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#6 どのようにして「貴族戦争」は「国民戦争」に変わったのか──西谷修さんと読む、カイヨワ『戦争論』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

NHK出版デジタルマガジン

#6 どのようにして「貴族戦争」は「国民戦争」に変わったのか──西谷修さんと読む、カイヨワ『戦争論』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

西谷修さんによるカイヨワ『戦争論』読み解き #6

ひとはなぜ戦争をするのか? 戦闘と殺戮の「本質」を解き明かす――。

『遊びと人間』で知られる哲学者・社会学者ロジェ・カイヨワ(1913-1978)が1950~60年代の冷戦時代に綴った『戦争論』。彼は本書で、戦争の歴史に新たな光をあて、これまでなぜ人類が戦争を避けることができなかったかを徹底的に分析しました。

『NHK「100分de名著」ブックス ロジェ・カイヨワ 戦争論』では、民族間、宗教間の対立が激化し、最新兵器によるテロや紛争が絶えない現代に浮かび上がる『戦争論』の価値を、西谷修さんと明らかにしていきます。

2025年7月から全国の書店とNHK出版ECサイトで開催中の「100分de名著」フェアを記念して、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします。(第6回/全7回)

第1章──近代的戦争の誕生 より

「歩兵が民主主義をつくった」──「国民戦争」の時代

 それでも「近代への転換」は、世界で共通に起こります。

 西洋において、封建時代の「貴族戦争」から、どのようにして「国民戦争」の時代に変わっていったか、という問題を、カイヨワは「機械化」の観点から扱います。そのとき彼が引用するのが、フーラーというイギリスの軍人の次の言葉です。

〈マスケット銃が歩兵をつくり、歩兵が民主主義をつくった〉

(第二部・第一章)

 武器が刀剣から銃に変わり、剣術の技を磨いた一階級のものだった戦争が、平民の誰もが戦える場になったということです。あるいは、それまでは騎士の従僕に過ぎなかった歩兵たちが、銃を持つことで主役に躍り出ます。「歩兵が騎兵にとってかわり、平等が特権にとってかわった」(第一部・第五章)のです。

 アメリカはいまも銃社会で、学校で乱射事件が起こると、トランプ大統領(当時)は「教師を銃で武装させろ」などといいました。これはアメリカがもともと、武装して先住民を掃討することによってできた社会であり、銃が「自由」をつくったという伝統があるからです。掃討すべき敵、彼らにとっての「異物」が国内に広くいたのですね。ヨーロッパの事情はまた違って、近代社会は国民国家として組織されていきますが、そのとき平民が銃を持つことで貴族の専制を崩していったのです。民主化は平民の武装に支えられていました。日本の場合はまた違います。日本はかつて「刀狩り」が行われた社会で、平民は武器を持つことを禁じられていました。ですから近代化、つまり明治維新は武士が主力で起こりましたが、その後に、平民に武器を持たせることで西洋式の軍隊が組織されたのです。軍隊も武器も、日本では民主主義に結びついているとはいえないでしょう。

 しかし、ヨーロッパの社会では、平民が武器を持ち、貴族や特権階級と同等の人間として、力と法的権利を手にしていくことで、民主主義社会ができていった。言い換えれば、誰もが銃を与えられ、国を守るための戦いに参加することで、国家に忠誠を誓うようになります。すると国家のほうも、民衆をそのまま軍事力とする。そして戦争の規模が大きくなっていくのです。

平民はみじめな生活をし、黙ってたえ忍ぶことに慣れてきた。けれども、一旦その手に銃を与えられ、国民を防衛するために呼び寄せられた時、はじめて彼らは自分の価値の重要さを意識した。数かずの危険に立ち向かい、敵を殺すことにより、自分も貴族や特権階級とまったく同じ人間なのだということを、いやというほどはっきりと悟った時、はじめて彼らは自分の価値の重要さを意識したのである。

(同前)

 これが近代の民主制国家の内実で、武装した市民たちがそのまま軍隊になっていく。身分制社会から、平等社会に近づけば近づくほど戦争が激化していくパラドクスは、このような理由から生じているのです。

 ところで、日本で「戦争」という言葉が使われるようになるのは、明治以降のことです。それ以前は一般に「戦(いくさ)」で、さらに区別する場合は、「役(えき)」とか「乱」、「変」といった言葉が使われていました。中央権力がそれに従わない勢力(蝦夷(えみし)や異国)を征伐したり、平定したりする場合は「役」で、中央の権力抗争に絡んだ国内の乱れが「乱」、クーデターや政変を狙った事件などが「変」というわけですね。「戦」がなぜ「戦争」という言葉に取って代わられたのかといえば、これが西洋のwar(英)やguerre(仏)やKrieg(独)の翻訳語だからです。

 明治になって「戦争」という言葉がいつから使われたかといえば、はっきりしているのは「日清戦争」や「日露戦争」です。これらは日本が西洋型の近代国家となって初めて行った対外戦争でした。つまり「戦争」という言葉は、近代の国家間戦争を指すためにつくられたのです。別の観点から見れば、日本はこの訳語を必要とするようになったときから、西洋的な近代の国家間秩序に入ったということになるでしょう。

 かつてのヨーロッパでwar といえば、領主や傭兵団の長など誰もが起こすことができる、多様な形の戦争全般を指していました。それがいつ国家間戦争を表す言葉になったのか、その答えは歴史的にはっきりしています。

 十七世紀前半に「三十年戦争」(一六一八~四八)と呼ばれる、ヨーロッパ全土を戦乱に巻き込んだ争いが起こりました。これはカトリックとプロテスタントの対立を軸に百年にわたった抗争の最後の波で、最初のヨーロッパ大戦ともいわれます。その大規模な混乱を収拾するために開かれたのがウェストファリア講和会議(一六四八)で、以後、戦争をするのに信仰の違いを口実にしないこと、そして戦争をすることができるのは主権国家のみとされ、戦争は誰もが勝手に起こすことができるものではなくなったのです。主権国家とは、相互に承認し合うことで初めて成立するものですから、勝手に名乗りを上げてもダメで、もし勝手に戦いを始めたとしても、それは「戦争」ではなく「内乱」「反乱」として「主権」のもとに制圧されます。

 ヨーロッパ中の諸権力が参加して結ばれたこの「ウェストファリア条約」によってつくられた新たな秩序が「ウェストファリア体制」と呼ばれるものです。それは主権国家間秩序ということができますが、このときから、相互承認システムによる主権国家が、「宣戦布告」によって戦争を始め、第三国つまり非当事国が設定する「講和会議」によって戦争を終えるというルールができました。

 同時にこのとき、「平時」と「戦時(非常時)」という区別が生じます。いざ「戦時」となったら、「平時」のときの平和協定は停止します。ただし、むやみに敵国の市民を殺してはいけないとか、敵兵でも武器を捨てれば殺さずに捕虜にし、あとで交換するとか、「戦時」の取り決めもできます。これが国家間関係を律するルールになって、これを「国際法」と呼びます。この戦時の法には、特に条文があるわけではありません。主権国家同士の相互承認によって成立する秩序です。もしこの法に従わなければ「不正」を糾弾され、国際秩序から何らかの制裁を受けることになります。

 国際法を基礎づけ、その概略をつくったオランダの法学者グロティウスによる著書は、まさに『戦争と平和の法』(一六二五)と名づけられています。そこには近代国家と戦争権限との切っても切れない関係が記されています。

 そのようにして、戦争は国家間のものとなりました。同時に主権国家というまとまりができるわけですが、するとそれまでは自分の住む土地の領主の支配下にあった「領民」が、「国民」として統合され、国家に帰属するようになります。カイヨワは、そのような「戦争する国家」の組織化に注目しています。

戦争遂行のため、国家は市民に対し、その金と血をさし出すよう求めた。(略)中央集権的な行政機構がおかれ、多くの新しい部署が設けられ、権力に情報を伝え、権力の決定事項を執行する全国的な官僚制度ができたのは、何よりもまず、戦争を行なうために必要な、いろいろな要求を満足させるためであった。この官僚組織は、たくさんの兵士を募集し、集結し、教育し、部隊に編成し、これを輸送し、各所に配置し、これに糧食を補給し、衣服を支給するためおかれたものであった。

(同前)

 では、今度は民衆の側から見てみましょう。経済活動によって市民が富を持つようになると、王や貴族に対して自由や平等といった権利を主張するようになります。その行きついた先が「フランス革命」(一七八九~九九)です。国家の主権者であった国王を処刑し、残された国家は国民のものとなります。人民主権、すなわち国民が国家の主権者だという主張をし、その自覚も生じる。そして、革命政府を倒そうとする王制諸国による軍事介入から自分たちの国を守るために、義勇兵が集まってきます。それとともに、国民から兵員を集める目的で、徴兵制が布(し)かれるようになりました。そして歴史上初めて「国民からなる軍隊」というものができるようになるのです。

 フランスの革命軍の中から頭角を現した名将ナポレオンが、やがて破竹の勢いでヨーロッパ中を席巻することになります。政治の実権も掌握したナポレオンが率いた軍隊は、各地で快進撃を続けました。他の国々は当然、なぜフランスがそんなに強いのかを学ぶことになります。それは、フランスの軍隊が「国民軍」つまり国民主体の軍隊だったからです。王家のために徴集されたのではなく、革命によって得た自由を自分たちで守るために戦う兵士たちでした。だから諸外国の干渉に対して戦うフランス軍の士気は、きわめて高かったのです。

 そこで、ヨーロッパ諸国はその後、ナポレオンによる征服からの解放を、やはり国民軍を組織し、国民戦争によって実現しようとします。国王や皇帝を戴くこれらの諸国の場合、国民を主体とする共和制を採ったわけではありませんから、かつての「領民」を「国民」化するために、国家を王家への帰属から制度的に自立させていくのです。

 ちなみに、ナポレオン戦争における最大規模の戦いである「ライプツィヒの戦い」(一八一三)が、「諸国民戦争」と呼ばれるのは象徴的です。そこではプロイセン、ロシア、オーストリア、スウェーデンといった「諸国民」の連合軍が、ナポレオン率いるフランスの「国民軍」を破ったとされています。

 以上見てきたように、近代における「主権国家体制の成立」「銃と歩兵の進歩」「国民軍の創設」というプロセスによって、ヨーロッパでは民主主義社会が成立すると同時に、戦争は「国民戦争」という形をとるに至ったのです。

著者

西谷修(にしたに・おさむ)
1950年愛知県生まれ。東京大学法学部卒業、東京都立大学フランス文学科修士課程修了。哲学者。明治学院大学教授、東京外国語大学大学院教授、立教大学大学院特任教授を歴任、東京外国語大学名誉教授。フランス文学・思想の研究をベースに、世界史や戦争、メディア、人間の生死などの問題を広く論じる。著書に『不死のワンダーランド』(青土社)、『戦争論』(講談社学術文庫)、『夜の鼓動にふれる── 戦争論講義』(ちくま学芸文庫)、『世界史の臨界』(岩波書店)、『戦争とは何だろうか』(ちくまプリマー新書)、『私たちはどんな世界を生きているか』(講談社現代新書)などが、訳書にジョルジュ・バタイユ『非-知──閉じざる思考』(平凡社ライブラリー)、エマニュエル・レヴィナス『実存から実存者へ』(ちくま学芸文庫)、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ『自発的隷従論』(監修、ちくま学芸文庫)などがある。
※刊行時の情報です。

■『NHK「100分de名著」ブックス ロジェ・カイヨワ 戦争論 文明という果てしない暴力』より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛している場合があります。

※本書は、「NHK100分de名著」において、2019年8月に放送された「ロジェ・カイヨワ 戦争論」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「文明的戦争からサバイバーの共生世界へ──西洋的原理からの脱却」、読書案内などを収載したものです。
※本書における『戦争論』からの引用部分については、秋枝茂夫訳(法政大学出版局)によります。

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