地域の人達が集まるコミュニケーションスペース「潟東しあわせ食堂」。
潟東エリアを中心に沖縄おやつのキッチンカーをやっている「沖縄のおやつ わ〜らや〜」の内藤さんを取材してから、もう4年が経とうとしています。その取材のときに「地元の人が集まれるような場所をつくりたい」と話していた内藤さんが、「潟東しあわせ食堂」という子ども食堂をはじめたということだったので、2回目の開催日にお邪魔してきました。
潟東しあわせ食堂
内藤 美栄子 Mieko Naito
1969年沖縄県生まれ。高校卒業と同時に家族で横浜に移り住み、東京の専門学校でダンスを勉強。卒業後すぐに結婚して2003年に新潟へ移住、2020年からキッチンカーを使った移動販売「沖縄おやつ わ〜らや〜」、2024年からは同志と共に「潟東しあわせ食堂」をはじめる。趣味はよさこいで、地元チームに所属して踊っている。
オープン初日、救急車で病院に運ばれる。
——ごぶさたしております。キッチンカー「わ〜らや〜」の取材ではお世話になりました。前回の取材では「地域の人が集まれる場所をつくりたい」っておっしゃってましたけど、「潟東しあわせ食堂」はその第一歩といったところでしょうか?
内藤さん:そうなのよ。地域のために何かやりたいという気持ちを抱えたまま、どうしたらいいのかもわからなくて5年間くらいずっと足踏みしていたの。そんなときに、息子の同級生の奥さんである滝沢さんが立ち上げた「廃校活用プロジェクト」を手伝うことになったの。
——「廃校活用プロジェクト」って、どんな活動をするんですか?
内藤さん:廃校になった潟東南小学校の校舎を使って、地元の役に立つような施設をつくる取り組みなのよ。今は震災にあって修繕をしている坂井輪中学校の臨時倉庫になっていて使うことができないので、その間にいろいろな働きかけをしていこうと思っているの。学校まわりの草刈りや伐採をして遊歩道として整備したりとかさ。
——この「潟東しあわせ食堂」もその一環なんですね。
内藤さん:滝沢さんと自治会長のハイノさん、私の3人が中心になって立ち上げたの。こども食堂をやりたいと盛り上がっているうちに、トントン拍子で話が進んだんだよね(笑)。この建物はもともと潟東南小学校のひまわり学級だったんだけど、閉校後は集落の集会場として使われていたのよ。
——ちょうどいい場所があったんですね。オープンはいつでしたっけ?
内藤さん:昨年12月にオープンしたんだけど、私がインフルエンザにかかっちゃって、おまけにオープン日はひどい腹痛に襲われたの。オープンしている「潟東しあわせ食堂」を横目で見ながら、救急車で病院に運ばれたんだよね(笑)。だから開催2回目の今回が初参加なのよ。
地域の人たちの協力で運営できている食堂。
——「潟東しあわせ食堂」は、どんなペースで開催しているんでしょうか?
内藤さん:いろんな事情で月1回しか開催できないのよ。本当はもっと開催したいんだけどね。あと無料にしたいところだけど、それではやっていけないから、子どもは100円、大人は300円いただいてるの。でも、バイキングだから食べたいものを食べたいだけ食べることができるのよ。
——スタッフさんがたくさんいますね。
内藤さん:皆さんボランティアで手伝ってくださっているの。うちらは人に指示を出すことに慣れていないんだけど、率先してテキパキ動いてくれる人ばっかりだから助かってるのよ(笑)
——それは心強いですね。今日のメニューを見ると、にんじんを使った料理が多いような気がしますね。
内藤さん:食材も地元の農家さんのご厚意で分けていただいているので、そのときの食材によってメニューも変わるの。今回はにんじんの他に大根もいっぱいあったから、豚汁が具沢山になっちゃったのよ(笑)
——旬の食材を使った料理が食べられるってことですね。
内藤さん:出荷できなくて捨てるだけのハネモノ野菜も提供してもらっているので、フードロスの解決にも役立てればいいなと思ってるね。
——地域のいろんな問題が解決できるかもしれないですね。
内藤さん:「子ども食堂」ではあるんだけど、子どもに限らず、お年寄りをはじめいろいろな人が集まれる「地域食堂」としてやっていきたいんだよね。この地域から「個食」が無くなってくれたらいいなと思ってるのよ。家庭的な雰囲気を大切にやっていきたいから、来てくれた方には「いらっしゃい」じゃなくて「おかえり」って声を掛けることにしてるの。
——素晴らしい取り組みだと思います。まだスタートしたばかりですけど、この先やってみたいことってあるんでしょうか?
内藤さん:宿題のお手伝いといった子ども達の学習支援もできたらいいなと思うし、子どもと一緒に料理をつくった料理を食べる食育体験もやってみたいかな。
潟東しあわせ食堂
新潟市西蒲区美里424-9
11:00-14:00
第3土曜のみ開催