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「ストリッパーと猫」──踊り子、エッセイスト、ときどき書店員の新井見枝香さんエッセイ【裸で本を売っている。】

NHK出版デジタルマガジン

「ストリッパーと猫」──踊り子、エッセイスト、ときどき書店員の新井見枝香さんエッセイ【裸で本を売っている。】

踊り子、エッセイスト、ときどき書店員──新井見枝香さんによるエッセイを公開

踊り子として、エッセイストとして、ときどき書店員としてさまざまに活動する新井見枝香さん。

人気を博したエッセイ「日比谷で本を売っている。」が、このたび装い新たに「裸で本を売っている。」として再開。新井さんの日常で、旅先で、舞台で心が動いた瞬間と、そして、本の話。

今回は、「自由」と「猫」にまつわる一編をご紹介。

※NHK出版公式note「本がひらく」より。

ストリッパーと猫

 書店員一筋の人生からストリッパーになって、一匹の猫と出会った。猫は私に説教をするわけでも、疑問に答えてくれるわけでもなく、ただ毎日生きている。そのことが、書店員時代に触れた数多の本と同じように、私を惹きつけるのだ。本は文字の羅列から、著者の意図を受け取ろうと努力しなければ、何も教えてはくれない。猫は物を言わないから、こちらが想像して、注意深く考えなければならない。「本は退屈だ」「猫は何も考えていない」そう決めてしまったら、そこで終わりなのである。

 ストリッパーと書店員の両立は想像以上に難しく、3年間、悪足搔きして人に迷惑をかけまくり、遂に2年前、書店を退職した。今の仕事は保障もなく不安定で、年齢的にも時代的にも、いつまで続けられるかわからない。だが、どんな結果になるにせよ、猫と引き合わせてくれた、そのことひとつだけで、やってよかったと思えるだろう。

 それはまだ兼業の頃、北陸にあるストリップ劇場での仕事だった。その地で何度か世話になった方が病気で亡くなり、彼の飼い猫が行き場を失くしているという。経営していた会社は仕事の引継ぎに大混乱、プライベートでは生前の浮気が発覚し、別居していた奥さんが大激怒。誰も猫の世話どころではなく、事情を察した劇場スタッフが、猫をひとまず楽屋に連れて帰ってきたのだった。ケージを囲み皆で話し合った結果、たまたま広い個室の楽屋にいた私が預かることになったが、もちろん、自分で手を挙げたわけではない。猫なんてそれまで触ったこともなかった。まるで突然のギフトのように、世にも美しい黒猫が私のもとにやってきたのだ。

 数日のうちに、彼女は私の腕の中で眠るようになった。誰に撫でられても嬉しそうに喉を鳴らすが、不思議なことに、寝るときだけは必ず、私のもとへ来るのだ。いったい何を考えているのか、何も考えてなどいないのか。温かさと柔らかにぬいぐるみにはない幸福を感じるが、極めて不可解である。猫のほうが弱い存在ゆえ、嫌がることはしないと誓ったが、彼女は何を根拠に私を信用するのか。私たちは意思の疎通ができない。彼女にして欲しいことは何もないから、楽屋生活で困ることはなかったが、飼い主の関係者から引き取り手が現れない以上、今後の方針を決めなければならなかった。私の脳裏に、あの村上春樹の小説『海辺のカフカ』が浮かぶ。物語の中で、猫と会話する特殊な能力を持つナカタさんは、猫探しの依頼を受け、野良猫たちに聞き込みしていた。「私と一緒に来ますか?」。猫に問いかけて耳を澄ませても答えはなかったが、一緒に暮らすことに意義なし、と私は判断した。もしナカタさんみたいに、猫と会話する能力が私にあったとして、彼女に本心を尋ねる勇気があっただろうか。どうしても、離れがたかった。

 北陸から猫を連れて帰ると、周囲が私を、猫の「ママ」と呼ぶことにギョッとした。私は彼女を産んでいない。娘のように感じることも一切ない。彼女は保護猫センターで引き取られた猫らしいが、素直で人懐っこく、15歳で家出をしたカフカ少年のように、母親に捨てられた過去を引きずり、そのせいで自己肯定感が低いまま生きているようにはとても見えなかった。つい先日までは、別の腕に抱かれて眠っていたはずである。それでも、突然いなくなった人を探したり、落ち込んで食欲がなくなったりする様子は全くない。切り替えの早さが見事だった。猫に「ママ」が必要なのだとすれば、今はこの人、と彼女は私を認めたのだろう。カフカ少年よりはるかに自由に、信ずべき真実を選択して生きている。

 借り換えたペット可のアパートで猫と暮らし始めると、ブラッシングや爪切りを定期的に行い、遊びたいとせがまれれば猫じゃらしをちょこまか動かすという時間が生まれた。猫がねずみを捕まえたところでポイントは貯まらないし、せっせとごはんを与えたところで卵を産むわけでもない。ただ時間が消費されるだけだ。そんな日常は、同じく村上春樹の小説『ダンス・ダンス・ダンス』で、主人公が昼間からパスタを茹でる時間を思い出させた。非生産的な時間を過ごしているのに、豊かさが感じられ、こんなことをしている場合じゃないと焦るどころか、たっぷりと満たされている。小説で描かれていたパスタを茹でていることを理由にかかってきた電話を切る価値観は、膝で眠る猫を理由に友人との待ち合わせに遅刻するようなものだろう。そこには、経済的活動を最優先する現代社会において、意識的でいなければ失われていく大切なものが、確実にあった。

『読めない人のための村上春樹入門』

 この本は、村上春樹研究で博士号を取得した仁平千香子さんが、一般的にわかりやすいとはいえない村上作品を、的確な引用な時代背景を織り交ぜて、「自由の困難さ」を軸に読み解く方法をまとめたものだ。読めなくはない、むしろ無邪気に面白い面白いと読み漁ってきた私にとっては、村上氏から受け取って、宇宙空間に放り投げておいた言葉の座標を作り、星座にするような経験だった。

 猫と暮らすことの不安やデメリットに心が揺れたら、『騎士団長殺し』を思い出す。まだ起こってもいない不幸に、自由を縛られてはいまいか。

 猫という生き物のわからなさにもどかしくなった時は、『ドライブ・マイ・カー』だ。愛していても、相手のすべてを知ることができるとは限らない。人間同士ですらそうなのだ。

 ストリッパーという仕事に行き詰まる、あるいはほかにやりたいことを見つけてしまった時には、『職業としての小説家』を読もう。ジャズバーを経営していた村上春樹が、小説家になるために店を畳んだことを思い出せば、力強く、潔く、前に進めるはずだ。

 書店で本を、ストリップで猫を得た私の人生は、自由を生きる物語と、自由を生きる猫と共にある。そして今、親切なる星座の座標を手に入れた。苦しみ悩む時には、猫を撫で、空を見上げよう。

◆トップ写真:井筒千恵子

プロフィール

新井見枝香(あらい・みえか)
1980年、東京都生まれ。書店員を経て現在は踊り子・エッセイストとして活動。書店員時代に、芥川賞・直木賞の同日に独自の文学賞「新井賞」を発表。著書に『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』『本屋の新井』がある。

*新井見枝香さんのX(旧Twitter) @honya_arai

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