【滝尾百穴横穴古墳群】大分市立滝尾中学校のグラウンドにそびえる横穴墓
現在日本には、本州から九州にかけておよそ16万基の土を高く盛った古代の墓・古墳があるとされています。
今回は、古墳時代後半から奈良時代頃までに造られた"横穴古墳"の中で大分市内一の規模を誇る『滝尾百穴(ひゃっけつ)横穴古墳群』をご紹介します。
場所
『滝尾百穴横穴古墳群』は、大分市羽田にある市立中学校・滝尾中学校のグラウンドに面した崖にあります。
学校の敷地内になるので、大分市立滝尾中学校に許可を得て取材を行ないました。
滝尾中学校入り口の道路側からもフェンス越しに望むことができますので、近くを通りがかった際は足を止めてみてください。
横穴古墳とは?
横穴古墳は「横穴墓(よこあなぼ)」と呼ばれ、台地や丘陵の斜面に洞窟を掘りその中に人間を埋葬した墓のことを指します。
日本で最初の横穴墓は福岡県から大分県にかけて造られたものだと考えられており、古墳の被葬者が下位階層まで広まり古墳が小型化・群集化する6世紀から7世紀に各地で盛んに築造されたといわれています。
『滝尾百穴横穴古墳群』について
市指定遺跡で「滝尾百穴」と呼ばれるこの横穴古墳群は、総計84基を数える群集墳です。
昭和49年1月9日に崖面の横幅120m、面積694㎡を史跡指定地にして保存をはかっています。
横穴の規模は大小様々ですが、大きいものは高さ約1.8m、床面の幅が約2mもあります。
元々は、凝灰岩質の崖面に横穴を掘り込んでその中に遺体を安置し、入り口を石などの蓋で閉じていたようですが、時代の流れの中で物置や防空壕など別の目的で利用されたため、中の遺物は失われたとされています。
また、当時の人たちによって横穴の形が作り替えられたものもあるんだとか。
市が設置した看板によると、『滝尾百穴横穴古墳群』は、当時の庶民の家族墓と考えられており、一基に数体が埋葬されることも珍しくなかったのだそうです。
1500年にも及ぶ時の流れとともに風化してしまったそうですが、横穴の中には横穴と横穴を繋ぐ墓道があったのだといいます。
『滝尾百穴横穴古墳群』の横には何やらトンネルのようなものが。
ここが入り口となり、繋がった墓道を通って上部の横穴墓にも遺体を埋葬していたのでしょうか。
トンネルのようなものは、『滝尾百穴横穴古墳群』横に2つ確認できました。
こちらのトンネルのような場所は、第二次世界大戦の最中に防空壕として使用され、家を焼け出された近隣住民人が雨風を凌いで暮らしていたという歴史もあるそうです。
1500年という長い間、この地区に暮らす人々の生活の中に溶け込んできた『滝尾百穴横穴古墳群』。
今は滝尾中学校の生徒たちを、その荘厳な姿で見守っています。
滝尾中学校に通う子どもたちやご家族の方々、また学校を訪れる用事のある方は、今一度グラウンドから地域を見守る『滝尾百穴横穴古墳群』の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。