宮二条城として一般公開!

昭和27年(1952)二の丸御殿を中心に国宝指定。平成6年(1994)世界文化遺産に登録。

【名古屋駅から出陣此度は何と…】

名古屋の虎口(玄関)名古屋駅から出陣し向かうは…

世界文化遺産指定を受け国宝、重要文化財、特別名勝、他にも多数の文化財指定を受ける

日ノ本が、国民が世界に誇る城「二条城」へ参る!

此の前田慶次、嘗(かつ)て京都は都に居を構え第二の故郷と言っても過言ではない。

数寄者(すきもの)活動を精力的に行っておった儂が、城びとの連載で都へ上洛するとは心が熱くなる!!

気も滾(たぎ)っておる此度に相応しく、鉄籠は新幹線なるもので早駆けで参るぞ!

我が連載の企画は自腹で巡るというもの。残金は11259円。

節約よりも早く二条城へ参りたい気持ちが勝つ!!

新幹線での移動は二度目に候。

京都駅着陣。凡(およ)そ40分ばかしで着くとは、やるな新幹線よ!!

此処から二条城へより近付くべく、鉄籠を乗り換える!

二条駅着陣。更に乗り換え向かうは二条城前!

地図は必ず見るのじゃ!

【二条城前駅 地図から読み解く驚きの真実】

二条城前駅着陣。名古屋から考えると半刻は1時間程であった。

着陣し先ず二条城に関する資料が幾つも展示されており、

登城者の士気を高めてくるとは流石は世界遺産であり観光の聖地京都と申す所か! 天晴じゃ!

此処で絶対に確認して欲しいものがあり申す! それが「地図」である。

周辺地図にて縄張(設計図)を確認するのは城巡りの基本

設計図、地理を見れば守備の仕方、交通、経済が見えてき申す。つまり城の用途が分かる。

二条城は堀川通沿いにある。堀川通は京都の主要な南北の通り。

名の通り嘗ては川が流れており、平安時代では最大規模の川であり水運交通の要所であった!

南側に神泉苑が目の前にある。

神泉苑は桓武天皇が造られ、皇族のみが入れる禁苑であった。

また、源義経公と静御前が出会った場所と言われておる。『鎌倉殿の13人』を思い出すのう!

神泉苑の北側は二条城に取り込まれ、水源も外堀の水源の一つとして利用される。

神聖な神泉苑を開削してまで築城される二条城恐るべし…!

また現世の絵巻作品、ドラマ等でも度々出てくる有名な東町奉行所も近く御座った。

江戸幕府の役所で警察、行政、裁判所の役割があり重要機関である!

斯様(かよう)なものが城の近くにあるという事は、城に近づけない効果も発揮するわな!

警察署に用もなくウロウロする者は現世でもおらんだろう?

ほいで注目すべきは二条城はズレている!という衝撃の事実。

地図を見てもらい儂が黒線を引いた箇所を見よ。

南北に真っ直ぐ伸びず左右にちとずれておるのが確認出来よう?

当時築城する折、異国から取り寄せたばかりの磁石を使い築城したそうじゃ。

南北を磁石で丁寧に確認したはずが、3度程ずれていたらしい。

故に地図では明確にずれておるのが分かる!

異国文化を交えて築城するとはおしゃれと思わぬか?

穴蔵(地下鉄)から飛び出し我が指先の方には…。

隅櫓が見え申した!!

目の前にあるというのは、物見遊山は観光で参る者達もさぞかし士気が高まるであろうな!

寄って参ろう!

櫓と申せば物見だけでなく、狙撃する攻守の要である。

窪み部分は窓となっており、有事となれば開けて鉄砲で攻撃じゃ!

鬼瓦等は徳川家の城という事で三つ葉の葵紋であった。

【東南隅櫓】

慶長8年(1603)に築城され寛永3年(1626)改修。

二条城は元々四隅に櫓があったが天明8年(1788)の天明の大火によって2基焼失し、

残るは東南隅櫓と西南隅櫓のみである。現在は国の重要文化財にも指定されておる!

2重2階の入母屋造で本瓦葺である。立派な隅櫓であるが、周りは多門塀が連ねておったそうじゃ!

いつか復元されれば駅前の景観は、要塞のように感じるであろうな!!

また、外堀は水堀となっており距離感が絶妙である。

縄張改修担当は藤堂高虎という事で、名古屋城の構造に似ておる。

櫓、塀から鉄砲で攻撃する時に外さない距離感となっておるのが特徴!

一斉射撃を想定しておるのじゃろうな。

我等の時代で一斉射撃は脅威であった。

ただでさえ鉄砲は高価な品で大量に用意するのが難しい上に、鍛錬も困難。

つまり、切り札的な印象がある。それを一斉射撃という形で使用されれば心が折れるものよ…。

【石垣も注目すべき】

近世城郭で偶に見られる化粧された石垣。

様々な種類があるが「すだれ仕上げ」が此処では綺麗に見られる!

縦筋に削ってあるのが分かるであろう? 石の表面を削ったりして仕上げる事を化粧と申すのじゃ。

石垣の加工技術の進歩を楽しむのも城の醍醐味ぞ!

また、石垣の工法も切込接ぎの布積みという正方形に近しい形まで加工し

横並びのように積み上げる難易度が高い石垣となっておる。

工法過程が増えるのは、労力も増える時間もかかる。

即ち銭もたーくさん掛かるで、石垣一つで魅せる城ができるのじゃ!

二条城の石垣は誠に天晴であるで是非見て欲しい!

史跡二条城は東大手門前にあるぞ!

離宮の文字もある。名古屋城との共通点も多いのは見逃せぬ!

【南北のずれは視覚で確認できる】

先述した二条城の南北におけるずれであるがこの駐車場で確認できる!

駐車場が北に向かうにつれて狭くなっておる。

なぜ南に向かって駐車場広くなるのー?と何も知らぬ者は疑問であろうが、

此れを読むお主は友達に説明できる故に、ドヤ顔で伝えよ!

「これは、築城するときに磁石を使って…」とな。

して、此の広い道路が堀川通で、元々大きな川で京都の水運交通を支えておったのじゃ。

今は鉄籠の交通を支えておる!

目の前にある東大手門から入城して参る!

此の入城券…ただの券に非ず!! 刮目せよ!

刻印が記されており、これをからくり機で読み取らんと入城できぬという守備!

多くの城に登城したが、初めて目にしたし令和の世は現世らしい守備に感動致した!

異国の者の入城も多いからであろうか。

武家と公家の文化が混じった正に公武合体の城、二条城らしく天晴れ!!

瓦版も多くの言語に対応しておる!宣教師に優しい城ではないか!

因みに名古屋城はこの点完璧である!

瓦版だけでなく、我等名古屋おもてなし武将隊が出迎えるという異国の者も大興奮で満足度も高い!!

ふふふ。儂も不慣れな伴天連(バテレン)語で交流をはかっておる!

話しが逸れたが、此れは多くの登城者がおる証。

壮大な櫓門に金箔飾り。

鉄板張りで守備力も高い!

【天皇を迎える最高峰の大手門 東大手門】

どうじゃ!? 此の豪華絢爛な門は?

立派な櫓門であり金箔を貼った飾りは儂も初めて目にした

余りにもキンキラキン過ぎて儂の眩さと良い勝負するんでにゃーか!?

なぜ斯様に豪華絢爛な門となっておるのか。至極簡単!

帝は天皇を出迎える門故にじゃ!

元々斯様な門ではなかったが、寛永期に天皇の行幸に伴い

大改修を行った折りに金箔飾りにしたそうじゃ!

ただ、現在の東大手門と異なる点がある!それは…。

二階が無い!

櫓門として必要不可欠な二階部分が無かったそうじゃ!

理由は…天皇を見下ろすことになるからじゃ!

後の改修で再び櫓を載せて、元の櫓門の姿を取り戻した!

天皇行幸で城の改修は…あるあるじゃ!

名古屋城もそうであるし、それを初めから考えられて築城された安土城も然り。

失礼の無いように守備力を下げてまでも改修する。帝の偉大さも城から伝わるであろう?

中に入ると…。

先程表から見た東南隅櫓についての案内板を発見! 驚きの事実を知る!

東大手門と同じく寛永期の行幸の際の大改修でこの櫓は築城され、西南隅櫓に比べて一回り大きいとな。

内部は板敷で竿縁天井。格式がどえりゃあ高いわけではない造り。

鉄砲の収納が確認されておる故に攻撃の拠点として活躍させる予定であったか。

然し、天皇の為の改修で攻撃的とは口に出したくないものじゃ!

今は無き、西北隅櫓は唯一の3階建てで最も大きかったようじゃ!

案内板を見て全体図を確認。

先述しておる寛永期の大改修で本丸部分が増築されておる。

本来は二の丸部分のみであったそうじゃ。

空堀はなく近世城郭らしい見た目は輪郭式平城である。

本丸を二の丸が取り囲む造りで広大な土地を要する。

権力者の城に多い造りであるが、四方からの攻撃に対応しやすい利点も忘れてはならん。

では、注目すべき二の丸御殿へ参ろう!

立派な塀は築地である。

此れが将軍家の塀か…、懸魚(げぎょ)まで付いておるとは。

格式の高さを散りばめてくるのう!!

ん?

【塀も見所多すぎて大変じゃ!】

築地の白線、横線が5本…!?

此れは皇室との関係性を示す日本社会における重大な指標である。

5本は最高格である!

聞くと、築地も寛永期の行幸で築城されたもので、東面の長さは110mもあり高さは6m

何もかもが規格外で儂も驚いた…。

無論のこと国の重要文化財指定を受けておる!

して、あの豪華絢爛な門は…。

唐門!!!


と言ったところで此度の記事は此処まで!

次回は国宝の御殿に前田慶次大興奮! 二条城の全貌が明らかに!

次回の記事も楽しみにしてちょ!

以上

名古屋おもてなし武将隊

天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人

前田慶次郎利益

凸伝令

執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)


<お城情報メディア 城びと>

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