「2人目がほしい!」きっかけは優しかった義母の死…。不妊治療に40歳過ぎてからの挑戦【体験談】
2人姉妹の子育てに奮闘中のママライター“七海ラテ”です。
結婚後、まさかの男性不妊が判明した夫は、長女が生まれるまでの不妊治療に懲りて、「子どもは1人で十分」というスタンスでした。私も36歳で待望の長女を出産してから早5年、気づけば四十路を過ぎていました。
諦めたはずの2人目にチャレンジすることになった裏には、私の気持ちを揺るがす、さまざまな経緯がありました。
男性不妊発覚からの長女出産。2人目は贅沢?
なかなか子宝に恵まれなかった私たち夫婦。原因は夫の男性不妊でした。検査を受けた屈辱感とその結果に落ち込む夫に、「不妊治療を始めよう」とは言えずに過ぎていく日々。しかし、私が35歳を迎えたのを機に、通院したいと告白。数少ない精子での顕微授精して、長女を妊娠できました。
長女の出産後、2人目を希望しましたが、冷凍していた受精卵は着床まで至らず、夢はそこで消えてしまいました。
「1人授かっただけでも幸せ」と、自分に言い聞かせて過ごしていたとき、同い年のママ友が流産したことを聞きました。そしてちょうどその頃、夫の母が64歳の若さで亡くなったのです。その喪失感もあって「もう1人ほしい、まだ私にも可能性があるのでは?」という思いがふつふつと湧いてきました。
後悔したくない! 義母の死から再燃した不妊治療
義母は、赤ちゃんを催促するような言動は一切しない、優しい人でした。義母が亡くなる想定外の事態に、葬儀から仏壇や墓地など、義弟がすべてを仕切り始めました。義母との別れを惜しむ間もなく、せわしない状況と孤独感に、気は滅入るばかり。
「私の味方が必要だ」という思いがふと浮かびました。それは、私にとって子どもがもう1人ほしいということでした。そのためには、また不妊治療を始めなくてはなりません。年齢的にも最後のチャンス。「ここでチャレンジしないと死ぬ前に絶対後悔する」とさえ思いました。
何よりも大きな問題は、夫に私の気持ちを伝えることでした。何日も悩んだ末に、結婚10周年を迎えた夜、長女を挟んで川の字に寝たところで、私はついに夫に切り出しました。
「2人目がほしい」。突然の告白に夫の反応は?
「2人目がほしい…。不妊治療、もう1回したいなぁ…」。それに対し、夫はしばし無言でした。そして「俺、子どもが成人式には還暦だよ。育てるのは大変じゃない?」と言い、寝てしまいました。
諦めきれない私は数日後から、「お義母さんだって心残りなはず。きっと応援してくれる」と義母まで引き合いに出して夫を説得し続けました。言い出したら聞かない性格の私に、とうとう夫も折れてくれました。
長女の出産後に引っ越しをしたため、新たなクリニックでの挑戦が始まりました。院長は前回担当してもらった先生と懇意だったそうで、「全力を尽くします」と応えてくれました。「きっと赤ちゃんがやって来る」と胸が熱くなったのを今でも覚えています。
ラストチャンスの不妊治療。とにかく前向きに!
少量ながらも精子が確認できたので、方法は前回同様、顕微授精に決定。高齢であることと周期の都合もあり、あれよあれよという間に治療が始まりました。予算的にもチャンスは1回。開き直って明るく治療に臨むように心がけました。
しかし、クリニックで笑顔を見せているのは私だけ。何年も通院している人も多いからか、待合室はなんとも言えない殺伐とした雰囲気でした。私も、『努力ではどうにもならない』という虚しさを初めて味わったのが、不妊治療でした。不妊治療が、通院する誰もが温かい雰囲気で前向きにトライできるものであってほしいと、今でも思います。
通院の結果、移植できる状態に到達した唯一の受精卵が、着床してくれました。その後、次女が無事に生まれました。長女の出産後は、意味がない気がしてほぼセックスレスだった夫との関係も、2度目の不妊治療を乗り越えたことで変わりました。
2人目の育児は、肩の力が抜けて楽しいものに感じています。長女も「お姉ちゃんと呼んで」としっかりとしてきました。私は諦めずに、不妊治療にチャレンジして良かったと思っています。
[七海ラテ*プロフィール]
不妊治療を経験したことで少し謙虚になれた気がしている40代後半。日々の忙しさにかまけて、赤ちゃんを望んでいた頃の気持ちを忘れそうになるときもありますが、娘たちの寝顔を見ると最高に幸せな気分になります。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。
イラスト:中野サトミ