「人間国宝」と呼ばれて30年、88歳の鍛金家・奥山峰石は「一代一職」を座右の銘に、なお匠の技を追い求める
鍛金家・奥山峰石(本名・喜蔵)さんは、58歳の時に人間国宝(文化財保護法に基づき文部科学大臣が指定した重要無形文化財保持者)に認定された。当時「鍛金」の世界では最年少の認定だった。鍛金とは金属の一枚板を木槌や金槌で何百回、何千回と数えきれないほど叩き込んで形状を調え、自らデザインした文様を打ち込んで、茶道具、花瓶、酒器などがつくられる。奥山さんは米寿を迎えた現在も新しい作品づくりに挑戦する現役真っ只中である。「またお茶のみにきてください」と玄関の外まで見送ってくださった奥山さん。謙虚で優しいその人柄が作品にもあらわれている。「一代一職」を貫き、粘り強く決してあきらめない奥山さんは、人間国宝認定30年を迎えた。生まれ故郷の山形県新庄市からリレーされ、北区飛鳥山博物館で「鍛金家・奥山峰石 米寿記念展 人間国宝認定30年の軌跡」が間もなく始まる。
奥山 峰石(おくやま・ほうせき)
昭和12年山形県生まれ。15歳で鍛金の道へ。笠原宗峰に弟子入りし、田中光輝に師事。数々の受賞を経て、平成7年重要無形文化財「鍛金」保持者(人間国宝)に認定される。平成9年紫綬褒章、平成19年旭日小綬章受章。平成30年東京都名誉都民顕彰。名誉都民に。東京都北区名誉区民、山形県新庄市名誉市民でもある。
この仕事で一番になりたい
─鍛金の仕事を始めたきっかけからお伺いします。
奥 山 昭和12年、山形県新庄市に編入された小さな村で生まれました。小学校一年生の時に父が亡くなり、6人姉弟の長男の私は、早く自立し働かなければなりませんでした。中学卒業後上京し、親戚の紹介で勤めを始めたのが銀製品をつくる会社だったのです。ですから、鍛金が家業だったわけでも、好きで始めた仕事だったわけでもありません。まもなく笠原銀器製作所に移り、鍛金家・笠原宗峰から鍛金を学びながら洋食器などを作る職人になりました。
─どんな毎日を送られていましたか。
奥 山 朝早くから夜遅くまで、文字通り職人修行の毎日です。夜学に通いたかったのですが、そんな時間は全くありません。一生下働きは嫌だなと思いながら3年、18歳のころ陶芸家の板谷波山が、「自分はこの仕事で一生生きていくんだ。だから一生懸命やるんだ」という記事に触発されました。自分もこの仕事で誰にも負けない、一番になるんだという気持ちが芽生えたのです。結婚を機に27歳の時独立しましたが女房には本当に助けられました。手際が良くよく働き仕事ができる。しまいには自分でも作品を制作するようになっていました。スポーツの優勝カップや指輪、たくさんの注文に納期を間に合わせるため寝る間を惜しんで頑張りました。ところが、昭和48年のオイルショックで注文が激減してしまったのです。
奥山さんは再三「女房に助けられた、本当に苦労をかけた」と口にした。夫唱婦随の金工作業がつづいた。そんな折…
─その後、伝統工芸会へ出品をされたるようになりました。
奥 山 40歳を前に、注文を受けて制作する職人の仕事に合間に、独自の作品を作り始め、東京美術銀器工業協同組合のコンクールに出品したところ、入賞できたのです。コンクールの審査員だった金工作家の田中光輝先生に「これだけできるんだったら作家を目指してみては」と伝統工芸展への出品をすすめられたのです。それまで作家になろうと考えていませんでしたし年齢的にも遅いのではと逡巡しました。毎週のように先生の工房に通うようになり、作品作りや出品の仕方も含め様々なことを教えてもらいました。田中先生との出会いがなかったら今の自分はありません。
初めて出品したのが、本展にも出展している一輪挿しです。入選できず自宅で使っていましたが、半世紀近くなり、みなさんの目に触れようと出展しました。
昭和57年に日本伝統工芸武蔵野展で奨励賞を受賞し、続いて春の伝統工芸日本金工展には入選できても芸術家の登竜門といえる秋の日本伝統工芸展には、4回連続落選した奥山さん。その4年間の苦しみは想像に難くない。ようやく平成元年5回目の挑戦で入選、日本伝統工芸展高松宮記念賞を受賞した。入選作の「赤胴鉢」は、手元に置いてあるそうだ。そして平成6年には、日本橋三越で初の個展も開催した。
平成7年、晴れて重要無形文化財「鍛金」保持者(人間国宝)に認定され、東京都北区名誉区民にも選定された。
奥 山 素質がないから作家なんてやめようと何度も思いました。けれども「自分にはこの道で行くしかないんだ」とその一念だけでした。
▲奥山さん宅の応接室には、たくさんの賞状が飾られているが、中でも嬉しかったのが、平成7年に人間国宝の認定をされた後、平成9年の紫綬褒章の受賞だったという。その翌年には歌会始にも招待されている。展覧会には作品とともに、座右の銘「一代一職」の力強い書が、奥山さんの心の在り方を物語っている。
人間国宝という看板を背負って
銅や銀の合金など、硬くて鍛造が難しい素材を叩いて火にかけ叩いて火にかけ、美しい造形に仕上げられた器に、自然の情景をモチーフにした文様を、「打込象嵌(うちこみぞうがん)」や「切嵌象嵌(きりばめぞうがん)」という技法で表現する。丹精込められて、金属が放つ繊細で優雅な見目麗しい作品が高く評価されていった。
─人間国宝に認定されてからのことを伺います。
奥 山 伝統工芸の金工の世界で重要無形文化財保持者(人間国宝)として認定されたときは、ついに自分もこの仕事で一番になれたのかと思いました。周りからも称賛を浴びました。嬉しかったのはもちろんですが、人間国宝となっても今まで通り職人の仕事をしながら作品作りもできると思っていた。ところが注文が減ってしまった(笑)。「人間国宝」と呼ばれて妬まれることもありましたし、人が寄らなくなってしまったのです。女房も寂しかったのではないでしょうか。「人間国宝なんてやめてしまいましょう」と何度も言われました(笑)。しかし、作家としての仕事は、自分の思いを込め、イメージしたものを作ることができます。
─作品作りで難しいことはなんでしょうか。
奥 山 人と違うことをやりたくて、「打込象嵌」で、花や木といった自然をモチーフにした作品をつくりました。それまで幾何学模様を器に入れた作品はありましたが、新しい技法として認められたのでしょう。旅行に行って見た福島県三春のしだれ桜の美しさに感動し、春夏秋冬の姿を写真に撮って図に起こした作品や、故郷のお墓参りに行って見た雄々しい三本杉をデザインしました。このデザインが作品作りの中では一番難しく、時間がかかります。デザインを生かした器の大きさや形状が決まると、黙々と職人仕事に入ります。もし若い時に美術の勉強をしていれば違うのでしょう。ですから美術展に行って人の作品を見ないようにしていました。ほかの人の素晴らしい作品を見るとまねをしたくなります。難しくとも自分で考え、描いて作品作りをします。
▲作品名:打込象嵌壺「枝垂れ桜」(うちこみぞうがんつぼ「しだれさくら」)制作年:2006年 材質:銀/赤銅/銅
─座右の銘とされている「一代一職」について伺います。
奥 山 修行で苦しかったとき、出合ったのが「一代一職」という言葉でした。「与えられた仕事こそが、生涯をかけて取り組むべき仕事である」という信念のもと励んできました。伊勢神宮に作品を寄贈したとき、座右の銘とする「一代一職」を揮毫しましたが、別の言葉も依頼されその場で揮毫したのが、「夢は大きく、目標は小さく」でした。伊勢神宮の神聖な空気の中でひらめいた言葉ですが、まさに大きな夢はあっても、目の前の小さなことを着実に成し遂げていかなければいけない、日ごと私が大切にしていることです。
人間国宝になったからといって、職人として必死にやってきた時と変わりはありません。喜ばれるものを作っていきたいです。
▲作品名:接合せ打込象嵌水指「文月」(はぎあわせうちこみぞうがんみずさし「ふみづき」)
制作年:2015年
材質:銀/赤銅/銅/金/蓋は木
─北区の名誉区民になられていますが、北区とのかかわりは。
奥 山 北区に住み始めて55年になります。結婚後、上野の松坂屋の近くの家から谷中に移りました。2階の6畳の部屋を借りて若い人も使って仕事を始めましたが、仕事の音が階下に響いて迷惑がられた。そんなとき仕事仲間の知り合いの不動産屋さんに紹介されたのが今の北区の地です。お金はあるとき入れてくればいいからという良き時代でした。平成15年からは、「奥山峰石と北区工芸作家の会」が創設され、その展覧会も今年24回目になります。
作品名:切嵌象嵌鉢「春夏秋冬」(きりばめぞうがんはち「しゅんかしゅうとう」) 制作年:2001年
材質:赤銅/銀/銅/四分一
─後継者育成も、人間国宝の使命ですね。
奥 山 人間国宝になったからといって、お金持ちになれるわけではありません(笑)。文化財保護法が制定された1950年から重要無形文化財保持者の認定が始まりました。当時は、助成金で家が1軒建ったといわれていますが、現在までほとんど金額は変わっておらず、「鍛金」では、材料費でなくなってしまいますから(笑)、でも、何とかやってこられた。そして88歳の今でも体は動きます。若い頃のように無茶はできませんが、新しい作品に挑戦する気持ちは変わりません。この歳まで作品作りができる自分は、幸せものだとつくづく思います。
随分前から月1回、工房で作品作りを無料で教えています。そのときお父さんと一緒に15歳の時から私のところに来てくれた鈴木泰三さんは、22年通い続けて現在37歳。通商産業大臣認定の伝統工芸士として立派に仕事をしてくれて頼もしいです。今の私には、100歳になっても1年に1点でも、自身で納得できる作品をつくることが目標です。
▲予想していたよりコンパクトな工房には、大小様々な金槌、金鎚で叩く際の受け具となる当て金、金属を打ち据える土台である金床や木台、金属板を切るための金鋏、熱を加えて金属を柔らかくするガスバーナー、ヤスリが整然と置かれていた。作品によっては、道具からつくることもあるそうだ。壁には色鮮やかな紅葉の写真が一枚貼られていた。次回の作品の図に起こされるのかも知れない。
「人間国宝認定30年の軌跡 鍛金家・奥山峰石 米寿記念展」
会期:令和7年8月30日(土)から9月21日(日)
会場:北区飛鳥山博物館2階特別展示室・講堂(北区王子1-1-3)
休館日:月曜日(祝日の時は火曜日)
新庄市と北区が所蔵する名品約75点を公開し、鍛金家・奥山峰石が歩んできた軌跡をたどる展覧会。金属が放つ優雅な光沢と美しい曲線、熟練された手仕事から生まれた名品に圧倒されるに違いない。