【光る君へ】 一条天皇の女御・藤原元子が父に勘当された理由は?
顕光の娘 藤原 元子(ふじわらのもとこ)
安田 聖愛(やすだ・せいあ)
藤原顕光の長女。一条天皇の女御。※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
長徳2年(996年)に一条天皇へ入内し、女御となった藤原元子(げんし/もとこ)。
彼女は藤原顕光の娘として内裏へ送り込まれ、藤原義子(ぎし/よしこ。藤原公季女)と、一条天皇の寵愛を争います。
一時は懐妊の兆しを見せ、ライバルの義子に差をつけたように思われましたが、蓋を開けてみれば単なる創造妊娠というオチでした。
そしてついに、元子と義子のどちらも皇子を生むことなく終わってしまいます。
NHK大河ドラマ「光る君へ」でもモブキャラのような扱いですが、その後、どんな生涯をたどるのでしょうか。
というわけで、今回は藤原元子の生涯をたどってみたいと思います。
一条天皇との結婚生活
藤原元子は生年不詳、藤原顕光と盛子内親王(せいし/もりこ。村上天皇皇女)の間に誕生しました。
実の兄弟姉妹は、兄の藤原重家と妹の藤原延子(えんし/のぶこ)がいます。
藤原重家……容姿にすぐれ「光少将(ひかるのしょうしょう)」と呼ばれたが、才能の限界を悟って突如出家。以降は消息不明。
藤原延子……敦明親王(小一条院。三条天皇皇子)と結婚するも、後に藤原道長のせいで疎まれてしまい、傷心のあまり世を去る。
実兄の藤原重家が、貞元2年(977年)生、実妹の藤原延子が寛和元年(985年)ごろの生まれと言われています。
そのため元子は、天元元年(978年)から永観2年(984年)までの間に生まれたと考えられるでしょう。
※今回は、一条天皇と同じ天元3年(980年)生まれという前提で話を進めます。
元子は17歳となった長徳2年(996年)11月14日に一条天皇へ入内。ライバルとなる義子は一足先の同年7月20日に入内していました。
当時の一条天皇は、最愛の藤原定子(ていし/さだこ)が出家してしまって傷心状態。その寵愛を競い合うことになります。
長徳2年(996年)12月2日に女御宣下を受けたため、住まいである承香殿(じょうこうでん)から承香殿女御と呼ばれました。
長徳3年(997年)10月に元子は懐妊の兆候が見られたため、意気揚々と実家の堀河院へ里下りします。
これを羨ましげに見ていたのが義子(弘徽殿女御)の女房たち。簾(すだれ)の陰から見ていたのですが、身を乗り出すあまり、簾がこんもり膨れ上がったとか。
そのさまを見た元子の女童が「簾のみ孕みたるか」と嘲笑しました。義子は懐妊しないで簾だけ膨らんでいることをバカにしたのでした。
義子の女房らはさぞ悔しがったことでしょうが、元子は想像妊娠だったようで、長徳4年(998年)6月、胎内から水が流れ出ただけだったそうです。
これがよほど気まずかったのか、元子はしばらく堀河院に籠もったそうで、長保元年(999年)9月7日にようやく内裏へ戻ってきました。
しかし、長保2年(1000年)になるとまだ実家へ戻ってしまい、しばらくそのまま暮らしたといいます。
元子が一条天皇の元へ戻ったのは、寛弘3年(1006年)2月25日。実に5年以上のブランクがありましたが、翌日未明には退出。何があったのでしょうか。
以降は、再び一条天皇のもとへ戻ることなく歳月は流れ、寛弘8年(1011年)6月22日、一条天皇は崩御されてしまいます。
激怒する父に髪を切られ、勘当される
一条天皇の崩御後、孤閨をかこっていた元子は、源頼定と密通するようになりました。
源頼定は為平親王(ためひら。村上天皇皇子)の次男で、元子とはいとこ同士です。
元子と頼定の関係を知った顕光は激怒。その場で元子の髪を切り捨てて、出家させてしまいました。
それでも二人の関係が続いたため、顕光は「いづちもいづちもおはしね(どこへでも、どこへでも行くがよい)」と元子を勘当してしまいます。
それと言うのも、頼定には既に妻子がおり、元子の立場は頼定の妾(しょう、めかけ)という扱いでした。
仮にも女御・従二位であった元子に対して何たる仕打ち。顕光にしてみれば、家名を汚される思いだったことでしょう。
ただし『小右記』によると、元子は「故兵衛督室(こ・ひょうゑのかみのしつ≒頼定の正式な妻)」と見なされており、元子より身分の低い頼定の正室よりも高く扱われていたことがうかがえます。
ともあれ、勘当された元子は頼定の元へ逃げ込み、のちに二女を生みました。
どちらも名前は判りませんが、片方の女子は藤原嫄子(げんし/もとこ。定子が生んだ敦康親王の子で後朱雀天皇の中宮)に女房として仕え、御匣殿別当(みくしげどのべっとう。天皇陛下の衣服を管理する御匣殿の長官)を務めたと言います。
その後、藤原元子がいつまで生きたのか、はっきりしたことは分かっていません。
藤原元子・基本データ
生年:不詳。天元元年(978年)~永観2年(984年)の間
没年:不詳。源頼定が薨去した寛仁4年(1020年)以降か
両親:藤原顕光/盛子内親王
兄弟:兄・藤原重家、妹・藤原延子
身分:女御
位階:従二位
伴侶:一条天皇(中宮)、源頼定(妾)
子女:女子(藤原嫄子女房)、女子
終わりに
今回は、一条天皇の女御となりながら想像妊娠騒ぎを起こし、一条天皇の崩御後に源頼定と密通し、勘当された藤原元子の生涯をたどってきました。
ちなみに元子は実家・堀河院の継承権をめぐって父と対立していますが、定子の後釜として一条天皇の中宮となった藤原彰子の支持をとりつけ、継承権を勝ち取ります。なかなかしたたかな女性だったようです。
果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、今後も出番があるのでしょうか。
頼定との密通や父との対立なんかも描かれるのか、楽しみにしています。
※参考文献:
角田文衛『承香殿の女御 復原された源氏物語の世界』中公新書、1963年11月
文 / 角田晶生(つのだ あきお)
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