令和3年国史跡に指定!船橋市「取掛西貝塚」海鮮もジビエも 貝塚からわかる縄文の食卓
東京湾東岸は縄文時代の貝塚が集中する地域です。取掛西(とりかけにし)貝塚(飯山満町1丁目)は、その中でも最古級かつムラを伴う貝塚として船橋市で唯一の国史跡に指定され、注目度の高い史跡です。
縄文時代、地球はかなり温暖だった
縄文時代は当初、前期・中期・後期に区分されていましたが、研究が進むにつれ草創期・早期・晩期が追加されて年表のような6区分になりました。
取掛西貝塚は、未指定を含めて全国で10カ所しかない約1万年前(早期)の貝塚が発掘されたことで大きな話題に。
取掛西貝塚からは、約6千年前(前期)の貝塚も発掘されています。
取掛西貝塚は台地の上にあります(地図参照)。
水色の部分は低地です。
縄文時代、地球温暖化の影響で氷床の氷が溶けて海水面が高くなったといわれています。
早期のムラの時代には遠かった海ですが、一説によると今よりも海面が5mも高かったともいわれるほど海面上昇が進んだ前期のムラの時代には、取掛西貝塚がある台地のすぐそばの海辺で貝や魚を捕り、陸地ではシカやタヌキを狩って、食べかすなどを捨てる貝塚が作られたと考えられています。
取掛西貝塚のすごいところって?
取掛西貝塚が国史跡に指定された理由としては
(1)日本列島で貝塚が作られ始めた時期の貝塚であり、全国的に見ても数例しかない貴重な例
(2)約1万年前のムラと貝塚の両方が残る重要な遺跡
(3)動物の頭骨を集めて焼いた儀礼跡の可能性があり、縄文人の精神文化を考える上で重要―これらの点が評価されたということです。
「史跡」とは、貝塚、古墳など歴史的、学術的に価値の高いものを指定する文化財の一種ですが絵画や建築のような華やかさとは無縁のイメージがあります。
そのためか、船橋市が行った取掛西貝塚の認知度アンケートもはかばかしくない結果に。
今後研究が進めば縄文人のリアルな生活についてさらに知ることができるかもしれません。
(取材・執筆/福)