六甲山の麓に佇む「竹中大工道具館」。大工職人の技術と精神を感じて
新神戸駅のタクシーロータリーから5分ほど歩くと、青々しい植物に囲まれた落ち着いた門構えが見えてきます。中に入らずとも想像できる広大な敷地と、格式高い佇まい。ここは、日本で唯一の大工道具専門の博物館「竹中大工道具館」です。大工道具を民族遺産として収集、展示し、保存、研究を行う同館。今回は、館長の河﨑敦子さん(以下:河﨑さん)に、なかば館内ツアーをしていただき、博物館の魅力と街との関わりについて伺いました。
職人の技術や工夫を伝える、唯一無二の博物館へ
―はじめに竹中大工道具館の成り立ちを教えてください。
河﨑さん:竹中大工道具館は、2024年に博物館として創立40周年を迎えました。同じく神戸市内の県庁前というエリアでの30年ののち、10年ほど前にこの場所に移ってきました。長い間、木をはじめとする自然の素材を使って建築物をつくってきた日本では、大工道具が発達し、職人さんの技が高度にできあがった、という歴史があります。ところが歴史が長いのに手で使う道具は、使い古したり、弟子に譲ったりして現代に残っていかないという背景があり、また戦後の高度経済成長を経て、設立した時にはすでに電動工具が主流になって、昔ながらの手道具は廃れつつありました。そんな大工道具に込められている先人たちの知恵や技、日本人ならではの心意気、洗練された美しさを後世の人に伝えようとこの博物館が設立されました。
―新神戸に移転してから変化した点はありますか。
河﨑さん:最初の30年は、ここに比べると交通の便も良くない県庁の北側でもう少しこぢんまり運営していました。そんななかでもわたしたちの取り組みを世の中の人がおもしろいと評価してくださるようになり、2015年に規模を拡大して、新神戸に拠点を移しました。施設そのものは、いわゆる昔ながらの木造建築ではなく現代の鉄骨造の技術を使っています。ただお庭と建築が一体になっているところは、日本の建築文化にとって大事な部分なんですね。あまり周りの自然を邪魔せず、融合させるというのも、日本人が大切にしてきた在り方です。だから今の現代の技術ではできているけど、そういう昔から日本人が工夫してきた心地良さみたいものができるだけ伝わるようにつくられています。雰囲気は和の建物ですよね。ガラス越しにお庭が見えて、六甲山を借景とするお庭が広がっています。手前には、小さな祠があり、その奥には築65年のお茶室と数寄屋造りがある。昔からここにあるものと豊かな緑のある別世界があります。
―なぜ県庁前から新神戸に拠点を移したのでしょうか。
河﨑さん:そうですね。ここ(新神戸)は、博物館の母体となった元々竹中工務店にゆかりのある場所で、1972(昭和47)年に山陽新幹線が開通して周囲は開発された後もこの敷地だけが手つかずで残されていました。そして、もともとあったものをできるだけ壊さず、木も切らずに生かそうとした結果、現代的な背の高い建物ではなく、地上は平屋にして展示室は地下に収めました。
―なるほど。やはり現代の建物の中に昔からある要素を取り入れていたんですね。
内装や展示の方法など、意識されたところはありますか。
河﨑さん:施設内には、昔ながらの技を現代の建築にうまく組み合わせようと、細かな工夫が施されています。例えば、エントランス上の天井は、舟底天井(天井の中央部が両端より高く、勾配がついた天井のこと)と言われ、吉野杉を組み合わせてつくっています。木と木が交差している部分は、釘を使わない木組みと言われる非常に精度の高い技で大工さんに作り上げていただいています。交差部分がゆるやかなアーチ型になっているのですが、これは一本ずつ材料の加工が絶妙に角度を変えてつくられている証拠なんです。昔ながらの木組みの技を存分に生かしてくださっています。
五感で楽しむ!見どころ満載の常設展
―常設展は、「歴史の旅へ」「棟梁に学ぶ」「道具と手仕事」「世界を巡る」「和の伝統美」「名工の輝き」「木を生かす」。これらの7つのコーナーで構成されていますが、その中からいくつか見どころを教えていただきたいです。
河﨑さん:常設展は「五感に響く」をテーマにしています。実物大の模型があったり、現物に触ることができたり、ケースの中に収めるのではなく、露出展示に挑戦しています。博物館を30年間続けてきたなかでお客さまに響く見せ方が経験として蓄積されていたので、それを存分に生かしています。
―こちら(上写真)はなんでしょう。
河﨑さん:地下から1階にかけてそびえ立つ、唐招提寺金堂の柱1本と軒先までを再現した実物大の模型です。これは唐招提寺金堂がつくられた約1200年前の技法と道具を駆使して、現代の宮大工さんに再現してもらいました。釘を使わず、木と木を組み合わせ、屋根の重さを柱に伝えて、基礎に伝える、組み物と言われている部分が非常に美しいです。普段は下から見上げるしかないですが、真横からでも見てもらえるように展示しています。
―おすすめの楽しみ方や回り方はありますか
河﨑さん:それぞれのコーナーが独立しているので順路は自由ですが、最初は「歴史の旅へ」を見ていただければと思います。
常設展「歴史の旅へ」をチェック!道具の歴史と変化の変遷を辿る
―ではまずは道具の歴史について見ていきましょう
河﨑さん:これは、大工道具の歴史を表す年表です。昔の縄文人たちは、鉄がなかったので石の道具で木を切って家や生活の道具をつくっていました。日本は、中国や朝鮮半島から文化的な影響を受けますが、幸せなことに別の国に侵略されず、文化が途絶えることがなかったので、順調にものづくりの技と道具が発展していきます。特に江戸時代は、 260年もの間の平穏な時代が続いたのでここでいろんなものづくりの技が発達し、それに合わせて道具も生み出されました。日本の大工道具の特徴は、とにかく種類が多い。日本人のほとんどが大工さんに木造で住宅を造ってもらっていた大正から昭和初期が、彼らにとって最も忙しく、大工道具の技術もピークに達したんです。しかし、戦争ののち、高度経済成長の時代に道具は機械化され便利になり、手で使う道具は、どんどん姿を消しました。
河﨑さん:大陸から鉄が入ってきたことが大きな変化の一つでした。先ほどもお伝えしたように昔の縄文人にとって、クリの木は強くて腐りにくくて、木の実も食べられる、一番身近な材料だったようです。堅いクリの木を重い石の斧で切って、住まいをつくって暮らしていました。縄文人たちは現在人よりもずっと骨格も筋力も強かったかもしれません。そして、弥生時代になると、鉄が大陸からもたらされ、道具の切れ味が鋭くなるとともに主な建築材料がスギやヒノキに変わります。権力者たちは木を自在に加工して高度な建築をつくるようになります。例えば、鑿(のみ)や錐(きり)、表面を滑らかに削るための道具、槍鉋(やりかんな)などいろんな道具が誕生します。当時はまだ、大きな鋸(のこぎり)のような道具をつくることができないので、木を割って製材していました。
時代とともにおそらく昔は無尽蔵にあった木が、だんだんと枯渇してきます。まっすぐなスギやヒノキだけでなく、松とか欅などの木も建築の素材にしたいし、材料を無駄なく効率よく使いたくなる。そうやっているころにイノベーションが起こるわけです。
室町時代に大鋸(おが)到来!製材技術のイノベーションが起こる
河﨑さん:室町時代になって、「大鋸(おが)」と呼ばれる道具が到来しました。ちなみに「おがくず」という道具は、言葉の由来になっているそうです。大きく薄い金属の刃をつくれるようなり、日本人では二人一組で使っていた大鋸を一人で使用できる形につくり替えたのです。
室町時代には、日本らしい建築様式がまとまってきたのですね。もともと中国から譲り受けたものが、ようやく日本人独特の美的感覚としてまとまってきてたんです。昔の職人は構造物をつくることがまず大変でしたが、だんだん生活の場に細やかな細工というか、美しいものをつくるっていうことに大工さんが腕を振るうようになった時代でもありました。
―技術も道具も発達して、作る側が細部までこだわる余裕が生まれたんですね。
河﨑さん:江戸時代に入ると、例えば日光東照宮みたいに豪華絢爛な彫刻や色使いなど、建造物に装飾性を突き詰めていくようになります。そうするときれいに細かい細工をするっていうことに、エネルギーを使うようになるし、同時に技術的にも完成してきました。木組みのジョイントをガチンと組み合わせると、1本の木のような強度が保てます。さまざまな継手・仕口が生まれ淘汰されて、より良いものが残っていったのも江戸時代の特徴なんです。
河﨑さん:冒頭にお話ししたように、道具って使い切ってしまったり、弟子に譲ったりするので、基本、現代に残っていかない。だからこれは大工さんが持っている道具の数や種類がわかる貴重な資料の一つです。坂田さんがいかに道具を吟味し、大事に使い続けていたかが伝わってきますよね。道具を大事にする気持ちも日本人らしい姿勢ですよね。
―歴史のコーナーだけでもかなり見応えがありますね。
他の6つのコーナーのことも少し教えていただけますか。
河﨑さん:ここは「道具と手仕事」コーナー。全部で179点の道具がディスプレイされています。1943(昭和18)年頃に調べたリストに残っている、ある程度グレードの高い建築物をつくるある大工さんが持っている道具を調べた道具一式です。これだけのものを一人で維持管理して、日々の仕事に合わせて選び、現場に運んで使い、さらに手入れを怠らず使っていました。一番多いのは、鑿(のみ)なんです。次は下にずらっとならんでいる鉋。日本の手道具としての大工道具のピークを示す展示です。
河﨑さん:「名工の輝き」コーナーでは道具鍛冶を紹介しています。昔は、集落ごとに鍛冶職人がいて農具でも包丁でもなんでもつくっていたと思うんですが、明治時代になり、刀鍛冶職から道具鍛冶に転身した職人もいて、特に彼らは切れ味が良く、かつ美しく鉄を鍛える技を磨き、名品と言われるものを残しました。
―最後になりますが、河﨑さんが感じられる新神戸の街の魅力をお聞きしたいです。
河﨑さん:北野異人館や布引きの滝、ロープウェイなど、近くには神戸ならではのおもしろい場所がありますよね。ここからスタートして、神戸を楽しんでもらう「入り口」になればいいなと思っています。
―本日はありがとうございました。
緑に囲まれる旅の出発地「新神戸」
「竹中大工道具館」の最寄り駅である新神戸駅は、JR山陽新幹線と地下鉄西神・山手線・北神線が乗り入れる駅です。地下鉄西神・山手線を利用すれば、三宮駅まで 2分、新長田駅まで14分。遠方へお出かけの際には、JR山陽新幹線で新大阪駅まで12分、京都駅まで27分と便利です。また博多駅、広島駅、岡山駅、名古屋駅、静岡駅、東京駅などへも、新神戸駅からダイレクトにアクセスが可能です。
駅周辺は、交通量は多いものの、駅の真下に生田川が流れ、六甲山が真ん前にそびえるのどかなロケーションです。飲食店よりも住居が多く、落ち着いた雰囲気を感じました。
取材・文/葭谷うらら(インセクツ) 撮影/大原康二郎(BRAT)