愛すべきスラヴの座敷童、ドモヴォイ――【連載】奈倉有里「猫が導く妖しい世界」#2
この連載では、スラヴの昔話からやって来た物知り猫“バユーン”が、ロシア文学研究者・奈倉有里さんとともに皆さんを民間伝承の世界へとご案内します。
今回はどんな不思議に出会えるでしょうか?
※2025年度『まいにちロシア語』テキスト5月号より抜粋
(スラヴ:ロシアやウクライナ、ポーランド、ブルガリアなど、ヨーロッパ東部から北アジアに広く分布する、スラヴ系諸語を話す人々の暮らす文化圏)
第二回 ドモヴォイと暮らす
ひっこし先の古民家
おや。猫のバユーンがとてとてと私の前を歩いて、ずいぶんと古い家に入っていったぞ。ここは、どこだろう?
玄関の戸をあけるとそこには昔ながらの土間があり、農具や防寒具を置いておくための場所がある。足を踏み入れるとすぐに、木の匂いがする。板張りの廊下を歩くとぎしぎしと音がして、家全体に振動が伝わる。壁も天井も木材で作られた、自然の息づかいがする家だ。造りこそ地域によって違うものの、かつてはロシアにもウクライナにも日本にも、世界のほかの田舎にも、こういう天然素材だけでできた古い民家はたくさんあった。煙にすすけた木の匂いは、どこで嗅いでも不思議なほど懐かしい。
でもいまはこの家のなかはがらんとしていて、ひとけがない。実は、ここに住んでいた住人は少し前に出ていって、もうすぐ私が住むことになっている。そろそろ築100年になろうかという新潟の古民家だ。
バユーンに先導してもらったのには理由がある。スラヴの一部地域では新しい家にひっこしたとき、家財道具を運び込む前にまずは猫を入れて屋内の見回りをしてもらう習慣がある。というのも、猫はその家にどんな人や精霊が住んでいたのか、悪い気配はしないかを、敏感に察知できると思われていたからだ。とりわけ勘の鋭い黒猫がその役目に向いているといわれる。バユーンはここぞとばかりに「よっしゃ、ひとっぱしり見てくる」とはりきってぴんと耳をたて、まずは1 階の土間と客間と台所、それから2 階の書斎と寝室になる予定の部屋をくまなく歩き回った末に、玄関まで戻ってきて私の足元に擦りよった。うん、いい感じみたい。雪の降る日に初めて内見にきたときから、私も思ってたんだ。この家にはきっといい妖怪が居ついてくれそうだって。
民家に棲む妖怪や精霊はたくさんいるけれど、なかでも最も広く知られ親しまれているのはドモヴォイ(Домовой)といって、読んで字のごとく家(дом)の精、日本でいうところの座敷童にあたる。いたずら好きなところもあるものの、基本的には善良な家の守り神で、ドモヴォイが住んでいる家にはいいことが起きるといわれている。
呼んでみよう
猫に見回ってもらったら、いよいよドモヴォイを招き入れよう。ドモヴォイは家に居つくものだけれど、ひっこしをする場合は前の家から新しい家についてきてもらうのがいちばんだ。そのためには、まずひっこし前の準備の段階で、なるべくぼろぼろに履き古した靴かブーツか室内ばきを用意する。そしてその片方を居間の暖炉の前など家全体の様子がわかる場所に置いて、荷づくりをする。そうするとドモヴォイは「おや、ひっこしをするんだな」と気づいて、見慣れた履き古しの靴に宿ってくれる。ひっこし先についたら持ってきた靴を同じように居間などに置いて、その状態のまま荷ほどきをする。ドモヴォイはぼろ靴のなかで、「ごくろうさんだねえ」と目を細めて、ダンボールの山から台所用品や本をひっぱりだす私を眺めるだろう。
ドモヴォイはお菓子や乳製品が好きなので、小皿に牛乳を入れてチョコレートを添えて、お供えとして置いておくのもいい。ただしかなり小柄なので、あまり高いところに置くと届かなくて困らせてしまう。ドモヴォイは一般的にちいさめのぬいぐるみくらいの大きさで、おじいさんの姿で描かれる。家で飼われている動物、なかでも猫と仲が良く、よく一緒に暖かい部屋の隅に座っている。そうそう、猫がまるでなにかと戯れるみたいに突然なにもないところにじゃれついて、ひとりで遊んでいるように見えることがあるでしょう。あれはドモヴォイと遊んでいるんだって。
ドモヴォイの服装や顔つきはいろいろだけれど、だいたい農民風の質素な身なりで、その家の住人にどことなく似ている。一説によるとドモヴォイはその家の祖先だともいうから、おじいちゃんのおばあちゃんのそのまたおじいちゃん、とかなのかもしれない。
ドモヴォイはごろごろするのが好きで、ふだんはあまりなにもしない。ときどき、食器をカチャカチャいわせたり、スプーンを隠したり、包みをあけたままほうっておいたお菓子を盗み食いしたりと、気づくか気づかないかぎりぎりのいたずらをしては、人の様子をうかがっている。でもなにか危険が近づくと、大きめの音をたてて知らせてくれる。それから、幼い子供のうちはドモヴォイが見えるので、忙しくて子守りの手が足りないときには「この子と遊んで」と呼びかけると助けにきてくれるという。だから猫と同じで、子供が誰もいないはずのところを見つめて誰かとお話ししたり笑ったりしていても、邪魔しちゃいけない。ドモヴォイは歌ったり踊ったり、楽しい遊びを教えてくれる天才なんだから。
ここでもよろしくね
そんなふうに猫やちいさな子供がいる場合はわかりやすいけれど、そうじゃない場合にドモヴォイがいるかどうか知るには、どうしたらいいのだろう。
実は、ドモヴォイのいちばんのいいところは、理屈抜きの安心感を与えてくれることだといわれている。だからもし、「この家では部屋を真っ暗にして眠るときも少しも怖くないし、ぐっすり眠れる」と感じるなら、その家にはドモヴォイが棲んでいる可能性が高い。
ちなみにバユーンから聞いたところによると、ドモヴォイが好きそうなものを家にとりそろえておくと、くつろいで長く居ついてくれるらしい。どれ、うちの場合はどうだろう。まずは本。ドモヴォイは読書家なのだ。なにはなくともこれだけはたくさんある。なんたって、この家に最初に運び込んだのは、段ボールに十数箱ぶんのロシア語の古書である。本の山の上でとびはねるドモヴォイが目に浮かぶ。それから楽器。いまはまだないけれど、こんどギターを持ってこようと思っている。あとは、乳製品と甘いお菓子か。さて困った。私は好き嫌いはないけれど甘いものだけは苦手なので、うちにはお菓子がない。お客さん用のお菓子くらいは用意しておこうかな。そういえば先日友人がきてくれたときも、出すものがなくて困ったんだった。
あ、そうか。ひょっとして「ドモヴォイがいる」という前提で生活をすることによって、人は家のなかが、自分にとってもその家を訪れる人にとっても心地よくなるように自然に気を配れるということなのかもしれない。「心地いい家にはドモヴォイがいて、いいことをしてくれる」っていうのは、「そうなるように心地よくする」ってことと裏表の関係なわけだ。いま私が、自分は食べないけど誰かのために甘いものを用意しておこうかな、って気づいたみたいに。言い伝えってうまくできてるなあ。そう考えると、たとえば「ドモヴォイはきれい好きなので掃除はしたほうがいいけど、あまり掃除ばかりしていると嫌がる」っていう話も、よくわかる気がする。掃除に神経をすり減らしたら元も子もないもの。
2 階の寝室にあがり、ふとんに入って灯りを消す。築100年の家は風が吹いただけでもガタガタとたいへんな音が鳴るが、今日は風がない。けれども耳を澄ますと台所のあたりで、トン、トトトントン、とちいさな音がしている。子守唄のような小気味いい音だ。ぶじにドモヴォイがやってきたのかもしれない。
奈倉 有里
1982年生。ロシア文学研究者。著書に『夕暮れに夜明けの歌を』『アレクサンドル・ブローク詩学と生涯』『ことばの白地図を歩く』『ロシア文学の教室』『文化の脱走兵』、訳書にミハイル・シーシキン『手紙』、サーシャ・フィリペンコ『赤い十字』など。
イラスト 山田 緑