『ばけばけ』イライザ・ベルズランドのモデル?世界一周に挑んだ記者エリザベス・ビスランド
イライザ・ベルズランド
アメリカで活躍する女性記者でヘブンの同僚。聡明で、世界を飛び回る行動力を兼ね備えた“パーフェクトウーマン”。ヘブンに日本行きを勧める。
※NHK「ばけばけ」公式サイトより。
シャーロット・ ケイト・ フォックス演じるイライザ・ベルズランド。
彼女は架空の人物ですが、そのモデルは実在したアメリカ人記者エリザベス・ビスランドと言われています。
今回は、エリザベス・ビスランド・ウェットモア (Elizabeth Bisland Wetmore)について、その生涯をたどってみましょう。
※名前が長いため、以下「エリザベス」で統一します。
文学少女から編集者に
エリザベスは1861年2月11日 、ルイジアナ州セントメアリー教区のフェアファックス・プランテーションで生まれました。
時は南北戦争の最中で、疎開先より戻ってきてからの暮らしは困窮を極めたと言います。
エリザベスは文学に興味と才能があったようで、10代から「ニューオーリンズ・タイムズ・デモクラット(後のタイムズ=ピカユーン)」に、B・L・R・デーンのペンネームで詩を投稿するようになりました。
やがて文筆活動で評判を得たエリザベスは、ニューオーリンズ・タイムズ・デモクラット社に就職。
ここでラフカディオ・ハーン(後の小泉八雲)と出会い、交流します。
1887年ごろニューヨークへ移り、『ザ・サン(The Sun)』で記者として働き始めました。
その後、『コスモポリタン(Cosmopolitan)』や『ニューヨーク・ワールド(New York World)』など、いくつかの雑誌に寄稿するようになります。
そんなエリザベスに、大きな転機が訪れます。
いきなり世界一周競争へ
当時、アメリカの新聞界では、ジュール・ヴェルヌの小説『八十日間世界一周』を現実に再現しようという壮大な企画が話題を呼んでいました。
1889年11月、ニューヨーク・ワールド紙は、主人公フィリアス・フォッグの80日間の旅を超える挑戦として、記者のネリー・ブライを世界一周旅行に送り出すことを発表します。
その知らせを聞いたのが、当時『コスモポリタン』誌を率いていた編集長ジョン・ブリスベン・ウォーカーでした。
創刊からまだ3年しか経っていない雑誌の存在を世に知らしめようと、ウォーカーはネリーに対抗して、エリザベスを急きょ呼び出します。
そして呼び出されてからわずか6時間後、エリザベスはニューヨークから西回りで出発しました。
現代の常識からすれば、とんでもないパワハラとしか言いようがありませんが、とにかくエリザベスは同意したのです。
同じ日、ネリーは東回りの航路で蒸気船に乗り込み、世界一周へと旅立ちます。
こうして、二人の女性記者が正反対の方向から地球を巡るという、前代未聞の「世界一周レース」が始まりました。
ネリーは大手新聞社の強力な宣伝支援を受け、連日センセーショナルに報じられましたが、一方のエリザベスは上品な月刊誌『コスモポリタン』の記者であったため、報道はごく限られていました。
旅の途中、香港に到着したネリーは、船会社の職員から「エリザベスが3日前に通過した」と聞かされ、初めてライバルの存在を知ったといいます。
しかしその後イギリスで、エリザベスが乗船予定だった高速汽船「エムス号」に乗り遅れるという不運がありました。
船会社の出航が意図的に遅らされたという説もあり、彼女が欺かれたのかは今も不明です。
やむなくエリザベスは速度の遅い「ボスニア号」に乗り換え、イギリスを発ちました。
一方のネリーは、アメリカ大陸横断の際に特別列車を用意され、1890年1月25日午後3時51分、ニュージャージー州に到着しました。
世界一周レースの結果はネリーが勝利。
その記録は72日と6時間11分、ヴェルヌの描いた80日を大きく上回る快挙でした。
エリザベスもその4日後、76日半で旅を終え、見事に世界一周を成し遂げています。
この経験をもとに、エリザベスは『コスモポリタン』誌に旅行記を連載し、1891年に単行本『In Seven Stages: A Flying Trip Around the World(七つの海で〜世界一周旅行記)』を出版しました。
彼女はその旅の途中、日本に2日間滞在したとされ、芝の東照宮を訪れて「我もアルカディアにありき」と記しています。
アルカディアとは古代ギリシャの理想郷を指す言葉であり、日本の美しさを讃えた一節として知られています。
結婚と晩年
かくして世界一周から戻ったエリザベスは、その後も精力的に文筆活動を続けます。
その文章は勝負を制したネリーとは対象的なスタイルで、どちらかと言えばノリと勢いありきのネリーに対して、エリザベスの文章は品格あるものでした。
取り上げるテーマも真面目なものが多く、本来彼女はそうした性格だったのでしょう。
そんなエリザベスは、1891年に結婚します。
相手は法律家のチャールズ・ホイットマン・ウェットモア。堅物?同士の夫婦関係がどのようなものだったのか、気になるところです。
ちなみにエリザベスは、結婚しても旧姓での文筆活動を続けています。
やがてラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が亡くなると、親交のあったエリザベスは、1906年に公式伝記『ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡(The Life and Letters of Lafcadio Hearn)』を出版。
この著書は高く評価され、その収益は小泉家に贈呈されたと伝えられています。
エリザベスはハーン没後も3度来日し、島根県松江市のハーン邸を訪れています。
そして1929年1月6日、エリザベスは肺炎で世を去りました。享年67。
墓所はニューヨーク市ブロンクス区のウッドローン墓地(Woodlawn Cemetery)にあります。
偶然にも、ライバルだった記者のネリーも同じ墓地に眠っています。
終わりに
エリザベスが世を去った翌1930年、彼女にとって最後の著書となる『東方の三博士(Three Wise Men of the East)』が追悼記念で出版されました。
東方の三博士とは、イエス=キリストの誕生を祝うためにやって来た学者たちのこと。
真面目で誠実な彼女らしいタイトルと言えるでしょう。
<シャーロット・ケイト・フォックスさん コメント>
『マッサン』『べっぴんさん』に続き、また朝ドラに出演できて大変うれしいです。久しぶりにBK(NHK大阪)に来ましたが、エレベーターに乗るだけでも懐かしく、いろいろな思い出がよみがえってきました。
今回演じるイライザは、自立した、強くて知的な女性です。きっとチャレンジをすること、冒険することが好きな人なのだと思います。これまであまり演じることがなかった役なので、このようなチャンスをいただき、とてもわくわくしています。
トミー・バストウさんが演じるレフカダ・ヘブンとの関係性も、とてもすてきです。この二人が、今後どうなっていくかも楽しみにしていてください。
毎朝、みなさんが笑顔になれるよう、精いっぱい演じていきたいと思います。
※NHK「ばけばけ」公式サイトより。
エリザベス改め、イライザとレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)との素敵な関係がどのようになっていくのか、楽しみですね!
参考:
『ハーンを慕った二人のアメリカ人 ボナー・フェラーズとエリザベス・ビスランド』小泉八雲記念館、2020年
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部