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ZARD 坂井泉水の美声が最も輝いた曲「揺れる想い」一色紗英が出演したポカリのCMソング!

Re:minder

1993年05月19日 ZARDのシングル「揺れる想い」発売日

連載【新・黄金の6年間 1993-1998】vol.29
揺れる想い / ZARD
▶ 作詞:坂井泉水
▶ 作曲:織田哲郎
▶ 編曲:明石昌夫
▶ 発売:1993年5月19日

史上最も魅力的な声の持ち主、坂井泉水


女優は声である。

例えば―― 松嶋菜々子、石田ゆり子、新垣結衣、長澤まさみ、北川景子、吉岡里帆、広瀬すず、田中みな実、浜辺美波―― 等々、売れている女優は大抵、声がいい。

映画を見る人は “観客” と呼ばれるが、テレビを見る人は “視聴者” と呼ばれる。それは、テレビは半ば耳だけ傾ける “ながら見” のメディアだからである。となると、テレビドラマにおける女優の魅力の半分は、声が握っていると言っても過言じゃない。実際、僕らはテレビから女優のいい声が聞こえると、ずっとその声を聴いていたいと思う。自然とザッピングの手も止まり、ドラマの視聴率が上がる。そういうことだ。

シンガーも同じかもしれない。MISIA、Superfly、幾田りら(YOASOBI)、あいみょん、吉岡聖恵(いきものがかり)、aiko、椎名林檎、YUKI、宇多田ヒカル―― 売れてる女性シンガーも皆、声がいい。80年代にトップアイドルとして君臨した松田聖子、中森明菜、小泉今日子らビッグ3もそうだった。ルックスや楽曲のよさもさることながら、お茶の間は彼女たちの “声” に魅了されたのだ。これもテレビが影響したのは間違いない。

その線で行くと―― 僕は、日本の女性シンガー史上最も魅力的な声の持ち主は、ZARDの坂井泉水サンだと思う。彼女の場合、その主戦場は、当時所属した音楽制作会社のビーイングの方針で、CMのタイアップやテレビドラマの主題歌だった。そして画面を通して聴こえてくる彼女の歌声は、透明感があり、伸びやかで、抜けるような高音で、時に力強く、そして何より “切なさ” があった。いわゆる “ZARDボイス” である 。時に、その美声が最も反映された楽曲が、かのポカリスエットのCMに起用され、奇しくも今から31年前の今月―― 1993年5月19日にリリースされた、ZARDの8作目のシングル「揺れる想い」である。

 揺れる想い体じゅう感じて
 君と歩き続けたい
 in your dream

作詞:坂井泉水、作曲:織田哲郎。もう、頭サビから坂井サンの声の魅力全開だ。同シングルが発売されたのは、前作「君がいない」のリリースから、わずか28日後。その変則的なタイミングが、この曲の成り立ちと魅力を物語っている。そう、「揺れる想い」を一躍世に知らしめたのは、前述のように大塚製薬のポカリスエットのCMだった。ほら、一色紗英サンが10代の瑞々しい笑顔を見せてくれた、あのシリーズだ。

夏に向けたタイミングで大量に流れたZARD「揺れる想い」


普通、広告業界では夏の商戦は、早ければ4月下旬から始まる。随分気が早いと思うかもしれないが、それが広告である。小売店に自社商品の棚を確保させる狙いもある。なので、CMとタイアップしたシングルも同時期に発売される。松田聖子の「夏の扉」は夏曲ながら、資生堂の清涼乳液「エクボ ミルキィフレッシュ」のCMソングだったので、リリースも4月21日と早かった。

そう、夏に向けて販売を拡大する「ポカリスエット」も同様だった。同CMは遅くとも5月上旬までには始まり、そのタイミングでお茶の間にZARDの「揺れる想い」が大量に流れたのだ。前シングルとリリースの間隔が1ヶ月弱しかないのは、ビーイング(当時)の長戸大幸プロデューサーの手腕でタイアップ話が急遽まとまり、当初のリリースが前倒しされたからである。

ちなみに、当時の同曲にまつわる逸話が、ZARD初のベストアルバムの特典『ZARD ARTIST FILE』に、フジテレビ(当時)の亀山千広サンの話として紹介されている。亀山サンはZARDのデビュー曲をドラマ『結婚の理想と現実』の主題歌に起用した、いわば “坂井泉水” の生みの親の1人である。

「その後何回か(ビーイングの長戸大幸氏のもとへ)遊びに行かせてもらっていて、伺うたびに何曲もデモテープを聴かせてくれるんです。ある時、(中略)「揺れる想い」があって、それを聞かせてもらったときに “これだ!” って思ったんですよね。自分のドラマの主題歌も探していたので、その場で長戸さんに「これください」ってお願いしたんですけど、「ごめん、これ昨日タイアップが決まっちゃって…」(中略)本当に良い曲で、あと1日早ければ自分のドラマで使えたと思うと残念でしかたありませんでしたね」

天才メロディメーカー 織田哲郎の耳馴染みのいい旋律


さて、「揺れる想い」を起用したポカリスエットのCMは2タイプある。1つは、一色紗英サンがポカリを2本買い、自転車で彼の野球の試合に駆け付けるも、既に試合終了後。それも逆転サヨナラ負け。1人グラウンドに居残り、投球練習を続ける彼に一色サンがポカリを投げるフリをして励ます―― というものだった。もう1つは一色サンと彼との海辺のデート(高校生の分際で!)を描いたもの。若い2人の瑞々しい姿が印象的だった。先に歩く彼の海パンの後ろを掴むと、ビヨーンと海パンが伸びるシーンを覚えている人も多いだろう。

同CMが放映されるや、「揺れる想い」はたちまちお茶の間をトリコにした。天才メロディメーカー 織田哲郎の耳馴染みのいい旋律に、坂井泉水サン自身が紡いだ瑞々しい詞と澄んだ歌声、そして初々しい高校生カップルの描写―― 今日まで脈々と続く “10代の青春を描く” ポカリのCMの空気感は、既にこの時点で確立されている。

見事なCMサイズ、ZARD初のオリコン1位を獲得


以前、小室哲哉サンがビーイングのCMタイアップ戦略について、こんなことを述べていた。

「CMは制約の嵐です。(中略)音楽は15秒の中の13.5秒です。実際に聴こえるのが約8秒。その中で耳に残る歌詞とメロディはせいぜい3秒です。しかも、クライアントの商品イメージとも合わなくてはいけない。(中略)でも、連日テレビから流れるCMの出稿量は膨大で、それが世間へのプレゼンテーションになりえる」

実際、ポカリのCMの中で「揺れる想い」がどう使われたかと言うと、まずツカミの「♪ゆれーるーおもーい」が3秒、続く「♪からだじゅうかんじてー」まで含めたメインのサビが8秒。そこから音楽の音量が少し下げられ、一色サンのナレーション「アッツアツの国は、おひさまよりカラカラになるんです。私の命の水ポカリスエット」が入って、バックにサビの後半「♪このまーまーずーっとーそばーにいたーい」が流れ、13.5秒でピタリと収まる。見事なCMサイズである。それが功を奏したのか、同シングルはZARD初のオリコン初登場1位に輝き、2週連続首位を守った。年間シングルでも9位となり、130万枚を超えるミリオンセラーとなったのである。

 揺れる想い体じゅう感じて
 このままずっとそばにいたい
 青く澄んだあの空のような
 君と歩き続けたい
 in your dream

坂井泉水ソロプロジェクトZARDの成り立ちとは?


ここで、ZARDの成り立ちを軽く説明したい。大半の方はご存知だと思うが、同ユニットはバンドではない。いわば、坂井泉水ソロプロジェクト。初期の頃にバンドが編成された時期もあったが、1993年1月にリリースした「負けないで」がミリオンセラーとなり、大ブレイクして以降、自然とソロプロジェクトに落ち着いた。

坂井泉水はアーティストネームで、本名は蒲池幸子という。奇しくも松田聖子サンの本名である蒲池法子と同姓である。一時、2人の間に “いとこ説” が流れたが、その後否定された。ただ “蒲池" 姓は福岡県の筑後地方にルーツがあり、江戸時代には蒲池氏の子孫が柳川藩(立花氏)の家老格を務めたほどの名家だった。坂井サン自身は神奈川県平塚市に生まれ、短大卒業まで同県で過ごした生粋の神奈川っ子だが、ご両親のどちらかのルーツが福岡の筑後にあると思って間違いない。となれば、聖子サンとも遠い、遠い親戚関係になる。

で、蒲池幸子サン、中高時代はスポーツ少女として鳴らし、ギターも趣味で弾いていたという。高校3年時には文化祭のミスコンで優勝するなど、学生時代からその美貌には定評があったそう。それから短大に進み、卒業後は2年間、不動産会社でOLをした。―― こう書くと、ものすごく普通のお嬢さんという気がするが、もちろんこれで終わらない。

ある日、蒲池サンはスターダストプロモーションからスカウトされ、モデルとして登録する。1987年ごろの話である。今まさにバブルが幕明け、六本木のディスコが一番盛り上がっていた時代である。聴くところによると、当時、ディスコ界隈では、蒲池サンは割と知られた存在だったという。当時は、フジテレビ発のオールナイターズを始め、女子大生やOLなど、素人の女の子たちが脚光を浴びた時代。蒲池サンの他にも、成城大学在籍中の永井美奈子サンや、後に尾崎豊と結婚する尾崎繁美サンらもディスコ界隈ではちょっとした有名人だった。今でいう読者モデルのような存在である。

そんな蒲池サンに、89年4月に転機が訪れる。東映カラオケクイーンのコンテストで優勝したのだ。ここから業界内でも注目されるようになり、テレビ番組のエキストラや日本エアシステムのキャンペーンガール、翌90年には日清カップヌードルレーシングチームのレースクイーン(同期は岡本夏生サン!)にも選出される。そして、同年7月には自身初の写真集(撮影:清水清太郎、白泉社)も出版する。

その翌月(8月)、彼女にとって2度目の転機が訪れる。所属事務所(スターダスト)の細野義朗社長にビーイング創業者の長戸大幸氏を紹介され、B.B.クィーンズの音楽コーラス隊(後のMi-Ke)のオーディションを受けるも、落選。しかし、その歌唱力を長戸氏に認められ、音楽ユニット(後のZARD)の準備に入る。

どうしても耳の残るハスキーな歌声


奇しくも、そのタイミング(90年秋)で、前述のフジテレビの亀山千広プロデューサー(当時)がビーイングの長戸大幸氏のもとを訪れる。翌91年1月クールに放送される連ドラ『結婚の理想と現実』の主題歌をお願いするためである。当初、亀山サンは自身がずっと憧れていた大滝詠一御大に依頼しようとするも、御大から「今は俺よりも長戸大幸さんの方がすごく当たっているから、ビーイングに行くべきだ」と諭され、その忠告に従ったまでだった。しかし、そこで運命の歯車が動き出す。

亀山サン、長戸大幸氏からデビュー予備軍の新人アーティストら数名のデモテープを聞かせてもらったところ、その中に、洋楽のようなサウンドに、瑞々しい女性ボーカルが乗った楽曲を発見する。亀山サン、一聴してその “声” が気に入ったという。当時の心境を前述の『ZARD ARTIST FILE』から引用する。

「どうしても耳に残る歌声があって「この子は誰ですか」ってうかがったんです。そこで初めてZARDというバンドのボーカリストで坂井泉水という名前だということを知ったんです。とにかくハスキーな声で、当時から高いところが特徴的な声をしていました。本人の写真も見ないで “声” だけで選ばせていただいたわけですね」

1991年2月10日、ZARDは「Good-bye My Loneliness」(作詞:坂井泉水、作曲:織田哲郎)でデビューする。だが、その時点では片鱗はあるものの、まだ後の “ZARDボイス” には至っていない。彼女が史上最高の歌声を習得する3度目の転機は、翌92年8月5日―― ZARDの4作目のシングル「眠れない夜を抱いて」(作詞:坂井泉水、作曲:織田哲郎)まで待たねばならない。

今日、5月27日は、彼女が亡くなられて17年目の命日です。そのひと月後に執り行われた音楽葬で「揺れる想い」がかかっていたのが昨日のことのように思い出されます。史上最高の歌声を、ありがとう!

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