「学校に行けない呪い」不登校小3息子の葛藤。適応指導教室も合わず…再登校のきっかけになったのは
監修:初川久美子
臨床心理士・公認心理師/東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち
1年生から登校渋り
長男は小学校に入学した頃から登校渋りがありました。感覚過敏やこだわりなどがあり、それらを学校では自分で我慢して過ごしていたり、集団行動が苦手だったりとしんどくなることが多く学校が好きになれずに 行ったり休んだりを繰り返していました。
当初はASD(自閉スペクトラム症)の診断も受けていなかったので(小学3年生の8月にASDの診断を受けました)、長男がしんどいと話してくれることが甘えなのかどうなのか……どのように捉えていいか分かりませんでした。なので休みがちなことに私も戸惑ったり自分を責めることもあったのですが、長男のペースを見守ろうと思い、長男とも話し合いながら休みを挟んで登校するようにしていました。
不登校のはじまり
3年生の9月終わり頃、いつものように学校へ行きたくないと朝から泣いていた長男。その時は休んだら明日には行くだろうと思っていたのですが、次の日もその次の日も行きたくないと言い、これは今までと少し違うかもしれないと思いました。休んでから3日経った夜、長男から学校に行きたくない理由を話をしてくれました。
「今、体育でやっているキックベースが毎回ルールが変わりついていけない。分からなくて困っていたらクラスの子に怒られた。試合の中なのでその子に悪気はないことは分かるけど傷ついた」
「お友だちが忘れ物をした時、自分に借りに来るのがなぜか分からない。貸したり一緒に見たりするのが嫌だ」
長男は急なルールの変更が苦手で、周りの目を気にしすぎてしまうところもあり、自分のペースを乱されたりテリトリーに入ってこられるのを嫌がる傾向が人一倍ありました。きっと話してくれたことはきっかけにすぎず、学校生活ではこのようなこともよくあると思うのでいろいろ積み重なって……という感じなのかなぁと思いました。
気持ちが楽になるように私が話しても、行きたくない気持ちは変わらない様子でした。こういったことはこの先たくさん起こることだと思うので自分なりにうまく消化できるようになってほしいと思うのですが、当時は焦らずに見守ることにしました。
不登校中に起きた長男の異変
休み始めた最初の数週間は、特に何も言わずに静観すると決めていました。そして2週間ほど経った頃に、長男がとても痩せていることに気づいたのです。足の細さには本当にびっくりしました。顔色も良くなく、本人は気づいていない様子でしたが少し元気のなさを感じていました。
学校まで歩いたり体を動かしていたことが、どれほど健康的な日課だったかを痛感。私は長男が登校渋りになってから在宅で仕事をしていたので、その日から毎朝2人で散歩したりなるべく話をしたり、ごはんを一緒に作ったりと気にかけるようにしていました。陽の光を浴び、ごはんも食べるようになった長男は少しずつ体調が戻っていきました。
先生との連携、適応指導教室へ
担任の先生はとても親身になってくださり、よく家に来て長男と話をしてくれました。事前に、「先生が会いたいと言っているけど、家に来てもらっても良いか」と長男に確認するようにはしていました。長男も一生懸命自分のことを理解しようとしてくださる先生のことが好きだったので、家に来てくれるのを楽しみにしていました。
長男と先生が話す時は私は席をはずしていたのですが、今日こんなことがあって面白かったなどたわいもない話をたくさんしてくださったようです。先生にも幼稚園のお子さんがいて、登園渋りがあった際に私の気持ちがとても分かったと電話をくださるなど、私たち親子に寄り添ってくださいました。
また、特別支援学級の先生にも繋いでいただきました。結局、特別支援学級は長男が前向きではなかったので見学のみで終わりましたが、特別支援学級の先生も長男のことをとても理解してくださいました。
体調の異変が起きてから学校へ行ってもしんどいがずっと家にいるのもあまり良くないと感じた私は、長男が少しでも外へ出たり人に会う機会をと思い、以前から知っていた適応指導教室へ相談へ行きました。また、休みが長引くごとに私自身もいろいろと悩み、気が滅入っていくのも相談へ行った理由の一つでした。
心理士さんと私の面談では、本当にいろんな話を2時間半ほど聞いてもらいました。心理士さんの話で印象的だったのは「意外なきっかけやタイミングで、学校へ行けるようになったりすることもあるので焦らずに」「子どもの気持ちをできるだけ尊重したいと思うかもしれないが、お母さん自身のメンタルやほかのきょうだいとの兼ね合いも考えて今後の方向性を決めていくのがベターである」という話でした。
そして長男は適応指導教室に通い始めたのですが、何度か行った後に行きたくないとなってしまい、ちゃんと通えたのは1か月ほど。その後もフリースクールなどに見学に行ったのですが、どこも長男は乗り気ではありませんでした。
学校へ行けない呪い
学校へ行けなくなってから半年ほど経った2月頃、長男とこの先どうしたいかどうしようかという話をしました。
長男は「どうしたいか自分でも分からない。分からないけど学校へ行かないとやばいと思っている」と話してくれ、私は「何がやばいと思う?」と聞きました。すると、「勉強も遅れるしみんなに忘れられる。行かなきゃと思うのになぜか行く勇気が出なくて、なんで行きたくないのか理由も分からなくなってしまった。なんだか行けない呪いにかかったみたい」と話してくれました。
勉強の遅れは一緒に取り戻せばいいし、クラスの子も忘れることはないと思うし、行かなきゃと自分を追い詰めるようなことは思わなくて良いと話しましたが、本人はその気持ちが拭えない様子でした。また、今行くとみんなに注目されていろいろ聞かれるのではないかというのも心配していました。
長男の話を聞いて、最初は何がなんでも行きたくないという気持ちから少し変化を感じたのと、なんとなく今長男は行くタイミングが分からなくなってしまっているのではないかと感じました。そして適応指導教室の心理士さんがきっかけやタイミングで行けるようになることもあると話してくださったことも思い出し、長男に4年生になる4月からもう一度行ってみてはどうかと提案しました。4月ならクラスや先生も変わるし、周りの子たちも環境の変化でバタバタしていて長男が久しぶりに行っても注目されにくいのではないか、長男も途中よりは比較的入っていきやすいのではないかと思ったからです。
その後も長男とはたくさん話しました。適応指導教室やフリースクール、特別支援学級も体験したが長男はどれが良いと思うか、私は家族や長男のためにも家にずっといるというのは考えてはいないなど……。長男の思いを聞き、私の思いも話し、どうお互い折り合いをつけていくかを一緒に考えました。
その結果、長男の気持ちは4月からもう一度学校へ行ってみようかなという方向に少し傾きました。そして4年生のスタートと同時に登校できるように。案の定、クラス替えなどの変化もあったため何事もなく自然にすんなりと学校生活を始められたようでした。私もいつもと変わりない様子で接することにしていました。
現在の長男
4年生になってからも休みながら登校することが多かったのですが今のところ長期にわたって休むことはなくなりました。
私は長男が学校へ行った際、過剰に褒めるということはしないようにしています。もちろん褒めるべき時はきちんと褒めるよう心がけていますが、学校へ行ったからあなたはすごい、えらい。行けなかったらすごくないと思わせたくないからです。
登校した日は、それがどんなに久しぶりでもいつも通り「おかえり。お疲れさま。頑張ったね」と声をかけ、家でゆっくり過ごせるように心がけています。また長男から学校での出来事を話してくれたら、興味津々でたくさん聞くようにしています。今後もいろいろと変化はあると思いますが、その時その時を焦らずに見守って寄り添えたらと考えています。
執筆/ねこじま いもみ
(監修:初川先生より)
長男くんの登校渋り、不登校、そしてそこからの復帰のエピソードをありがとうございます。のちにASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けたとのことですが、登校渋りが見られた当初の感覚的な困難さや集団生活ゆえの苦しさが本人も(幼さゆえに)うまく言葉にできず、またねこじまさんはじめ周りの大人もまだつかみきれず、はがゆかったことと思います。3年生になり、自分の苦しさを言葉にして伝えてくれた時に、そうした一つひとつのことで消耗していることが保護者や先生らと共有されていくきっかけとなったのはよかったです。そこで、そんなこと気にしてないで頑張りなさいなどとならず、長男くんの苦戦をそのまま受け取ってくださったことも、長男くんにとってとても安心したことと思います。
休み始めて家にいる時間が長くなったり、ふさぎこんでいるときが増えると、体調に不調をきたす子もでてきます。体力も落ちてしまうので、まずは散歩から始められたというのもよかったと思います。できれば明るい時間に太陽を浴びながら外を歩けると気持ちも晴れやかになりますし、体力を使うので食欲も戻ってくるし、朝に太陽を浴びると夜になると眠くなるしで、いいことがたくさんあります。
適応指導教室(教育支援センター)は、自治体によって小学生の利用の形がさまざまあるので各自治体での枠組みをご確認ください。適応指導教室や自治体の教育相談では不登校のお子さんに関する相談を受けてくださると思うのでそれを利用されてよかったと思います。適応指導教室での過ごし方(プログラムなどのあり方)もさまざまですが、ASD(自閉スペクトラム症)のお子さんの場合、自由だからのびのびできる場合と、何も決まっていないから何をしていいかわからず逆に苦しくなる場合、また通室しているほかのお子さんの数や学年がどうかなどあり、お子さんが心地よく過ごせるかどうかは見学体験してみないと分からないように感じます(これは民間のフリースクールも同様です)。
長男くんは4年生の4月という節目のタイミングで学校に復帰することができました。クラスや担任が変わるなど大きな変化の時期なので、そのタイミングに戻るのは戻りやすい時期の一つです。そこから安定して通えるかどうかはそのお子さんによって違いますが、ただ、試してみようと思えたことや本人も学校に行くということを具体的に考え始めた時期だったことも奏功したのだと思います。どのお子さんも4月に試してみることができるわけではなく、そこまでにある程度エネルギーが充電されている必要があります。長男くんの場合、3年時の担任の先生との関係もよかったということもいい影響をもたらしてくださったように感じます。
復帰後の声かけについて、「登校できてすごい」など、行く行かないに関して重点を置いた褒めをしないようにされているとのこと、素晴らしいですね。登校できることはすごいことですが、しかしそこだけ言及してしまうと、“行けないのはすごくない”も(言葉にせずとも)伝わってしまいやすく、条件付きの褒めになってしまいます。学校には行ったほうがいいんだろうと思う、まじめなお子さんにとっては、そこに過敏になってしまうと苦しくなるかもしれません。頑張ってきたであろう学校での活動を終えて、家で過ごすときは、ほっとできるように安心できるように心がけてくださっていること、とても素晴らしいです。
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。