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文林堂とハイタイド業務提携から1年 町の活版所に灯る希望

Qualities

2022年(令和4年)2月、Webのマッチングサービスを活用して事業承継に挑戦する活版印刷所の主人がいた。福岡市で戦前から続く文林堂の山田善之さん、今年83歳になる。このニュースはメディアやSNSで大きな話題になった。

業務提携のパートナーとなったのは、福岡から東京やロサンゼルスに直営店を展開する文具・雑貨メーカーの株式会社ハイタイド。提携から1年余りが過ぎ、文林堂の山田さんとハイタイドの竹野潤介さんはどんな思いで活版印刷を未来へつなごうとしているのか。

前編記事では、時代の波を越えながら活版印刷とともに生きてきた山田さんの人生の旅を紐解いた。後編は、文林堂とハイタイドが手を携える「今」へ旅を続けたい。

前編記事はこちらよりご覧ください。

心とともに技術を継いでくれる人を

2021年秋、山田さんは最愛の妻・ミヨ子さんを亡くした。

妻としてはもちろん、ビジネスパートナーとしてもかけがえのない存在だった。

活版印刷を求める人の熱意に応えようと無理を重ねる山田さんを、ミヨ子さんは支え続けた。ただ見守るだけではない。たとえば、誰でも簡単な操作で高速・大量印刷できる「孔版(こうはん)印刷機」の導入を提案したのもミヨ子さんだ。この印刷機のおかげで、山田さんはルーティーンの業務をある程度他のスタッフに任せ、山田さんにしかできない活版印刷の仕事に集中できた。さらに1998年(平成10年)には文林堂を3ヶ月間スタッフに託して、新婚時代に旅したイスラエルを再訪し、語学留学の夢も果たしたのである。

そのミヨ子さんが、もういないのだ。

悲しみに沈んでいた山田さんであったが、やがて心に小さな埋み火を見つける。ミヨ子さんと生きてきたこの場で、長年支えてくれたお客さんの信頼に応え続けたい。活版印刷の文化を未来につなぎたい

「一人では、今日までやりたいことをやって来られなかった」と思えばこそ、何としても果たしたい切なる願いだった。

〈▲ 山田さんが組んだ「活版活字」の版〉

80歳を過ぎた山田さんは丈夫さが取り柄とはいえ、緻密な作業や力仕事が負担にならないわけがない。引き継ぐ体力があるうちに活版印刷の文化や技術を一緒に伝えていける人たちと出会いたいと考えるようになった。

これまでも、M&Aを専門とする企業から「素晴らしい仕事だから残せるように提案させてほしい」と営業されることはあった。

「メールが来るたびに“戦略”とか“勝ち抜く”とかいう言葉が出てくるのが、違うなあと思ってね。活版印刷を伝えることは日本の未来に対する投資だと僕は思うから」

2022年、山田さんは自分の思いを多くの人に知ってもらうために、知人から紹介された事業承継のマッチングサービスを利用することにした。情報をWebに公開した初日、閲覧者数は6000人。見てくれるとしてもせいぜい20~30人程度だろうと予想していた山田さんは、「何かの間違いじゃないか」と舞い上がった。想像より遥かに多くの人が、活版印刷や活字に関心を持っていたのだ。

北海道や東京など全国から手を挙げた50ほどの企業と個人に対して、山田さんは文林堂の技術をなぜ未来に託したいのかを伝える合同説明会を開いた。集まったのは、東京で古い印刷機を集めたショールームを営む人から、山田さんが1日だけ講義した広島市内の大学の学生まで、所在地も経歴も年齢も幅広い顔ぶれ。

「活版印刷の文化が消えるのは惜しい」「技術を覚えてプライベートな印刷を受注したい」「活字や印刷機にモノとしての魅力を感じる」などさまざまな思いを持つ人と対話を重ね、活版印刷を伝えていくことに希望はあると山田さんは感じた。

最終的に山田さんが選んだのは、全てを引き継いでくれる後継者でもなく、事業の売却でもなく、福岡の文具・雑貨メーカーであるハイタイドとの業務提携だった。資本の提携はなく、お互いの事業に提携のメリットを活かすことで合意した。

「実は、ハイタイドさんの創業には僕と弟が関わった経緯があります。創業者に手帳のつくり方を教えたのは僕。でもそれは過去の話で、縁で決めたわけじゃない。決め手は、いかに僕の思いと響きあう心を持っているかということ。この場と長年のお客さんを大切にしてくれるかどうかです」 

町の活版所に文具店「HIGHTIDE STORE BUNRINDO」


〈▲バス通りからはハイタイドの商品と、活版印刷機と活字棚が見える〉提供:ハイタイド

2023年6月、業務提携した二社の船出を象徴する小さな文具店「HIGHTIDE STORE BUNRINDO」が、文林堂の店舗内にオープンした。以前山田さんの仕事場だった空間にハイタイドの文具が並び、印刷機や活字棚の大半は奥へ移動させた。

入口には古くからお馴染みの文林堂のキャラクター「Bunちゃん」が微笑み、反対側にハイタイドの白い看板と黄色い鉛筆のモニュメントが並ぶようになった。

〈▲ 文林堂のキャラクターとしてお客さんの間でお馴染みの「Bunちゃん」〉

バス通り沿いのガラス窓から店内をチラリと覗きこむ人の姿を見かける。視線の先にあるのは小さな鉄の機械、活版印刷機だ。

〈▲ 店舗入口に設置される小型の手フート印刷機〉

この印刷機のすぐそばに、宮沢賢治の代表作『銀河鉄道の夜』の二章「活版所」の文章を組んだ版が展示されている。主人公のジョバンニ少年が病んだ母を助けるために活版所で活字を拾い、わずかなお金を稼ぐ場面の一部だ。

〈▲ 『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)の第二部「活版所」を組んだ版〉

〈▲ 刷った冊子には、山田さん自身の経験をもとにした「活版所」の解説も添えた〉

この版には山田さんの一方ならぬ思いが注がれている。

少年時代から夢にまで見たドイツ・ハイデルベルグ社の活版印刷機が縁あって文林堂にやってきたのが、2020年。「この町に根ざす活版所としてもうひと頑張りしたい」という決意表明のために、山田さんは『銀河鉄道の夜』を印刷した。かつて、日本のあちらこちらにあった「活版所」が、今この町の片隅で息をしていることを伝えるかのように。

HIGHTIDE STORE BUNRINDOでは小型活版印刷機を使って、不定期で活版印刷を体験するワークショップを行っている。「懐かしい」と声を上げる祖母と、「これなに」と初めて見るものに目を輝かせる孫。この体験を目当てに遠方から訪れる若者もいる。嬉々として指先で活字を拾い、小さな印刷機でカードやしおりを刷る姿を、山田さんはうれしそうに見つめている。

〈▲ 店舗内の小さな活版印刷機や活字の棚に、大人も子どもも興味津々〉提供:ハイタイド 

山田さんは人に響く人! 伝えたい「ものづくりの胆力」

文林堂のパートナーとなったハイタイドは、1994年に福岡で創業した文具・雑貨メーカーで、今年30周年を迎える。

ダイアリーや筆記具、読書や旅のアイテム、ノスタルジックなインテリア雑貨まで暮らしを豊かにする幅広いカテゴリーの商品を開発し続けている。どこか手仕事の温もりを感じさせるステーショナリーは根強いファンが多い。国内では福岡と渋谷、ホテルや空港にも直営店を展開。2017年(平成29年)にアメリカ法人を立ち上げ、翌年にはロサンゼルスとニューヨークに直営店を広げた。

〈▲ 職人気質なこだわりを醸すブランド「penco®」は創業当時から愛されるロングセラー〉提供:ハイタイド

ハイタイドは文林堂との業務提携に対してどんな思いがあるのだろうか。福岡市内の本社に代表取締役社長・竹野潤介さんを訪ねた――。

〈▲ 1階店舗を案内する竹野さん〉

本社1階の旗艦店にはオリジナルブランドのステーショナリーが所狭しと並び、文具愛好家にはたまらない空間だ。店舗の奥では写真やアートの作品展示も行われている。ショップの前には広々とした空間にベンチが並び、カフェかパブリックスペースのようにも見えた。

〈▲オリジナルコーヒーを片手に、ハイタイドの文具で書き物をしたり、本を読んだりできる空間〉

「文房具屋っぽくないでしょう? はみ出してるんですよね」と、竹野さんは笑顔で案内してくれた。そういえば、山田さんも「文林堂印刷と名乗らないのは、印刷に縛られず、その前段階からお客さんとものをつくる仕事がしたいから」と言っていた。

はみ出しもの同士なのかもしれない。

業務提携のパートナーとして手を挙げた竹野さんが、初めて文林堂を訪れて山田さんと面談したときの印象を聞いた。

「活字だらけの棚に囲まれた、どこか懐かしいインクの匂いのするあの場所に一歩踏み入れた瞬間、山田さんという人の情熱と人生をなんとかしなくちゃいけない! と。自分に何ができるかを考えました」

竹野さんの前職は人材の採用やマネジメントのエキスパートで、異業種からものづくりの世界に飛び込んだ。ハイタイドの社名の由来は「満ち潮」。サーフィンを愛した創業者の「心満たされるものをつくりたい」という願いに共感した。

2015年に創業者からハイタイドを引き継いで以来、ECサイトの運営に力を入れたほか、アメリカ法人を立ち上げて直営店を2都市に拡大してきた。文林堂の事業承継のニュースを知った頃は、環境変化が激しい時代のなか企業として成長する一方で、「ハイタイドがより大切にすべきことに向き合いたい」とも考えるタイミングだった。

「単にものをつくって売るだけのメーカーではダメなんです。人の思いが乗ることで、ものは情緒を帯びる。人の心や暮らしを満たすものをつくることで、会社にも人格が備わるんですよね。そろそろ、人とじっくり向き合うときだと」

竹野さんは、前職で勤めた企業の「人の情熱を尊重する」という考え方が、ものづくりにも通じると考えていた。心を満たすものをつくるには、つくる人が情熱に満ちていなければならない。 

「山田さんは、知れば知るほど“人に響く人”です。いくら好きな仕事だからって、どうしてあれだけ人の思いに応えることができるのか。社員たちはこの1年余り、山田さんと一緒に仕事をすることで、ものづくりの“粘り”を強烈に学んでいます」

業務提携をスタートして以来、文林堂とハイタイドのコラボ商品が続々と生まれており、その一つが「活字組版オーナメントカード」だ。活字の飾り罫などを組み合わせてグラフィカルなモチーフを表現し、活版で印刷したもの。色の重なりやモチーフの鮮明さをイメージ通りに仕上げるため、デザイナーと山田さんは気が遠くなるほど細かな調整を重ねた。

〈▲ 3色6柄展開のオーナメント。版や色を替えるたびに印刷機の緻密なメンテナンスが必要になる〉提供:ハイタイド

〈▲ 活字の裏面に入った線「ゲタ」や、飾り罫を組むアイデアは山田さんにとって新鮮だった〉提供:ハイタイド

「山田さんは、無茶な相談をしても否定しない。まずやってみましょうと言ってくれるし、社員のアイデアや技術の上達をほめてくださるんです。“難しくてもあきらめず、工夫してかたちにする”という心を教わる体験はかけがえがない。私たちが山田さんとともに伝えていきたいのは、活版印刷という技術や文化もさることながら、ものづくりの胆力ですよ」

活版印刷に出会う場は国内外のニーズがある

HIGHTIDE STORE BUNRINDOは、山田さんと竹野さんにとって社会実験のような場になりつつある。

「うちはものをつくるだけじゃなくて、新しい価値観と出会う場づくりも得意なので。HIGHTIDE STORE BUNRINDOはスタートして1年足らずですが、幅広い世代の人が活版文化に出会える居心地のいい場になりつつあると感じています」

地域の子どもたちが活版印刷に触れる場をつくることは、業務提携にあたって山田さんが切望したことだ。ハイタイドのアナログな味わいのある文具に惹かれて店に入ってきた親子に、山田さんが話しかけて活版印刷機の使い方を教えることもある。

活版印刷の体験ワークショップを告知すれば、関西や首都圏から若い女性が体験を目的に福岡まで旅してきた。「これからは海外からのお客さんにも来てもらいたい。ニッチな需要があると思う」と山田さんと竹野さんは話している。

〈▲活版印刷機で好きな言葉を栞に刷るワークショップを不定期で開催。親子や若いお客様に人気〉提供:ハイタイド

〈▲台紙・中紙・リングを選んでオリジナルノートをつくるサービスも、リピーターが多い。「Bunちゃん」台紙は文林堂限定〉

「ギフトカードを贈る習慣は日本より海外の方が根強いですからね。中国やヨーロッパの代理店スタッフをここに案内すると、活字や印刷機に感嘆の声を上げます。活版で刷ったカードは、山田さんの人生のストーリーも含めて絶対にニーズがある。今、アメリカ市場に向けた商品開発も進めています。業務提携したからには、山田さんの活版印刷の技術をいかした事業をしっかり黒字化したい」

文具は趣味の世界だ。ハイタイドは「偏愛」という個人の愛着やこだわりを起点にしたものづくりを大切にしている。

「ただし、“好き”だけで事業は成立しません。お客様の心を満たすだけでなく、課題を解決するものや場として選ばれるよう発信しないと。HIGHTIDE STORE BUNRINDOは活版所と文具店が越境しあう、他にはないユニークな場所。文具店は間口が広いからこそ、幅広い層と接点が生まれやすいんですよね。地域に根差しながら、国内外の人が訪れる場所にもしていきたい」と竹野さんは意欲を見せる。

〈▲「HIGHTIDE STORE BUNRINDOという場が育っていくことが楽しみ」と竹野さん〉

心はいつも「今から」

山田さんは、「ハイタイドさんと提携したことはお互いにメリットが大きい」と表情を輝かせる。

「“事業を買い取ると山田さんが働きにくいだろう”と竹野さんは気を遣ってくれたんでしょうね。既存のお客さんやこの場所への愛着を尊重しつつ、双方に意義のあるチャレンジを提案してくれる。文林堂は活字や活版印刷という古いものを扱う事業だけど、心と心を結ぶ事業承継というのは最新事例じゃないでしょうか」と山田さんは言う。

〈▲ 2023年6月、HIGHTIDE STORE BUNRINDOがオープンした時の挨拶状〉提供:ハイタイド

これまで活版印刷を知らなかった人たちが、ハイタイドの名前や商品に惹かれてHIGHTIDE STORE BUNRINDOを訪れるようになった。新しい発想のものづくりに活版印刷を活かすことができるのも山田さんの楽しみだ。

また、コロナ禍でイベントが少なくなり印刷物の受注が減った時期も、ハイタイドからの安定した注文に救われた。「毎日この手引き印刷機の前に立ってハイタイドのメモパッド用紙を刷っていました。体を動かして仕事ができる、それは何にも代えがたい喜びです」と山田さんは振り返る。

唯一困っているのは、「表のバス通りから山田さんの姿が見えなくなって寂しい」というご近所さんの声。ハイタイドの店舗と文林堂の作業場は白いカーテン布で仕切られているので、以前のように「元気にしとると? いちご持ってきたよ」という感じで気軽に入りにくいそうだ。 

「裏文林堂からどうぞ、と反対側の入口をご案内してますよ。僕がこれまで文林堂を続けてこられたのは、道ゆく近所の人と手を振り合えるこの場所があったおかげですから。これからも大切におつきあいしたいですね」

〈▲ 一仕事終えたあとのコーヒーは山田さんのほっとする時間〉

山田さんは、「人生も活版印刷も未練がないほどに十分やり切った」と言う。しかし、この業務提携がきっかけとなって見果てぬ夢ができてしまった。昔の人たちから引き継いだ技術を日本の将来に役立ててこそ、自分の天命を全うできるのではないかと。 

朝、山田さんは活版所にくると、新婚時代にミヨ子さんのすすめで旅したエルサレムを思いながらレコードをかけて大好きなコーヒーを淹れる。そして、壁に掛けた書を眺める。 

文林堂の看板を書いてくれた人が贈ってくれたものだ。この書に励まされて、山田さんは80代でもパソコンで最新ソフトウェアを使いこなし、前例のない無理難題にも「やってみましょう」と腕まくりができる。 

「今から」

山田さんに、昨日よりもあたらしい今日がまたやってくる。

撮影:正井彩香
メインカット:ハイタイド提供 

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