学級崩壊の原因は発達障害の息子!?度重なる呼び出し、学校も休みがちに…迷いの中で決めた育児法
監修:井上雅彦
鳥取大学 大学院 医学系研究科 臨床心理学講座 教授/LITALICO研究所 スペシャルアドバイザー
わが子を中心に学級崩壊?環境が変わり、席に座っていることが困難に……
小3になり、コチ丸は授業をおとなしく受けられなくなってきました。新しく担任になった先生は、授業の進め方がやや一方的だったこともあり、ただでさえ興味ないことには無関心なコチ丸は、授業への興味がすっかり薄れてしまったようです。落ち着きのない性格も相まって、じっと座っていることが苦痛になったのだと思います。
ある日、担任の先生から呼び出しを受けて学校へ行くと、「コチ丸くんを中心に学級崩壊が始まっている」と言われました。授業を座って受けていられないコチ丸は、授業中に教室内を歩いたり、担任の先生が授業をしている横で、教卓の上に腰掛けたりとやりたい放題で、ほかの子どもたちもつられて落ち着きがなくなってきているとのことでした。
学校には発達障害の診断が出たことは伝えていましたが、小さな学校で特別支援学級の設置はなく、通級指導教室などの仕組みもまだ整っておらず、担任の先生は「コチ丸くんにおとなしくしてもらうしか方法がない」の一点張りでした。このままではらちが明かない!と思った私は、県の教育委員会に直接電話して現状を伝えました。すると、翌日には市に話がいき、小学校に伝わったのか、すぐに校長先生と面談をすることになりました。
母子家庭の中で、コチ丸にとっても私にとっても大きかった祖父の存在
その後は頻繁に学校から連絡をもらうようになり、担任の先生と校長先生とコチ丸と私で話し合いをしました。「席を立ちたい時は先生に断ってから行く」「授業1時間のうち、〇分以上は席に座る」など、ルールを決めて授業を受けるという話し合いを行いましたが、毎回守れるのは数回だけ。下手したら一度も守られることはないまま、コチ丸は教室を出ていったり歩き回ったりしてまた呼び出しを受ける……そんな繰り返しでした。
学校が面白くなくなってきたコチ丸は休むことも増えていきました。実家には私の祖父が一日中家にいたので、コチ丸は祖父に面倒を見てもらっていました。祖父は昔ながらの考え方の人だったので、コチ丸が学校に行かないことを随分と心配していました。同時に、母子家庭で育ったコチ丸にとって同性の祖父の存在は大きく、祖父のことをとても慕っていました。
祖父はコチ丸が中学に入った年の夏に亡くなりましたが、最後までコチ丸が学校に通えないことを案じていたように思います。コチ丸は中3になる頃には欠席もなく学校に通えるようになり、さらに生徒会長も務め上げて中学を卒業したので、あと数年生きてくれていたら自信に溢れたコチ丸の姿を祖父に見せることができたのにと思うと、今も心残りです。
体育館で昼寝!図書館におこもり!マイペースな学校生活
小4になったコチ丸は、学校に行かない日もありましたが、学校に行ったら行ったで教室を抜け出し、体育館で眠っていたり、図書館に入って本を読み漁ったり……校内を縦横無尽に歩き回って自由気ままに生活していました。
この年に、学校内に特別支援学級ができましたが、コチ丸は友達の手前、特別支援学級に行くのは抵抗があったようで、所属することはありませんでした。ただフラフラと校内を歩いていると、たまに特別支援学級の先生に声をかけてもらい、ちょっとした手伝いをしたりしていたようです。
またこの時期、地元の放課後等デイサービスを土曜日だけ利用してみたこともありました。当時は今ほど放課後等デイサービスも多くなく、市の外れにある田舎の学校に送迎してくれる施設もありませんでした。平日フルタイムで働いている私としては、土曜日だけでもSSTなどを受けられるなら……と思って何度か通ってみましたが、この放課後等デイサービスでは期待していたような支援を受けることはできず、私もコチ丸もそこに通い続ける理由を見つけられなかったので辞めてしまいました。
何を尊重するのか?一か八かで決めた育児方法
当時のコチ丸は「やりたいことしかやりたくない」という、一方だけ見たらワガママなような、でも違う視点から見たら発達障害の特徴のような、判断がつけ難い特性を持っていました。宿題は一切やらなかったし、放っておくとゲームは隠れて何時間もやっていたりするし……。叱るところなのかもしれませんが、宿題をやらない、時間割に従わない、学校へ行かない、わが家は全てOKにしました。もちろん、後々のことを考えたら将来の不安もめちゃくちゃありました。しかし、無理をさせてコチ丸が心を壊してしまうほうがつらいという思いと、好きなことだけやっていったら自分の道を見つけられるかもしれないという願いもありました。
私がこのような考えに至った理由の一つが、コチ丸の記憶力の高さでした。コチ丸は小学校の図書館の本をほぼ全部読み漁るくらいの読書家で、歴史から生物・天体・化学まで、いろんなことに興味がありました。
例えばテレビを見ていて動物が映った時に、私には「鹿か何かの仲間かな?」くらいしか分からないような動物の名前を正しく言え、さらにはその動物の特徴まで全て、テレビの解説よりも先に話してしまうということが多々あり、「頭の中はどうなってるんだ?」と驚かされました。
まるで図鑑を読み上げるように一気に正確に話す様子をみると、親バカですが「この子は何か特別なことができるのでは?」と思ってしまい、思い込みの激しい私の性格が災い(?)して、好きなことだけとことんやらせてみよう!と無謀にも思ったのでした(笑)。
その後、コチ丸は地元を離れ私立中学へ進む道を決め、中学卒業後は馬の勉強をするため北海道の高校を選び、今はいきいきと学校生活を送っています。
中学生になっても「〇〇は……」の「は」と「わ」も区別がつかない、九九もまともに言えないコチ丸に、やはり多少なりとも勉強はさせたほうが良かったのか?と中学を卒業するまではハラハラしていましたが、高校生になった今、自ら勉強をするようになり、成績も上位に入っています。今になって、自分が望む進路には勉強が必要だと悟ったようです。中学受験や趣味のドラムを続ける過程で「自分の好きなことをやるためには、これだけはやらなくてはいけないということが時にはある」と、自然と気づいていったのだと思います。
まだ道は半ばですが、今のところありがたいことに、母が伝えたかったことを自ら学んでくれているのかなと実感しています。
執筆/あき
(監修:井上先生より)
シングルで子育てをされている中で、お子さんが「学校に行きたくない」と言われた時の混乱とショックは大きかったのではないでしょうか。その中で、おじいさんの存在は、お母さまにとってもコチ丸くんにとっても大きかったことと思います。学校の中で障害特性に配慮してもらうことが困難な場合、在宅という選択肢を選ばざるを得ないこともあると思います。子どもが不安定な時期は短期的な視点に陥りがちですが、少し離れた目線から長期的な視野で見守っていくことも大事になります。そういった意味でも、おじいさんのような方が側にいてくださったことは、大きな安心になったのではないでしょうか。同じような状況で悩まれている親御さんもいらっしゃるかと思いますが、一人で悩まずに、勇気を出して相談できる方をつくっていかれると良いかと思います。
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。