介護の経験と役者人生が織りなす杉田かおるの現在
還暦を迎えた今も輝きを放つ俳優・杉田かおるさん。長年の役者人生と母の介護という二つの軸から、命の尊さや生き方について深く考えさせられたという彼女が語る、「命を使う」という人生観。50年以上にわたる役者の経験がどのように日常や介護に活かされたのか、そして新たな挑戦となった映画『嗤う蟲』での演技についても伺った。
役者50数年で培った人間理解の深み
―― 芸能生活50数年、これまでのご活動を振り返って、どのようなお気持ちでしょうか?
杉田 還暦を超えたこと、特に母の介護を経験したことで、健康寿命というものを強く意識するようになりました。誰にでも平等に与えられている寿命に、日々近づいていくことを自覚しながら過ごしています。
その中で、50年以上の役者人生で得た経験が、今の自分の生き方に大きな影響を与えていると感じます。人間として、自分なりにこうあるべきだとか、こういうふうにしなきゃいけないというものを明確にしながら最終ゴールまで頑張っていければと思っています。
―― 長年の役者経験は、杉田さんの人生をどのように変えていますか?
杉田 さまざまな役を演じることで、人間の多面性を表現し、理解することができるようになりました。これは人間性を構築する上でとても貴重な経験で、自分の中で必要なものと不必要なものを見極める、いわば人格形成における断捨離のような作業ができたように思います。
技術的なことだけでなく、人の心を動かすためにはどうすればいいのか、そういった深い部分まで学ばせていただきました。
―― バラエティ番組などでは毒舌キャラとしてもお茶の間を楽しませていましたよね。
杉田 実は、普段は毒舌キャラというわけではないんですよ(笑)
もともと私、喜劇が好きで、尊敬する俳優さんも渥美清さんやミヤコ蝶々さんといった喜劇俳優さんが多かったんです。
そういう方のように人を笑顔にする俳優になりたかったのですが、なかなか表現できる場所や役がなくて……。
バラエティ番組は、自分のセリフを自分で作れるので、喜劇のように脚色して面白いキャラを演じて盛り上げてみようと思ったんです。毒舌のようなキャラをちょっとテレビでやってみたら、本当にそういう人なんだって思われてしまいましたね。
正直、日常生活に弊害が出た部分もあったのですが(笑)、いい経験になったかなと思っています。
―― そうだったんですね(笑)。ご自身ではどのような性格だと捉えていらっしゃいますか?
杉田 そうですね……。困難な状況の方が力を発揮できる性格で、逆境に強いタイプですかね。
厳しい芸能界での経験や複雑な家庭環境で育った経験は、今では強みになっています。そういった経験すべてが、60年の人生を豊かにしてくれたと感謝しています。
人の裏切りや騙されるような経験も含めて、すべてが勉強になりました。
―― そういった経験は、役作りにも活かされているのでしょうか?
杉田 ええ、まさにそうです。「詐欺師の役をやらせれば天下一品!」みたいになるかもしれませんし、これまでの経験は役者人生の可能性を広げてくれました。マイナスの経験も、演技の幅を広げる貴重な糧になるんです。
―― これまで、さまざまな役柄を演じてこられていますよね。
杉田 代表作のひとつ「池中玄太80キロ」で、松木ひろし先生が作ってくださった私のキャラクターは、耐え忍ぶ良い子でした。その役柄に近づけようと努力したことで、実際の生活でもその性格が身についていったように思います。
逆境に強く、不幸に立ち向かっていく。そういったキャラクターが、私の芸能人生の原点になっているんです。
映画『嗤う蟲』で挑んだ新たな演技の限界
―― 2025年1月24日公開の映画『嗤う蟲』では、自治会長の奥さん役を演じられましたが、役作りで意識されたことはありますか?
【あらすじ】
田舎暮らしに憧れるイラストレーターの杏奈(深川麻衣)は、脱サラした夫・輝道(若葉竜也)と共に都会を離れ、麻宮村に移住する。麻宮村の村民たちは、自治会長の田久保(田口トモロヲ)のことを過剰なまでに信奉していた。
二人は、村民たちの度を越えたおせっかいに辟易しながらも新天地でのスローライフを満喫する。そんな生活のなかで杏奈は、麻宮村の村民のなかには田久保を畏怖する者たちがいる、と不信感を抱くようになっていく。
一方、輝道は田久保の仕事を手伝うことになり、麻宮村の隠された<掟>を知ってしまう。それでも村八分にされないように、家族のため<掟>に身を捧げることに……。
杉田 この作品では村社会の光と影を描いており自治会長の奥さん・よしこ役を演じました。親切にすればするほどあだになる、真綿で首を絞めるような感覚。そういう恐ろしさを持つ人物を演じることを意識しました。
実は芸能界とも重なるような部分もあると思っていて。幼い頃にすごく可愛がってくれていたプロデューサーさんが売れなくなったら急に知らん顔をされたことがあるんです。
そういった経験があったからこそ、新しく移住してくる人の気持ちも、村の人の気持ちも、両方の立場を理解していたように思います。
私自身、村の人間の役なのに、実は新しく引っ越してくる人、移住してくる人のような感覚も持っていたんです。だからこそ「こんな感じがすごく嫌なんだろうな」とか「こういうのが怖いんだろうな」という気持ちが、感覚的に理解できましたので、そこを大事に役作りしていきました。
―― 私も映画を見ましたが、すごく存在感があってさすがだなと思いました。杉田さんから見たこの作品の魅力を教えてください。
杉田 本作はジャンルレスと言われているように、サスペンスやホラーという枠に分けられないような映画で、そこがとても新鮮でした。ナチュラルにいろんな要素が溶け込んで、面白いエンターテイメントになっています。
スリラーでありながら社会派的な要素があり、サスペンス的な部分もあれば、ファンタジックな部分もある。本当に素晴らしい監督さんと仕事をさせていただいたなと感じています。
―― 人間の複雑さが描かれていますよね。
杉田 そうなんです。本当の自分とは何なのかと考えさせられる作品だと思います。誰もが怖い部分を持っていると同時に、素晴らしい優しい心も持っている。そういう人間の複雑さを感じさせてくれる映画だと思います。
私自身も撮影が終わった後、3ヶ月くらい怖くて眠れないほど役が身に染みついていました。それだけ深く役と向き合えた証かもしれません。
―― 映画では村に移住してきた若い夫婦と村民との価値観の違いが描写されていましたが、価値観の違う人との共存について、どのようにお考えですか?
杉田 価値観が違う人たちと仕事をするというのは、映画やドラマ作りの現場では日常的なことです。なので私自身は、そういったコミュニケーションの取り方には慣れています。
今は社会全体でジェネレーションギャップとか、上司と部下とか男女とか、いろいろな枠組みを取り外そうとして取り組んでいますよね。社会情勢とともに個人も順応していかないといけないのかなと思います。
もう「~べき」とか言ってる時点で時代遅れなんだなっていう、そんな気がしますね。
―― 何事も受け入れることが大切ということですかね。
杉田 いや、「受け入れる」っていうのは、やっぱりすごく難しいし、必要じゃないと思っていて。そうではなく「受け止める」ことが大事ですね。
自分の考えと違うものや合わないものは無理に受け入れる必要はないんじゃないかなって。「こんな人もいるのね」とか、「こんなこともあるのね」って素直な気持ちで理解してみる。
それが気づきや学びにつながっていくんだなっていう風に切り替えられれば、すごく気持ちも楽になるかなと思います。
介護現場での役者としての支援力
―― 杉田さんはご自宅でお母さまの介護をされていたと思いますが、施設入居ではなく在宅介護をされた理由をお聞きしてよろしいでしょうか?
杉田 母はCOPDという呼吸器の病気を患っていて、常に酸素が必要な状態でした。呼吸器の専門医が自宅にしか来られないという事情もあり、在宅介護を選びました。
週3回ほどケアマネさんとヘルパーさんに来ていただき、それ以外にも主治医と看護師さんが定期的に訪問してくれました。母は余命宣告を受けていたので、医療スタッフの方々には本当によくサポートしていただきました。
―― どのように仕事との両立をされていたのでしょうか?
杉田 長期のロケやドラマの仕事は受けないようにして調整していましたが、最後の2年半は仕事をお休みして毎日自宅で過ごすようにしていました。
夜にトイレへ行く際の酸素の調節や、呼吸が苦しくなった時にお薬をもらいに行ったりしていましたね。
―― 仕事をちょっと減らしつつ、サポートできることを続けていらっしゃったということですかね。
杉田 私の場合、6歳という自我が目覚めるころから仕事をしていたので、逆に家事や介護の方が仕事って感覚でした。どれが仕事だか分からないような状態で、介護・家事・仕事のトリプルワークをしている感じです(笑)。
仕事と介護の区別がないからこそ、全てを「命を使う仕事」だと捉えるようになりました。お金をもらえるかどうかではなく、自分の命をどう使えるかという観点で考えると、とても気持ちが楽になりました。
介護も家事もすべてが自分の仕事だと思っていたら、すごい働いているなと充実感を感じられましたね。
―― 役者としての経験が介護に活きた部分はありましたか?
杉田 とても活きましたよ。例えば、食事の時間では栄養士になったり、お部屋の配置を考える時はインテリアコーディネーターになったり。役者をしてきた経験があるので、その時々でいろいろな役になりきれました。
映画・ドラマの撮影では美術さんや衣装さん、カメラマンさんなど、たくさんのスタッフが一つの作品を作り上げる過程が見られます。介護も同じように一つの作品作りだと考えたんです。主役だけが重要なわけではなく、全ての仕事に意味があるという考え方で介護に向き合っていました。
―― 介護を通してお母さまとの関係性に変化はありましたか?
杉田 母とは「恋人みたいね」と言われることもあったくらい仲が良かったのですが、介護を通じて新たな一面を見つけることも少なくありませんでした。
特に印象的だったのは、一緒に映画『ラ・ラ・ランド』を観た時です。
普段は感情を表に出さない母が、目を真っ赤にして涙を流したんです。ジャズが好きだったし、あの時代のハリウッドとかに憧れがあったんでしょうね。
どんな映画を見ても泣かない人だったので、その時に初めて母の涙を見ました。なんだか素敵だなって思ったのと同時に、乙女のような繊細な面があったんだなと気づかされました。
―― 介護の時間は杉田さんにとってどのような時間だったと考えていますか?
杉田 子役時代からずっと仕事をしてきたので、介護の時間はお母さんと一緒に過ごせる至福の時間をもらったご褒美みたいな感じでしたね。
本当に忙しいときは一緒に旅行に行ったりもできず、一緒に過ごせる時間も短かったと思います。だから、逆に介護が必要になってから、母のこんな面もあったのかとか、こういう好みだったんだって、食べ物のことも、本のことも、映画の好みも、ゆっくり語り合える時間ができました。
介護が必要になってから見せる人間の顔といいますか、そういうのも母親がいろいろと見せてくれたので、「人間としてどうあるべきか」みたいなことが学べたなと思います。
―― 介護の息抜きにはどんなことをしていましたか?
杉田 休憩がてらカフェにコーヒーを飲みに行ったりして気分転換をしていました。
実はそのカフェのオーナーさんがカウンセラーの資格を持っている方だったので、おしゃべりを通じて心が晴れていった部分はあります。息抜きの時間を確保することで、また新しい気持ちで介護に向き合えました。通い詰めた結果、スペシャルティコーヒーについても詳しくなりましたね(笑)。
健康寿命を意識した生活支援の実践
―― 現在は健康マスター名誉リーダーとしても活動されていますが、この活動を始められたきっかけは?
杉田 母が老健施設に入所した頃、ちょうど大学時代のゼミの同窓会があり、そこで健康に関する検定の話を聞いたんです。それまでは病気になると、すぐ手術を考えたり、時には占い師に相談したりしていました。でも、日常生活の中でできる予防や、基本的な健康管理の重要性を学んでいくうちに、自分の生活も大きく変わりました。
―― 具体的にどのような変化がありましたか?
杉田 日常の中でできる基本的なことを行うようになりました。
健康の基本である食事・睡眠・運動の3つを意識し、朝は同じ時間に起きることを心がけています。体内時計を整えることで、生活の質も上がっていくんです。母の介護を通じて、健康でいられることの大切さを痛感しました。それが日々の生活にもつながっていると思います。
―― 老後の生活については、どのようなビジョンをお持ちですか?
杉田 正直なところ、引退については毎日考えています(笑)。でも、これまでのように無理をして頑張るのではなく、自分のペースで楽しめることをやっていきたいですね。
将来的には、料理や趣味の農業など、生活の中の小さな楽しみを大切にしながら、健康寿命を延ばしていければと思っています。例えば今年はポトフに挑戦してみようとか、梅がいっぱい取れたら梅干しを作ってみようとか、小さいことを積み重ねていくのが自分なりの健康寿命だと思っています。
―― 小さいことでも達成感はすごくありそうですね。最後に、これからの目標についてお聞かせください。
杉田 「天才子役のなれの果て」と言われないように頑張らなければと思っています(笑)。
でも本質的には、人格形成のために俳優業をさせていただいたと考えています。これまでの経験を活かしながら、可愛くていいおばあちゃんになりたいですね。それが今の私の夢です。
いろんな役を演じることで人の気持ちがわかるようになってきましたが、それを表現することはまた違う技術が必要です。これからも日々学ぶ姿勢を忘れずに、過ごしていきたいですね。
―― 最後に読者の方へメッセージをお願いします。
杉田 介護は大変なことも多いですが、人生における貴重な学びの時間だと思います。私は役者としてさまざまな役を演じてきましたが、介護の経験は何物にも代えがたい気づきを与えてくれました。
一日一日を大切に過ごし、できることから始める。そんな小さな積み重ねが、きっと豊かな人生につながっていくのではないでしょうか。介護をされている方々も、ぜひ自分らしい方法を見つけて、素敵な毎日を過ごしていただければと思います。
―― 本日はどうもありがとうございました。これからも多方面でのご活躍を楽しみにしております!
取材:谷口友妃 撮影:熊坂勉