「あんた今、水泳楽しい?」 メダリストを救った母の言葉
個性豊かな様々なゲストをお迎えして、幼少期のターニングポイントや、やる気スイッチの入った瞬間を深掘りしていきます。メインパーソナリティの佐藤隆太さんと佐々木舞音アナウンサーの2人でお送りします。
6月24日(月)の放送では、北京オリンピック競泳の銅メダリスト宮下純一さんがゲストに登場!水泳を始めたきっかけや、メダル獲得の裏側にまつわる話などを聞いてみました!
佐藤:ようこそお越しくださいました!
佐々木:よろしくお願いします! 今日は素敵な夏らしい服装ですね!
宮下:ありがとうございます。すいませんもう…6月で短パンで。ハンカチも2つ無いと間に合わないくらいです!
「風呂にも入れなかった子が…」水嫌いな少年が、20年後にはオリンピックの舞台に!
佐々木:最初に宮下さんは水泳を5歳から始めたっていうふうに伺ったんですけど、ご家族とかが水泳をやられてたんですか。
宮下:いや、もう家族はどちらも両親もしてなくて。僕はお風呂に入れない子で、もうシャンプーハットしないと髪も洗えない子だったんです。幼稚園の水遊びの時期になったときに、水着にもなれなかったらしくて、幼稚園の先生が「小学校になったら大変なことになる」って両親に相談して、親が水泳教室に入れたっていう。
佐藤:すごい!そんな少年がオリンピックでメダルを取るという、いやもう本当に映画になりそうな話ですね!
宮下:苦手なことを20年続けたらメダルに届いた。(笑)本当にメダルを取ってきて母親の首にかけた第一声がもう今でも忘れられないんですが、「頑張ったね」とか「おめでとう」じゃなくて「あんたはお風呂に入れなかったんだよ」というのがもう残ってますね。
佐藤:9歳のときにコーチの方がすすめてくださって、背泳ぎを始められるんですよね。僕、本格的なことやったことないからわからないんですけど、やっぱりコーチの方がその適性みたいなのを決めるんですか?
宮下:そうですね。「君、こっちやった方がいいんじゃないか」っていうアドバイスとかあるんですけど、僕の中では自由形が花形と思ってたんで、絶対自由形をやりたいって思ってたんです。だけどクロールで成績があんまり出なくて、市内で9番とか10番くらいだったんですけど、コーチが「今9番目だろ?クロールはひっくり返ったら背泳ぎになる。そしたら順位も9がひっくり返って6になって、今より成績出るんじゃないか」って言ってくれて。(笑)
佐藤:またちょっと、ユーモアがありますね!(笑)
宮下:なんか意地っ張りな僕にちょっとなんかユーモアのあるテイストで言ってくれたんで、そこまで言うなら1回出てみようと思って、表彰台に乗るギリギリの4位とか5位とかまで成績上がったんですよ。練習頑張ってる方が入賞できないのに練習してない背泳ぎの方が入賞できるんだったらそっちの方がいいかなって思って、そこからもうずっと背泳ぎですね。
佐々木:コーチってやっぱりすごいですね!
宮下:やっぱりそういうアプローチをしてくれたのは大きかったと思いますね。絶対に背泳ぎのほうがいいから!って言われたら僕は頑なにやらなかったと思うんで、そういった僕の特性をすごく見てくれるコーチでした。
「あんたも楽しみなさいよ」相次ぐ苦難を救った母との電話にスタジオが涙
佐々木:すごく順風満帆な水泳人生なのかなっていうイメージもあるんですけど実際はどうでしたか。
宮下:アテネオリンピックの選考会で、本当にあと一歩だったんですけど、なんかそのときは悔しくなくて。というのも「行けるだろうな」くらいの気持ちで臨んでるから、それはやっぱり無理だよなって気づいて、覚悟を持ってやるようになったんです。
佐々木:そこからの4年はどうやって練習を積んだんですか?
宮下:社会人になってから記録が止まっちゃって、ベストが出なくなる時期になって。そしたら入江陵介くんが台頭するんです。「こんな綺麗な泳ぎする高校生がいるんだ」って驚きましたよ。(笑)2008年の1月に、100mの記録で僕と彼が並んだんですよ。伸びてない僕と、伸び盛りの彼が。
佐藤:そこで、どういった気持ちでモチベーションを維持されて、メダルをつかみ取るんですか?
宮下:ケツを叩いてもらうつもりで、珍しく自分から鹿児島の母親に電話したんですよ。「大丈夫か?」とか向こうから連絡来たこともあったんですけど「調子いいから」「安心して」ってずっと噓ついてて。「あとちょっと頑張んなさい」って言って欲しくて電話したんですけど、そしたら母がぽろっと「あんた今楽しい?」「小学生の時、スイミングバッグ持って楽しそうに行ってた頃みたいな、そういう気持ちでやれてる?」って言って。その瞬間に、なんか全部見透かされたみたいな感じで、もう本当にダム決壊みたいにバーって涙が出てきて。最後に母親が「あと3~4ヶ月、水泳ができるんだよ。あんたも楽しみなさいよ」って言ってくれてスッてその瞬間に何か考え方が変わって、「あと3~4ヶ月でできるんだ」っていう方向にマインドがちょっと変わったんです。
佐藤:なるほど、そこからすごく吹っ切れたというか?
宮下:たぶん、自分から電話してなかったらここまで響かなかったと思うんですね。なんかスイッチ入れて欲しいって思ったときに、違うスイッチを入れられた。(笑)
佐藤:もう本当に全部わかってらっしゃったんでしょうね。本当に経験も年齢も重ねて、見えてくる景色も変わってくる中で、やっぱり一番最初の決して忘れちゃいけないな“なにか”っていうか、自分の原動力みたいのを改めてそこで気付かされてさせてくれたと思いますね。
宮下:ほんとに母ちゃんは母ちゃんだなって思いますね。
佐々木:ちょっとジーンときて泣いてるスタッフもいますよ!本当に素敵なお話を聞かせていただいてありがとうございました。
北京五輪のメダル獲得に隠された、母親との感動エピソードにスタッフも号泣!他にもオリンピックを控えた競泳選手たちの練習の様子など、宮下さんならではの貴重なお話をたくさん伺いました。