映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてんだ!
「踊る大捜査線THE MOVIE 」フジテレビ系「土曜プレミアム」で放送!
『踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!』は、1998年に公開された『踊る大捜査線』シリーズ劇場版第1作であり、興行収入100億円を超えた大ヒット映画である。今回のテレビ放送は、”踊るプロジェクト” の再始動として、『室井慎次 敗れざる者』『室井慎次 生き続ける者』の2部作公開決定を受けてのこと。ちなみに映画のもとになる『踊る大捜査線』のテレビシリーズは1997年1月から3月の放送で、およそ27年前の連続ドラマである。
“都知事と同じ名前の青島です” というセリフにピンとこない20代〜30代の方もいるだろう。そんな人でも “事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてんだ!” という名セリフを一度は聴いたことがあるんじゃないかな? 社会現象にまでなった名セリフ… 実はテレビシリーズではなく今回放送される映画『踊る大捜査線THE MOVIE 』の終盤で、主人公である青島刑事(織田裕二)が腹の底から咆哮した言葉である。
張り巡らされた伏線と見事な回収劇
シリーズ劇場版第1作であるこの映画は、吉田副総監誘拐事件と、川で発見された水死体事件(腹部にぬいぐるみが埋め込まれていた)。そして、湾岸署内とその近隣で発生した窃盗事件という、3つの犯罪が絡むボリューム満点の内容である。
冒頭のアバンタイトルは、警視庁の吉田副総監(神山繁)を自宅から車でゴルフ場へ送り届けるシーンから始まる。そして、そのゴルフコンペで湾岸署の署長(北村総一郎)がブービー賞の景品である七色のスモークボールを貰うのだが、そのゴルフボールが事件の重要な役割を果たすことに…。この辺りのストーリー構成と伏線の回収はさすがである。とにかく全てのシーンに意味があり、全ての出来事が驚くべき内容にすり替わるというスペクタクルな展開で進んでゆく面白さ。
無くなった領収書の束にまでしっかり顛末が用意されている緻密な脚本に恐れ入る。テレビドラマのように長い時間をかけて伏線を回収する作り方と、映画のような2時間で物語を完結させる手法は明らかに違うのだが、この ”踊るシリーズ” は、実に見事な脚本でテレビシリーズのテイストを残したまま、映画のダイナミックさを活かしている。
映画好きにはたまらないであろう歴史的映画の名場面の数々やヒットしたドラマをオマージュした遊び心満載の脚本は、当時30代後半の君塚良一が担当した。監督は、まだ33歳だった本広克行。そして主演の織田裕二は30歳、室井慎次役の柳葉敏郎もまだ36歳という若さであった。
和久平八郎の名セリフ “正しいことをしたければ偉くなれ” が持つ本当の意味は?
テレビシリーズから一貫して変わらない “正しいことをしたければ偉くなれ” という、いかりや長介演じる和久さんの名言。今回の映画『踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!』では特にフィーチャーされていて、和久さんと吉田副総監が若い頃に交わした “俺は現場で頑張るから、あんたは偉くなって警察組織を変えてくれ” という約束を青島と室井さんが同じように交わすことで、より一層深く印象付けられる。これは、その字の通りに、出世して偉くなれば政治力が増して悪しき組織の慣習をかえる力になり得るということなのだが、僕にはこの言葉… 自分の信念を曲げずに貫き通せという視聴者に対するエールに思えてならないのだ。
テレビシリーズのなかで、和久さんは “正義なんて言葉、口に出すな。死ぬまでな。心に秘めておけ” と青島に静かに語るシーンがあった。そのドラマから時を経た27年後… SNS時代真っ只中のいま、個人の思う正義の乱用で人を傷つけたり苦しめたりする事案が後を絶たない。“俺たちは正しいことを言っている、これが正義だ” “私は正しくないことを平気でする人間を許せない。罰せられるべき” … そんな巷に氾濫する正義とは、実は己の欲望を満たすためだけの負の感情に他ならない。正しいことのなかには、自分にとって理不尽なことや不利なこともあったりする。正しいことと正義とは全くの別物なのである。
そんなことも含め、 “正しいことしたければ偉くなれ” の ”偉くなれ” には、自分自身を乗り越えるという意識改革の意味が込められていると僕は考える。
全てのサラリーマンが心に秘めている会社組織への不満
先に述べたように、『踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!』では3つの事件が同時進行する。どの事件にも共通する大切なことは、先入観に捉われないこと。そして、些細な事柄を見逃さないという現場力だ。殺人犯の日向真奈美(小泉今日子)が警察署内にやすやすと侵入できたのは、制服を着ていれば簡単に署内に出入りできるという人の先入観を上手く利用した結果。その日向を現場で取り押さえた警察官が実は制服を着た窃盗犯だったいう違和感に気づいたことはまさに現場力。
副総監誘拐に関しても、和久さんの “現場100回” という信条から些細な事柄に気づき誘拐犯を追い詰めるキッカケになり、本庁のプロファイリングチームが導き出した犯人像の先入観に捉われず、青島が拘留中の日向から副総監誘拐した犯人像のヒントを得たこともまた、先入観の排除から生まれたミラクルだ。こういった小さな現場力が積み重なって事件が解決に導かれてゆくのだが、その障壁として立ちはだかるのが本庁の上層部である。
暗い会議室のなか、円形のテーブルに置かれたモニターを見ながら現場に茶々を入れるあのシーンだ。“捜査員を近づけろ” “いや、捜査員を遠ざけろ” など現場を無視した命令ばかりで捜査を混乱させ、挙句に誘拐犯に目星をつけた青島に “逮捕は捜査一課にさせろ” と足止めする。一刻を争う緊迫した場面で室井の指示を待つ青島… “責任の所在は…” などと一向に指示が出ないことに業を煮やした青島から出た言葉がーー
“事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてんだ!” である。
この叫びでスイッチが入った室井が吠える。
“青島!確保だ!”
最高に痺れるシーンである。
そう、この “事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてんだ!” という叫びは、全サラリーマンが会社の上層部に対して日々心に抱えている不満と怒りそのものである。
「踊る大捜査線」とは、刑事ドラマの姿を借りた企業ドラマであり人間ドラマなのだ
”踊るシリーズ” を築いた脚本家の君塚良一、監督の本広克行、そしてプロデューサーの亀山千広が、この映画を通して伝えたいことは1にも2にも現場の持つ力だ。最前線で踏ん張る人間を組織はもっと尊重すべきであり、時に暴走とも思える現場の判断においても “責任は俺が取るから思い切ってやれ” と後押しする上司や、それを認める組織こそが本来の企業にあるべき憧れの姿なのだ。だからこそ、主人公の青島にそのアツい思いを代弁させたのである。このセリフが色褪せることなく、今もなお繰り返し話題になり続けているのは、そういった全てのサラリーマンが思い描く理想の企業像がそこにあるからに他ならない。