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<静岡サッカーの主役たち> 日本国籍取得した三都主アレサンドロのシンデレラストーリー。清水エスパルスにも日本代表にも勝利を呼び込んだ左足

アットエス


【スポーツライター・望月文夫】
2002年日韓W杯を翌年に控え、前年の01年11月12日、日本サッカー界に朗報が届いた。清水エスパルスの大黒柱に成長したMFアレックスが、8か月前の同年3月に申請した日本国籍取得が認められたのだ。活躍するその姿に、申請前から加速していた日本代表入りへの待望論が、日本人「三都主アレサンドロ」となっていよいよ現実へと動き出した。

アレックスはブラジルからのサッカー留学生として1994年に16歳で来日し、高知・明徳義塾高に入学。全国大会の経験はなかったが、3年後の1997年高校卒業と同時に清水に加入。クラブの評価は低くなかったが、当時はベテランMFサントスやこの年から2年連続チーム得点王のMFオリバらで外国籍選手枠が埋まり、しばらく出番はないと思われていた。

ところが外国籍選手のケガもあり、早速第3節に出場機会を得ると、左ウイングバックで存在感を高め、ルーキーながらリーグ戦30試合中27試合に出場した。

本人はこの年のリーグ戦3ゴールに納得せず「もっと点を取って貢献しないと出番が無くなる」と危機感を口にしたが、すでにレギュラーはほぼ勝ち取っていた。

そして加入3年目の1999年。クラブ初のステージ優勝に大きく貢献した。上位を争うチームの注目度が高くなる中で、2年連続2桁ゴールに加えアシストも量産。ジュビロ磐田とのチャンピオンシップには敗れたが高い貢献が評価され、史上最年少の22歳でリーグMVPも獲得し、当時上位争いを続けるオレンジ軍団のエースに上り詰めた。

清水エスパルス時代の三都主アレサンドロ=2002年10月・エコパスタジアム


その後、当然のように沸いて出てきたのが日本代表への待望論だった。かつてブラジルから帰化し存在感を見せたラモス瑠偉(1994年大会アジア予選出場)や呂比須ワグナー(1998年大会出場)のような日本代表のキーマンになってほしいと、周囲の期待も大きく膨らんだ。

アレックスも「生まれ育ったブラジルのため、高校時代を過ごした高知のため、成長させてくれた清水のためにも、日本代表に貢献したい」と恩返しに意欲を覗かせた。帰化が認められた会見で披露された名前の「三都主」の漢字はブラジル、高知、清水の3つの都の主を意味するものと熱く語った。

2002年天皇杯ファイナルで躍動

天皇杯を制した清水エスパルス=2002年1月1日・国立競技場


国籍取得が許可された5日後の11月17日、敵地でのリーグ・福岡戦で日本人・三都主が早速躍動した。前半早々に2点を先行されたものの、後半21分から延長までに味方の3ゴールをすべてアシスト。大逆転勝利を演出した貢献度で日本代表入りを強くアピールした。

さらにW杯イヤーの2002年1月1日。清水は前年に続き2年連続3度目となる天皇杯決勝に臨んだ。過去2度は敗れており、3度目の正直での初優勝に地元サポーターも期待を高めた。

その期待に応えたのも三都主だった。試合は相手ペースだったが、まずはサッカー界新年第1号となる技ありループシュートで先制。さらに2-2で迎えた延長には、左クロスからVゴールをアシスト。期待通りに初優勝に導いた三都主の、W杯出場切符を確信した瞬間だった。

そして5月、発表された日本代表に「三都主」が名を連ねた。「大きな責任を感じるが、それがやりがい」と臨んだロシアとの初戦にフル出場。ドローでチームに流れを作ると、予選リーグを2勝1分として日本代表は初めて決勝トーナメントに進出した。

トーナメント初戦のトルコに0-1とリードを許して迎えた前半終了間際に、正面やや左でFKを獲得。「(小野)伸二もいたけど、自信があったので蹴らせてくれと頼んだ」。絶妙な弾道だったがクロスバーを直撃しゴールはならず。「あれが入っていれば、また違ったことが起きていたかもしれない」と悔やんだが、あの一撃は日本サッカー史に残る名場面の1つとして刻まれている。

三都主は、清水を離れ浦和、名古屋でもプレーし、ジーコ監督の下でも日本代表入りを継続させ、2006年ドイツW杯にも出場した。国際Aマッチ出場も82まで伸ばし、歴代15位(2025年8月現在)にランクインする。15歳で来日し、無名に近い環境から勝ち上がった三都主。まさにシンデレラのようなサッカー人生だった。
【スポーツライター・望月文夫】
1958年静岡市生まれ。出版社時代に編集記者としてサッカー誌『ストライカー』を創刊。その後フリーとなり、サッカー誌『サッカーグランプリ』、スポーツ誌『ナンバー』、スポーツ新聞などにも長く執筆。テレビ局のスポーツイベント、IT企業のスポーツサイトにも参加し、サッカー、陸上を中心に取材歴は43年目に突入。
 

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