歌川派(歌川一門)とは?江戸時代最も活躍した浮世絵師集団を紹介
「歌川派」という名前は聞いたことがあっても、「国貞」「国芳」「広重」など様々な名前があり、誰が誰だかわからないとお悩みの方も多いのではないでしょうか。 本記事では、江戸時代最大の浮世絵師集団「歌川派」について分かりやすく解説します。特に代表的な絵師である歌川国貞、歌川国芳、歌川広重に焦点を当て、それぞれの生涯、得意としたジャンル、代表作品まで網羅的にご紹介します。 この一記事で江戸浮世絵の魅力と巨匠たちの世界を一気に学ぶことができます。
歌川派(歌川一門)とは?江戸時代最強の「絵師集団」
歌川派はどのように誕生したのか?
歌川国貞『(初代)歌川豊国肖像』
江戸時代には多くの浮世絵師が活躍し、多くの浮世絵を生み出していきました。そのなかでも、いくつかの大きな「一門」が存在しており、絵師は通常、いずれかの一門に所属して、師匠から画法を学んでいました。
そのなかで、歌川豊春によって創始されたのが「歌川派」と呼ばれる絵師の集団です。
やがて、豊春の弟子の歌川豊国が、「役者絵」と呼ばれる歌舞伎役者を題材にしたジャンルで大成功しました。それをきっかけに、豊国の元に大勢の弟子が集まるようになり、この集団が「歌川派」として確立されていくのです。
歌川派が愛された理由とは?江戸時代の人気浮世絵師集団
歌川国芳『八犬傳之内芳流閣』
歌川派が隆盛を極めたのは、江戸時代後期です。飛ぶ鳥を落とす勢いで一気に勢力を広げていき、「歌川派にあらねば浮世絵師にあらず」と言われるほどでした。
まさに「江戸時代最強の浮世絵師集団」と言えるでしょう。
先述の通り、歌川豊国が実在の役者を美化して描いた「役者絵」や「美人画」、そして西洋の遠近法を取り入れた「浮絵(うきえ)」は、当時の庶民の間で人気を博しました。
そしてその弟子である国貞や国芳、歌川豊広、豊広の弟子の広重など、歴史上に数多くの名作を残す絵師たちが次々に登場します。
「美人画」で有名な歌川国貞
歌川国貞(豊国襲名後)『櫓のお七』
美人画とは、女性の容姿だけではなく、内面の美しさを含めて表現したジャンルのことです。様式化された表現が用いられ、それぞれの絵師には特有のパターンがありました。
そんな「美人画」で有名な歌川国貞は、1786年、江戸の本所に生まれました。16歳で初代歌川豊国に入門し、22歳ごろから歌川国貞の名前で絵師として活動を始めます。
59歳で二代目「歌川豊国」を襲名し、79歳で亡くなるまでの生涯のなかで数万点に及ぶ絵を描いたといわれています。ただし、国貞の他にも二代目を名乗る人物がいたため、後世では国貞は、「三代目」歌川豊国と表記されています。
市井の女性たちを生き生きと描いた国貞
国貞は身分の高い女性ではなく、市井の女性たちを好んで描きました。彼の描く女性たちは溌剌(はつらつ)とした、生き生きとしている様子がとても魅力的です。
国貞の美人画に登場する女性たちは、生活感に溢れていながらも品が良く、心の機微が鑑賞者に伝わってくるのが特徴です。吉原や岡場所とよばれた花街の女性たちのことも積極的に描き、国貞の「美人画」は他に並ぶものがない、とまで言われていました。
歌川国貞の代表作『江戸名所百人美女』 シリーズ
ここからは、国貞の代表作である『江戸名所百人美女』というシリーズを紹介します。
本シリーズは70歳頃の国貞が描き始めたものです。高齢でありながらも、積極的に多くの作品を生み出しました。
こちらは人物の箇所を国貞が担当し、背景を二代目・歌川国久が担当しています。この歌川国久という絵師は、国貞の婿養子であり、弟子のひとりでした。
江戸の名所と、少女から老婆までの幅広い年齢層と女性が描かれており、非常に華やかな作品です。さらに、画題として描かれた彼女らの職業や属性もさまざまで、江戸の女性の「職業図鑑」としての側面も楽しめるシリーズです。
※この時期には、すでに「歌川豊国」の名で作品を発表していましたが、本記事では便宜上「国貞」とします。
『江戸名所百人美女 湯島天神』
歌川国貞『江戸名所百人美女 湯島天神』
湯島天神(現・東京都文京区)の祭神は「菅原道真(すがわらのみちざね)」。この神社は、現在も「学問の神様」「習字の神様」として多く知られている場所です。
絵に描かれているのは未婚の若い娘で、手習い(習字)をしているようです。誰かに声を掛けられて、慌てて書いているものを隠しています。
湯島天神は、学問や習字だけでなく、縁結びの神様としても有名です。もしかしたら、この娘も誰かに恋をしており、恋文を書いていたのかもしれませんね。
『江戸名所百人美女 墨水花盛』
歌川国貞『江戸名所百人美女 墨水花盛』
墨田川(現・隅田川)の桜が満開の時期を描いた本画。
右端には大量の酒樽があり、三味線を担いだ美女はかなり酔っぱらっている様子です。頭には梅の手ぬぐいをして、お歯黒をつけ、眉を剃り落としています。これは、当時の既婚女性の一般的な装いでした。
絵から読み取れるこれらの特徴から、どこかの家の奥様が酔っぱらっている場面だと想像できます。
『江戸名所百人美女 よし原』
歌川国貞『江戸名所百人美女 よし原』
「よし原(吉原)」とは、江戸後期の浅草にあった大規模な花街のことです。多くの遊郭が立ち並び、最盛期には2000人から3000人の遊女が働いていたと言われています。
この絵に描かれた遊女は、禿(かむろ)と呼ばれる少女に髪の毛を結ってもらっています。禿が付いていることから、彼女は「花魁(おいらん)」と呼ばれる高位の遊女であるとわかります。
手にしているのは、恋文を書く時に使われる朱色の巻物です。先ほどの『湯島天神』で描かれた少女も、朱色の紙を持っていました。ただし、この遊女の場合は、現代で言うところの「営業メール」のような役割を果たしていたのかもしれません。
『江戸名所百人美女 霞が関』
歌川国貞『江戸名所百人美女 霞が関』
国貞にしては珍しく、武家のお姫様を描いた作品です。彼女は、田安徳川家の「利姫」という実在のお姫様です。23歳で夫に先立たれ、若くして未亡人となってしまった薄幸の姫君として知られています。
絵に描かれた利姫は、既婚女性でありながら振袖を着ています。これは、彼女が出産していないためです。
髪型は「奴島田(やっこしまだ)」といって、上流の武家の娘が結うヘアスタイルです。着物姿やヘアスタイルをみても、他の作品に登場する庶民の女性たちとは大きく異なっています。
「武者絵」で有名な歌川国芳
歌川国芳『川中島戦』
歴史上や伝説のなかの豪傑や、英雄たちを描いた「武者絵」。浮世絵でこのジャンルを確立したのは、歌川国芳でした。
国芳は1797年、日本橋白銀町で生まれました。12歳で初代・歌川豊国にその才能を見出され、15歳で歌川一門へ入門します。しかし、30歳ごろまでは、絵師として大きく活躍することがありませんでした。
その後、「武者絵」が大ヒットし、人気浮世絵師のひとりとして活躍することになります。
国芳は幅広いジャンルの絵を描き、多彩な才能を発揮しましたが、本記事では主に「武者絵」について解説します。
「武者絵」というジャンルの立役者、歌川国芳
国芳は歌川一門に所属していましたが、人気絵師である葛飾北斎のことを大変尊敬していたそうです。自らの作品にも大きく影響を受けていました。
国芳が活躍した時代には、「天保の改革」という政策がありました。これは「倹約令」を中心とした、派手な生活を取り締まるというものです。
さまざまな娯楽作品に規制がかけられるなか、国芳は機智に富んだ作品を発表し続け、庶民から喝采を浴びたと言われています。
国芳の作品が登場するまでは、「武者絵」というジャンルは浮世絵のなかで非常にマイナーな存在であり、ほとんど注目されることがありませんでした。それを一大ジャンルにまで押し上げたのは、国芳の力量があってこそだったのかもしれません。
庶民の心を掴んだ、歌川国芳の「英雄」たち
武者絵の始まり『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』
国芳の描く「武者絵」の出発点となったのは、文政10年(1827年ごろ)に出版された『通俗水滸伝豪傑百八人之一個(つうぞくすいこでんごうけつひゃくはちにんのひとり)』でした。これは中国の小説『水滸伝(すいこでん)』に登場する人物たちの勇姿を描いたシリーズです。
歌川国芳『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』
全部で74点にわたる本シリーズのなかで、最初の5点のひとつに数えられるのが、この『通俗水滸伝豪傑百八人之一個 九紋龍史進(くもんりゅうししん)』です。本作を含む最初のシリーズが爆発的に大ヒットし、次々と作品が誕生しました。
豪傑たちの血肉ほとばしる激情が、絵から生き生きと伝わってきます。この情熱は、庶民たちの心を大きく動かしたのでした。
日本の英雄を描いた『本朝水滸伝豪傑八百人之一個』
『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』が好評であったため、今度は日本人の英雄が登場する『本朝水滸伝豪傑八百人一個(ほんちょうすいこでんごうけつはっぴゃくにんのひとり)』が出版され、こちらのシリーズも大きな反響を呼びました。
『本朝水滸伝豪傑八百人一個 天眼磯兵衛(てんがんいそびょうえ)』
歌川国芳『本朝水滸伝豪傑八百人一個 天眼磯兵衛(てんがんいそびょうえ)』
筋骨隆々の裸身に、桜と駒(若い馬)の刺青が大きなインパクトのある1枚。この絵は、上総(現在の千葉県)音信山で行われた草相撲で、磯兵衛という若者が「夜叉嵐」と名乗る男を打ち倒したシーンです。
江戸時代後期の読本『自来也説話(じらいやものがたり)』に取材されたものといわれています。
『本朝水滸伝豪勇八百人一個 渡辺源二綱』
歌川国芳『本朝水滸伝豪傑八百人一個 渡辺源二綱』
『本朝水許伝豪勇八百人一個 渡辺源二綱』に描かれた渡辺源二綱は、平安時代中期に活躍した武将で、坂田金時らとともに源頼光の四天王のひとりとして知られています。
主君・頼光に従って酒呑童子を討伐しました。
伝説の鬼を描いた『大江山酒吞童子(おおえやましゅてんどうじ)』
歌川国芳『大江山酒吞童子』
「酒呑童子(しゅてんどうじ)」は、平安時代、丹波国(現在の京都府)大江山に住む「鬼」の頭領として恐れられていました。
京の町に出没しては美女をさらっていくという酒呑童子を討伐するため、源頼光率いる「四天王」たちが山に入ります。四天王のひとり、渡辺源綱は先ほどの『本朝水許伝豪勇勇八百人一個』でも紹介しました。
本画では、酒に酔いつぶれた酒呑童子と、彼に襲いかかる頼光と四天王の様子が描かれています。酒呑童子の顔は半分人間、半分鬼になっており、まるで現代のアニメーションの変身場面のようです。
「風景画」で有名な歌川広重
歌川広重『東海道五十三次之内 赤坂』
国貞、国芳とは異なり、「風景画」によって、自身の持ち味を確立した歌川広重は、1797年、武士階級の息子として生まれました。広重の家系は「火消同心」(消防活動にあたる役人)の家で、広重は国芳と同い年です。
豊国の同門の弟子だった歌川豊広に師事し、最初は同心の仕事と絵師の仕事を掛け持ちしていました。27歳で画業に専念し、35歳ごろから「風景画」を手がけ始めます。
そして、37歳の時に出版された『東海道五十三次之内(とうかいどうごじゅうさんつぎのうち)』シリーズが大ヒットし、その後も『名所江戸百景』シリーズなど、多くの風景画を描きました。
歌川広重と「ベロ藍」の運命的な出会い
広重は情緒あふれる日本の風景と、人間味のある旅人や地元の人々の様子を描きました。
なかでも、「ベロ藍」と呼ばれる外国産の青色の顔料を使い、ぼかしの技術などを駆使した。
広重はベロ藍を使って、水や空など、さまざまな自然の美しさを表現しました。その美しさは、後世「広重ブルー」と呼ばれるほどで、現在も多くの人々に愛されています。
また、広重が『東海道五十三次之内』を刊行した頃には、葛飾北斎がさまざまな構図から富士山を描いた『冨嶽三十六景』が話題になっていました。広重は風景画を描くにあたり、北斎のことをかなり意識していたのではないかと言われています。
『東海道五十三次之内 原 朝の富士』
歌川広重『東海道五十三次之内 原 朝の富士』
本画は、『東海道五十三次之内』シリーズの1枚です。2人の女性と、荷物運びの男性が旅をしている様子が描かれています。
背景には、朝焼けに染まる美しい富士山と、のんびりと広がる田畑が描かれています。田畑にはつがいのタンチョウヅルがいるのが見えます。
こちらを向く女性は煙管(きせる)をふかしており、朝のさわやかでのんびりとした空気が伝わってくる1枚です。
鷹の目で見る『名所江戸百景 深川洲崎十万坪(ふかがわすさしじゅうまんつぼ)』
歌川広重『名所江戸百景 深川洲崎十万坪』
『名所江戸百景』は、1856年から制作が開始され、「百景」であるはずの100枚を超えても、広重が精力的に描き続けたシリーズです。118枚を描いた時点で広重は亡くなってしまいますが、二代目の広重が追加した1枚と、目録の1枚を合わせて120枚もの大作となりました。
本画では、翼を広げた大鷲が、広い埋立地を見下ろしている構図が印象的です。
現代ではドローンなどで上空からの景色を実際に見ることができますが、江戸時代にそのような技術は皆無でした。
広重はその類まれな想像力によって、大空高く舞う鷲の目線を表現しているのです。
ゴッホも模写した『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』
歌川広重『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』
こちらも『名所江戸百景』シリーズより、『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』です。
広重の代表作ともいえる本作には、墨田川(現在の隅田川)にかかる「大はし」を渡る人々が描かれています。
横なぐりの雨を細い線で表現するという、当時としては画期的な技法を用いており、オランダの画家、ヴィンセント・ファン・ゴッホも模写したといわれています。
まとめ
歌川派は江戸一番の浮世絵師集団であり、浮世絵の世界に改革をもたらしました。そして日本国内だけでなく、西洋の画家たちにも大きな影響を与えたのです。
市井の女性たちの美しさを描いた国貞、迫力ある魅力的な武者絵を生み出した国芳、「広重ブルー」という新たな美を表現した広重など、それぞれの作品の特色を知ると、その個性が理解できるのではないでしょうか。
参考書籍:
『絵解き「江戸名所百人美女」 江戸美人の粋な暮らし』著:山田順子(淡交社)
『歌川国貞 これぞ江戸の粋』著:日野原健司、監修:太田記念美術館(株式会社 東京美術)
『世界にほこる日本の伝統文化 はじめての浮世絵②人気絵師の名作を見よう!知ろう!』著:深光富士男(河出書房新社)
『遊戯と反骨の奇才絵師 歌川国芳●傑作浮世絵コレクション●』(河出書房新社)
『ビジュアル入門 江戸の文化 江戸で開いた化政文化』著:深光富士男(河出書房新社)