ラ・カロッツェリア・イタリアーナ ’77”:伊東和彦の写真帳_私的クルマ書き残し:#32
前回に引き続いて、1977年7月16〜24日に東京・晴海の東京国際見本市会場で催された、『日伊デザイン交流協会』主催の“ラ・カロッツェリア・イタリアーナ ’77”の話題だ。
ネガ保管箱を探したところ36枚撮りカラーネガフィルムのホルダーが2本みつかり、嬉しくなって家庭用のフィルムスキャナーでデータ化したのが、これを書く発端になっている。
通常は2000文字程度の撮影時の想い出を書かせていただくが、今回と次回は写真を中心に据えることにしてみた。毎回のことだが、会場を訪れたのは撮影が目的ではなく、クルマを見るためであり、その合間の記録としての素人写真であるためクオリティは低い。だが、私がその場にいた証拠。そして最も長いあいだ眺めていたクルマの角度の記録メモでもあり、画質についてはご容赦いただきたい。
画質といえば、前回のこの稿を見た友人から、「画像修正ソフトを使って質を上げてはどうか。現状ではピンぼけみたいで見づらい……」との指摘が届いた。確かに正論だ。だが、私は、「その時代の雰囲気を出したいし、いかにも素人のアルバムに貼り付けられたプリント写真を見ているかのようにしたいから、あえて軽度の修正とトリミングで済ませている」、そう答えてみた。
今回はピニンファリーナのクルマだ。会場を見渡したところ、ピニンファリーナとベルトーネが手掛けたクルマの出展が多く、両雄の存在感が強い展示であった。以前の連載でも記したが、1970年の大阪万博では、イタリア館にピニンファリーナが手掛けたモデューロが展示されたことがあった。
それから7年のこの場にも再びやってきた。雑誌の誌面だけでしか見たことのないモデルばかりが並んだ姿は魅力であり、ピニンファリーナのブースではかなりの時間を費やした記憶がある。
主催者は、ごちゃごちゃした展示を望まなかったのか、車両の解説文類はいっさいなく、車名を記したプレートのみが掲げられているだけで、そう知識があるわけではない私は物足りなさを覚えた。