海外進出から40年!ラウドネス「THUNDER IN THE EAST」不屈のロック魂が燃え続ける理由
大盛況だった「THUNDER IN THE EAST」完全再現ライヴツアー!
ラウドネスの快進撃が止まらない。ジャパニーズ・ヘヴィメタル史上に輝く金字塔である1985年のアルバム『THUNDER IN THE EAST』のリリースから40年。『LOUDNESS JAPAN TOUR 2025 THUNDER IN THE EAST 40th Anniversary完全再現ライヴ』と銘打ったを全国ツアーを敢行。5月28日に東京のZepp Diver Cityで堂々のツアーファイナルを飾り、改めてその存在感を見せつけた。
筆者は1981年のデビュー当初からラウドネスを追ってきたが、現在の彼らは、むしろ “新たな黄金期” と呼ぶにふさわしい充実ぶりを見せている。ここでは、40年以上に渡る歩みと今の躍動を改めて辿りたい。
成功の影で乗り越えた幾多の試練!今が新たな黄金期
高崎晃(ギター)と樋口宗孝(ドラムス)が在籍したレイジー解散後、二井原実(ボーカル)と山下昌良(ベース)を加えて始動したラウドネスは、圧倒的な実力で瞬く間にジャパメタシーンの頂点に君臨。メタルの本場であるアメリカ、ヨーロッパにも果敢に進出し、メジャーとの契約を勝ち取り、前述の『THUNDER IN THE EAST』で全米ビルボード74位を記録。マディソン・スクエア・ガーデンのステージにも立つなど、日本のバンドとして前人未到の偉業を成し遂げた。
その後も、80sメタルブームの中で順風満帆にキャリアを重ねたが、1988年の二井原の解雇を皮切りにメンバーが入れ替わり始め、1990年代に入るとサウンドの変化とともに、山下、さらには樋口まで脱退。高崎中心の体制で掲げた、通称インド3部作 “ブッダ・ロック期” は、ファンの戸惑いを招いた。そんな中で、2000年代に入りオリジナル・メンバーが再集結。ファンの熱烈な支持を受け、再び創作活動を加速させたが、2008年、肝細胞癌の治療で休養していた樋口宗孝が、闘病の末に他界。高崎と並ぶラウドネスの象徴的存在の喪失は、バンド史上最大の試練となった。
それでも高崎は、樋口の遺志を継ぎラウドネス継続を宣言。翌年にはドラマーに鈴木 “アンパン” 政行が加入し、国内外での活動を再開。海外での音源リリースやアメリカ、ヨーロッパの有名フェス出演など、世界に向けたラウドネス再興を実現した。その後、2018年には鈴木が脳梗塞で倒れるも西田竜一のサポートで乗り越え、鈴木も無事に復帰。世界的な再評価熱が高まる一方で、2021年のアルバム『SUNBURST〜我武者羅』はオリコン5位と、国内での高評価も獲得。ジャパニーズ・メタルを象徴するトップランナーとして新たな黄金期を迎えている。
国内外で高まる再評価の声!より克明になった80年代の偉業
近年、ラウドネスの再評価が進む理由のひとつは、1980年代当時の海外における活動の価値が、再認識されたことにある。 先日、BABYMETALがロンドンの『O2アリーナ』でソロ公演を見事に成功させ話題となったが、1980年代のラウドネスが海外に挑んで掴み取った快挙は、その時代背景を考えると価値や重みがまったく違うはずだ。
当時はインターネットもなく、情報源は日本のメタルを扱う一部の音楽雑誌のみ。海外の成果が国内にリアルタイムで届くことは稀だった。 真実が明らかになるひとつの契機となったのが、2015年にリリースされたボックスセット『THUNDER IN THE EAST 30th Anniversary Edition』だ。そこには貴重な未発表映像・音源や関係者の証言が収められており、1980年代当時に成し遂げた偉業の一端が可視化され、多くのファンに衝撃を与えた点は大きい。
そう、国内のみならず、1980年代のラウドネスがいかに海外で認知されていたかが、より明らかになった。アルバム『THUNDER IN THE EAST』、そしてリードシングル「CRAZY NIGHTS」のヒットを通じてラウドネスを知った海外ファン層の広がりは、当時我々がイメージした想像を遙かに超えるものだった。加えて、過酷な海外ツアーを何度も重ねたことで、実際にライブを観たファンも多く、アメリカやヨーロッパの隅々にまで知名度を浸透させる大きな要因となった。
また、国内外を問わずラウドネスに影響を受けた若いアーティストがその後有名になり、後年、ラウドネスに対するリスペクトを公言するケースも増加。1980年代の世界的なメタルブームにおいて、日本のバンドとして別格だった事実を裏付けるとともに、再評価と伝説化をさらに後押ししている。
高崎晃と樋口宗孝が共に抱いた鋼の決意
活動歴は実に44年、ラウドネスが今もヘヴィメタルを演奏し、エネルギーを燃やし続けられるのはなぜか? その根源となったのが、高崎と樋口の “ヘヴィメタルを演りたい” という強い強い衝動を爆発させた、80年代初頭の “ビッグバン" だ。
アイドルグループとしての活動を強いられたレイジー時代、高崎と樋口の鬱憤はマグマのように溜まり、遂には “ヘヴィメタル宣言” を具現化した『宇宙船地球号』を生み出す。そして、ヘヴィメタルに対する溢れんばかりの衝動は、強大な “ビッグバン" となって爆発。超新星のラウドネス誕生に繋がった。1981年に発表されたデビューアルバム『THE BIRTHDAY EVE 〜誕生前夜〜』の冒頭曲「Loudness」のイントロで響き渡る高崎の叫びのようなギタープレイは、まるで “ビッグバン" の瞬間を表現するかのように響き渡る。
流行り廃りでメタルをやるのではなく、心の底からヘヴィメタルをやりたい。高崎が樋口と共に抱いた強い初期衝動と鋼の決意が、ラウドネスを続けるうえで揺るがない核となったのは見逃せないポイントだ。だからこそ自己を鍛錬し、アーティストとしての力量を磨き抜き、遂にはメタルの本場で真の成功を収めたのだろう。そんな高崎が樋口とともに燃やし続けた “ロック魂" は、40年を超える長い歳月の中で、ラウドネスにいかなる変化や困難があっても失われることはなかった。
高崎にとっての盟友、樋口を失ったことが、図り知れぬ失意となったのは想像に難くない。それでも高崎は、樋口宗孝の死という最大の試練を、ラウドネスでロックし続ける原動力へと変えていった。世界に通用するバンドにする―― 樋口との道半ばだったそんな思いを、高崎は今も追求し続けているのだ。
ラウドネスは来年(2026年)、バンド結成45周年を迎える。先日のツアーファイナルで新作を予告するなど、創作意欲は益々旺盛だ。世界のメタルシーンを見ても、齢70を超えて大半のオリジナルメンバーが残り、現役で活動しているケースは稀だ。ラウドネスが50周年、いや55周年までヘヴィメタルを演奏し続ける可能性は、決して夢物語ではないと思える。